僕だけしかいないこの街で

ほぢピ(アローラのすがた)

第1話 何気ない日常

 朝。

小鳥のさえずりで目が覚める。六時十五分。

まだ少し寒さの残る、けれど、春が近づいてることもわかる、冬の終わり頃。


 二階建ての少し古びた一般家屋、二階にある自分の部屋を出て右に廊下を進む。少し歩けば階段があって、降りてる最中でもわかるくらい、キッチンからは音と匂いがこぼれていた。今朝は和食か、と少し期待に胸を躍らせた。


 キッチンでは母さんが料理をしていて、父さんは居間でテレビをつけたまま新聞を読んでいる。時折、母さんが淹れたであろう珈琲を、ゆっくりと口に近付ける。二人におはよう、と声をかける。そうすれば二人もおはよう、と返してくれた。

 席に着こうとすると、母さんが申し訳なさそうに、僕に姉を起こしてくるよう言った。どうやらまだ起きていないらしい。

あいつは低血圧だからな、と苦笑まじりに父が呟く。

目覚まし時計を買ったり、携帯のタイマーアプリを試したりしたらしいが、一向に改善しないらしい。


 重い腰を上げて、姉さんを起こしに行く。

いつものことだから慣れてはいるけれど、面倒なものは面倒なのだ。



 折角せっかく降りた階段を上がって進む。僕の部屋の真正面。

ごんごん、とドアを鳴らしてから、入るよ姉さん、と声をかける。

まあ、返事なんて最初からあるなんて、期待はしていないけれど。



 ドアを開ければすぐ、布団を抱き枕のように両手両足を使って抱きしめ、眉間にシワを寄せながら眠る姉さんが見えた。

 彼女越しにカーテンを開いて、窓も開ける。冷たい風が吹いて、僕らを襲った。



 うーうー唸りながら布団に潜り込もうとした姉さんにおはよう、もう朝だよ、と声をかける。

僕の声は聞こえていたようで、彼女は少し目を開けて、また閉じる。

そんな姉の腰をぱちんと叩けば、いらついたようにしかめた顔でようやく上体を起こした。


 もう一度おはよう、と声をかける。今度はくぐもった声でおはよう、と返事をもらうことに成功した。ミッションコンプリート、なんて。



 姉を起こしてから彼女を部屋を出る。階段を降りて居間に戻り、食卓に着く。

暫くすれば姉さんが未だに眠たげな顔をしながら、僕の隣に座った。

 いただきます、と四人の声が居間に響く。



 今日もいつも通りの一日が、始まる。




 ご飯を食べ終えて部屋に戻り、今日の学校へ行く準備をする。

一応寝る前にしてはいたが、忘れ物をしていたら不安だ。……よし。

カバンを掴んでキッチンに向かい、母さんから弁当を受け取り家を出る。

姉さんは既に高校へ向かったらしい。先程、彼女の後ろ姿が見えた。


 靴を履いてから大きな声で母さんに聞こえるよう、家の中へいってきます、と叫ぶ。母の声をBGMに、僕は最寄り駅へと向かった。



 駅には人だかりが出来始めている。そりゃそうだ、もう朝の七時半だし。

いつも通勤ご苦労様です、なんて心の中で呟きながら、そこまで満員ではない電車内へと足を進めた。


 車内にはおじさんやおばさんもいれば、僕と同じくらいの年齢の男女もいる。

流石に僕以下の年齢の子はいないようだが。

空いてる席に腰掛けて、目的地に着くまで持ってきた小説を読む。内容はどこにでもある、現代ファンタジーものだ。精神異常者が主人公らしい。


 ぱく、と栞のあるページを開いて、続きを読み始める。

ただ主人公がヒロインと対話しているシーンなのだが、僕はとてもドキドキした。


 『あなた、自分が何をしていたのかわかってるの?』

 『僕は正しいことをしたんだ。君は僕を否定するのかい』

 『いいえ、違うわ。ねえ、もうこんなことやめましょう。』

 『僕は騙されないぞ、お前もやつらの敵なんだな』



 《ご乗車ぁ、ありがとうございまぁす。__、__駅でっす。お降りの際はァ、足元にご注意ください。》



 書かれているセリフをじっくりと目で追っている最中だった。もう降りなきゃいけないのかと焦りながらも小説をカバンにしまい、急いで電車を降りた。



 電車を降りて、改札口でICカードをかざす。ピッ。

駅から出れば増え始める、僕と同じ中学へ通う生徒たち。八時十五分。

 彼らと同じ方向へと足を進める。まあ、別に今日が入学初日とかそういうわけじゃないから、迷うなんてことはないのだけれど。



 暫く歩けば、僕を見付けたらしい僕の友人である浜崎はまざきクンが、背中を強めに叩く。痛いよ、なんて顰めっ面で返せば、悪びれる様子もなくわりぃわりぃ、なんて笑顔で返される。

 そのあとは何事もなかったように学校に着くまでの間、適当に昨日見たテレビ番組の内容やら漫画の話やらをしていた。



 学校に着いた。玄関で上履きに履き替えてからクラスに向かう。

その途中でまた別の友人である潮田しおたクンを発見して話しかける。


 彼はどうやら、最近はSFモノに夢中らしい。宇宙からの来訪者がどうこう、ネコの精神を乗っ取った宇宙人がどうこう。如何にもSF好きな人、みたいな外見をしているわけではない彼が、ここまでSFを好きになるのも珍しい。たぶん明日は槍が降るのかもしれないな、なんて思いながら、三人でクラスへと向かう。



 引き戸を開けてクラスの中に入ると、先頭に立っていた潮田クンの頭上に黒板消しが落ちてきた。黒板消しについていたであろう白いチョークの粉が舞い散る。八時三十七分。


 クラス中からどっと笑い声が湧く。古典的なトラップで笑うのもどうかと思うが、その古典的なトラップに引っかかる潮田クンも潮田クンだ。


 笑うみんなの中から一人、こちらへ笑いながら歩いてくる。悪戯いたずら好きな的場まとばクンだ。彼と潮田クンは幼馴染らしい。

彼は笑いすぎたせいか涙目で、(チョークの粉で)頭が真っ白になった潮田クンにちょっかいを出し始めた。


 潮田クンは暫くぽかんと阿呆ヅラをしていたが、的場クンにちょっかいを出されると我に帰り、顳顬こめかみをひくつかせながら彼に摑みかかった。

的場クンは少し抵抗しているものの彼が殴ってこないとわかっているようで、また楽しげにげらげら笑うだけだった。


 そんな状況を見て女子が一人、僕らに怒鳴る。学級委員長の佐々木サンだ。

佐々木サンは黒く一本にまとめられた三つ編みを揺らし、腰に両手を当てながら可愛らしくぷりぷりと怒る。威厳や恐ろしさなんて皆無だ。


 僕らみたいな阿呆男子はたちまち彼女のとりこになり、鼻の下を伸ばしながらデレデレした表情のまま席に着いた。ちなみに的場クンだけは掃除をさせられていた。



 暫くすると先生がクラスに入ってくる。朝のSHRショートホームルームで出欠確認を取り、少しの連絡事項を聞いてから最初の授業の準備をする。八時五十二分。


 準備をしている最中に声がかかる。声をかけてきたのはクラスで一番人気のマドンナ・清野サンだ。

どうやら彼女が声をかけてきたのは、お気に入りのシャーペンを失くしてしまったかららしい。快く彼女にシャーペンを渡すと、これまた佐々木サンとは違った、可愛らしくも綺麗な笑みを向けられる。


 あとで潮田クンと浜崎クン、的場クンに自慢しておこう。そう僕は決心した。



 チャイムが授業の開始を告げると同時に、先生がクラスへと入ってくる。九時丁度。

 教科書とノートを開いてシャーペンと芯、消しゴムをセットする。色ペンと修正液も忘れずに。先生が黒板に書いた文字を、僕らがノートに書き写す。先生がもにゃもにゃと僕らに向かって放つ呪文を、僕らは色ペンを使ってノートに書く。たまに呪文のせいで寝てしまう人や、まだ一限目なのに早弁をしてHPを回復している人もいる。早すぎやしないか、君たち。


 気怠く思いつつも書き写す手は止めない。来年には受験が控えている。

先生の説明を聞き流しつつ、ちらちらと教室内を見てみる。潮田クンは真面目にノートを取っていて、浜崎クンは死んでいる。いや、実際に死んでいるわけではないが。的場クンなんて、筆箱の中のペンや消しゴムを全部出して積み木をして遊んでいる。


 遊んでいる的場クンに気付いたのか、先生が彼を叱る。それでも彼は遊ぶ手を止めないもんだから、仕舞いには教室の外へと追い出された。完全に自業自得だ。


 「そりゃ遊んでたらそうなるでしょ」

 「まったく、男子ってば本当に子供なんだから」

女子を中心に、教室内でクスクスと小さな笑い声が響く。

肝心の的場クンは恥ずかしそうになんてまったくしていなかったけれど。むしろ誇らしそうでもあった。


 気を取り直した先生が授業を再開させる。

的場クンのおかげか、いい具合に緊張の解けた状態で授業を受ける。

やっぱり、こういったことは的場クンでなければできないというものだ。



 授業終了のチャイムが鳴り、先生が退室する。これからはお楽しみのお昼だ。

的場クンが勢いよく教室に入ってきたかと思えば、勢いを活かして潮田クンの机に座る。危ないだろ、と潮田クンが彼を怒るが、彼は嬉しそうに笑っていた。


 「な、一緒に飯食おうぜ」

 「うん、いいよ。どこで食べる?」

 「屋上でいいんじゃね?人来ないし。」


 そんな会話をしながら浜崎クン、潮田クン、的場クンと喋りながらそれぞれの昼食を持って屋上へと向かう。



 屋上は基本的には鍵がかかっているが、申請すれば一般生徒でも使えるようにできている。天文学部が基本的に使っているらしいが、僕らはその光景を見たことはない。

 先生から借りた鍵を差し込んで、屋上への扉を開ける。すると屋上から吹く風が僕らを包む。寒い寒いと言いながらも、地べたで輪になって座る。

弁当箱を開いていただきます、と手を合わせる。僕らのお昼が開始されると、浜崎クンが口を開く。


 「なあ、俺今さ、SFにハマってンだけどさ。もし世界に自分一人だけ取り残されたらどうするよ」


 にぃ、と悪戯っぽく彼は笑いながら話し始める。


 「なにそれ、そんなんあるわけないじゃん」

 「いやいや、もしもだよ、も・し・も。ある日目が覚めたら一人ぼっちで、生活感はあるのに誰もいない。そんな時、お前らだったらどうするよ?」

 「なんじゃソレ!なんでもし放題だけどつまんなさそうだな!」

 「的場ならそういうと思った……」


 和気藹々と各々の意見を交わし合う。的場クンは悪戯できる相手がいないとか、反応楽しめねーじゃん!と不満げだ。そんな彼のことを、潮田クンは呆れた表情で見ていた。


 「でも、本当に誰一人いない世界で自分一人なら、俺だったら発狂してるかもな」

 「おっ、潮田は発狂するのか。いいぞいいぞ」

 「だって自分一人なのに生活感はあるんだろ?何かの実験でそうしてるとかならともかく、ある日忽然と、なんて耐えられるかっての。最悪自殺するね」


 潮田クンの表情は一変して、先程の的場クンを見ていた時とは違った、訝しげな顔になる。浜崎クンはわくわくした表情をしているけど、潮田クンは反対に、どこか寂しそうな顔をしていた。

 確かに、自分も発狂するかもしれないな、なんて考えながらおかずを頬張る。


 「で、お前はどうなんだよ。お前だったらどうすんだよ」

 「え、僕?うーん……」

 「お前だけ答えないなんてズルいぜ。ほら、さっさと答えろ!」

 「そうだなぁ……」


 一拍置いて、僕はこう答えた。



 「たぶん、非日常を楽しむんじゃないかな」

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僕だけしかいないこの街で ほぢピ(アローラのすがた) @Hodgi_P

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