第8話

 翌日。麗子ちゃんは、学校に来ませんでした。そしてその翌日も、そのまた翌日も、麗子ちゃんが学校に来ることは有りませんでした。


 これではまるで学校のお勉強に集中できません! 麗子ちゃんは大丈夫なのでしょうか。麗子ちゃんは……生きているのでしょうか……。


 そんな、ドギマギどうこうしている内に、あっという間に金曜日が訪れます。明日になれば学校は休みです。学校ではあの日の一件を聞いてくる人は居らず、友達からは「風邪治った?」と度々尋ねられるだけでした。どうやら勝手に風邪をひいていたと聞かされていたようです。きっと周りの皆は、麗子ちゃんは風邪で休んでいると思っているに違いありません。


 そんなお気楽ホイホイな周りを見ていると、ツルリンは少し苛立ちを覚えます。

 今にも麗子ちゃんは……殺されているかもしれないのに。


「ツッルリーン。オッハー! 俺はポケモンマスターを目指すことにしたぜ。先ずはこのタウンからサヨナラバイバイだ」


 そんなツルリンの気も知らず、お気楽代表の内田君が話しかけてきます。

 彼は昨日まで忍者になると言っていたのに、お気楽な奴です。


「相変わらず湿気た顔してるなーよ。最近なんか元気なくね? ひょっとしてまだ風邪治ってないんじゃない?」


 テレビで見るお笑い芸人の様に、内田君の口からはポロポロ言葉が漏れだします。何だか、少しばかり耳障りだな。とツルリンは思いました。


 しかし、これはツルリンの勝手な都合です。まだ朝の朝礼が始まらぬ時間、各々が登校を終え、皆は思い思いに友達と話している喧騒の朝。そんな、一学年上がったくらいじゃ何一つ変わらない光景と、一つだけ開いた席……。


 ツルリンは、ずっと教室の扉の方を見つめます。麗子ちゃんが、ヒョッコリ今にも顔を出しそうな教室の入口。

 最近は黒板を眺めているより、教室入口を見ている時間が長いかもしれません。


「オ! オイーッス。マッツン! 聞いてくれ、俺はポケモンマスターになる!」


 ひたすら入口を眺めていると、内田君は入口を通り抜けた松野君に同じ様な挨拶をしていました。


「この間忍者になるって言ってなかった?」


 そう言う松野君は、四年生から再び一緒になったツルリンの友達で、一年生と二年生の頃同じクラスだった友達です。


 麗子ちゃんじゃない……。無心ながらそう思っていると、朝日が明るく照らす、まだ新学期初めの教室はワクワクとか、ドキドキとか、新しい始まりとか、目に見えない騒がしい空気が漂っている気がしました。


「でさー、この間」「え? それヤバいんじゃない?」「お前うっそだろ!」「おはよー」「この間の岡ピー超かっこよかったよね!」「でさ、このゲームが」「そういえば」「今度サッカーしようぜ」「あ、今日終わったら遊ぼうよ」「嘘嘘嘘! ほんとに!?」「あー眠い」「今日体育ヤダナー」「昨日は二時に寝たぜ!」「残念ッッ!」


 麗子ちゃん。君がいなくても、世界は簡単そうに回って行くんだね。

 ゆっくり目を閉じると、何だか瞼の裏が熱く感じました。泣いてません。


 ……すると入口から「おはよー。ほら、席付けー。出欠とるぞ」気怠そうに声を張り上げ、先生が入ってくると共にチャイムが鳴り響きました。漂っていた浮ついた空気はサッと振り払われ、各々が席へと座っていきます。今日も、麗子ちゃんは来ませんでした。


「あ、そうだ。今日はみんなに連絡があります」


 嘘みたいに静まり返った教室で、教壇に手を着きながら先生は言いました。


「突然ですが、親御さんの都合で、松本麗子さんは隣の県へ引っ越しが決まったそうです。最後にお別れを言えなくて残念ですが、皆さんお元気で。との事でした」


 そんな淡々とした先生の言葉の後に、教室内がフツフツと湧き出します。


「えっ嘘」「えええ!」「ねぇ、何か聞いてた?」


 女子グループの話し声を筆頭に、教室内は沸点を迎え、一気に騒がしさが充満していきます。


「うおおおおおマジかよ!」「そんなー!」「サヨナラいえなかったー!」


 そんな各々の言葉が行きかう中、先生が大きな音で手を鳴らしました。


「はいはい! 静かに! 出欠とるぞー! 後で話しなさい!」


 すると、あら不思議。騒がしかった教室は徐々に落ち着きを取り戻し、静けさが漂っていきます。大人ってすごい! そして何事も無かった様に、先生は名前を呼び出しました。


「はい、赤坂ー」「はい。元気です」「上野ー」「はい。元気です」


 静まり返った教室内で、先生の声と、名を呼ばれた人の声が響いていきます。きっと、麗子ちゃんは、希望通り何処か遠くへ行ってしまったのでしょう。麗子ちゃんが言う「あの人」からきっと離れられたに違いありません。


 いや……もう、よく解りません。今にも泣き出したい気持ちをグッとこらえ、ツルリンはひたすら面白い事を頭の中で考えました。


「北島ー」「はい。元気です」「佐々木ー」「はい! 元気です」


 ……だって今泣き出してしまえば、皆に馬鹿にされますよ? それでもって「ツル岡と松本とは両想い~! フーフー! お幸せにー!」何て言う、とても恥ずかし馬鹿らしな、茶々入れが入るのです。それはとっても嫌な事でした。


「田中ー」「はい。エキサイティング!」


 ダメでした。考えようとすればするほど、この間の一件が頭を過っていきます。あの時、麗子ちゃんの手を引く方へ共に走り出していれば、何か変わったでしょうか。そしたら今頃、一緒に何処か遠くへ行けていたかもしれません。


「田村ー」「はい。元気です」


 さっきから、繰り返し、繰り返し、最後の麗子ちゃんの顔と声を思い出してしまいます。


「ツル岡ー」


 というより……。

 ……嘘つきはお前じゃないか、松本麗子。


「ツル岡? おい、どうしたボケーっとして」


 先生の声でハッと我に返ると、クラスメイト達や先生の視線が一気にツルリンの方へと集まっていました。目がいっぱい。こいつらの眼を一つ一つプチプチと潰して行けば、少しは気が晴れるでしょうか?


 ……もう、何も考えたくありません。


「はい。元気です」

 ツルリンは、今日も元気です。

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