第1章 アイドル 第2節 相談
ウィンテンスは、ブージュナーを無理矢理立ち上がらせると、そのままの勢いで部屋の外へと連れ出す。
一体どこへ連れて行かれるのかと、不安でいっぱいのブージュナーは、それでも望みの綱のウィンテンス警部を怒らせまいと、おっかなびっくり廊下をついて歩くのだった。
やがて、タワーの外縁部まで歩いてくると、タワーの外側に向けて、大きな窓が一面に広がっている。慣れていないと、いきなり目の前に現れた外の空間に、そのまま飛び出してしまいそうな錯覚を覚えるのだ。
ウィンテンスは、床下の格納庫へのエレベーターに乗る。ブージュナーも、置いていかれては大変と、急いでエレベーターに乗り込む。
床下すぐに、エアースライダーの格納庫がある。ずらりと並んだ、警察用のエアースライダー。小型のものから、警官を大量に運べる大型のものまで、揃っている。まさに壮観としか言いようがない眺めだ。
今、ウィンテンスは二人用のエアースライダーに乗り込む。ブージュナーも、慌ててウィンテンスの横に乗り込む。
頭上で、すぐに透明なエアハッチが閉じられ、二人を乗せたエアースライダーは、自動的に運ばれてゆく。
ちょうど合う大きさのスカイトレーの上に移動し終わると、スカイトレーごと真横に動き出す。あっという間にスカイトレーは空中に飛び出している。
ちょうど、タワーに小さな羽をつけたような形で、なめらかな曲面を描くタワーの表面から、スカイトレーだけが飛び出しているのだ。
これもまた、慣れない者には恐怖を与えるのに充分だが、セブンタワーシティの人間にとっては、もう慣れっこになってしまっていて、今さら驚いたり怯えたりする者もいない。
ウィンテンスが、自動操縦装置に行先を入力すると、エアースライダーは音もなく、静かに空中に向けて発進していく。
警察は、比較的下の方の階なので、いきなり急上昇していく。
中央の謎の黒いタワーを右手に見て、ちょうど反対側にある緑色のオフィスタワーまで昇っていく。
ブージュナーが、沈黙を持て余したように、小声でいう。
「いつも思うんですが、この黒いタワーの中には、何があるんてましょうね」
ウィンテンスも、自動操縦でやることがないので、答える。
「さあてね。こればっかりは、警察でもわかりません。なんだか、慣れっこになっちゃって、最近気にしたこともないんですけど」
随分上昇したところで、ウィンテンスたちを乗せたエアースライダーは、緑色のタワーに近づき始める。
自動的にぴったり合う大きさのスカイトレーが音もなくスルスルと飛び出してくる。ドンピシャリのタイミングで、エアースライダーが着地する。
スカイトレーごと格納庫に収まると、二人はエアースライダーから降りる。そのまま、相手のことは気にもしないで、ウィンテンスは歩き始める。
慌ててついて行くブージュナー。お互いに無言のまま、エレベーターで格納庫の上の廊下に出る。
短い廊下が、窓に面してつづいている。どちらに歩いていっても、すぐに直角に曲がり、タワーの内部へと入っていく。
窓は大部分、どこかの部屋に設置されている。だから、窓に面した廊下は、とても短いのだ。
ウィンテンス警部は、慣れた足取りでいくつかの角を曲がり、歩いていく。自動操縦のエアースライダーで、目的の部屋のすぐ近くまで来ているので、そう長くは歩かない。
だが、ブージュナーは、どこへ連れて行かれるのかと、気が気ではない。あたりを見回しながら、それでも遅れまいとして、必死でウィンテンスについていく。
やがてウィンテンスは、一つのドアの前で立ち止まる。ドアの横の壁に、安っぽいプラスチックの板が貼り付けられている。
非常に読みにくい、とても下手な字で、『シクエス&ホリーン認識研究所』と書いてある。
その粗末な表示を見るブージュナーの目はまん丸で、とても信じられないという表彰をしている。不安そうな声で、ウィンテンス警部に尋ねる。
「ここは、一体、何なのですか」
後ろは、取り合わず、ノックもせずにドアを開け、中に入っていく。
ドアの中は、かなり広い。
40人ぐらいは、余裕で立食パーティーができそうだ。
家具はあまりなく、裕福な家庭のリビングルームといったイメージだ。
中にいたのは、二人。
ふたりともまだ若い、幼さも感じさせる女性だ。そろって小柄に見える。
一人は、きちんと事務机の前に座っており、もうひとりは、三人はかけられる布張りのソファーに、横になって肘枕をしていた。
事務机の方が、話しかけてくる。
「なあに、ウィンテンス。来るなんて、聞いてなかったわ」
ソファーの子も、上体を起こして言う。
「来るんなら来るって、言ってくれなくっちゃ。だいたい、ノックぐらいしなさいよ」
ウィンテンスは、落ち着き払って答える。
「そんなこと言っていいの。お客さんを連れてきたんだけど」
とたんに立ち上がる、部屋の中の二人。その時になって、はじめて、ウィンテンスの後ろにいる男性に、気がついたようだ。
事務机の子、シクエスが、ぼんやりした感じで聞く。
「どなた」
ウィンテンスは、いかにも勝手知ったる態度で、答える。
「お客さんだと、言ったでしょう。とりあえず、どこかに座らせなさいよ」
言ってるそばから、ウィンテンスは来客用のフカフカのソファに座り、ブージュナーにも隣のソファを勝手に勧める。
ソファーの子、ホリーンが、慌てて立ち上がりながら抗議する。
「ちょっと、勝手なことしないでよ、ウィンテンス。あなた、ここの事務所の人じゃないでしょ」
シクエスが、遠慮がちに割って入る。
「まあまあ、とりあえずお客さんなんだから、お茶ぐらい差し上げましょうよ」
ウィンテンスがすかさず言う。
「私、レモンティ」
ホリーンがいきりたつ。
「あんたは客じゃないの」
今度はブージュナーに聞く。
「コーヒーと紅茶と、どちらがいいですか」
ブージュナーは、なんとなく気圧されているようだったが、一息置いて、
答える。
「いただけるんでしたら、コーヒーをお願いします」
ホリーンが、さんざん文句を言いながら、人数分の飲み物を用意してくると、やっとそれぞれの紹介が始まる。
まず、ウィンテンスが、ブージュナーを、二人に紹介する。
「こちら、芸能プロダクション、アステロイドダストのマネージャー、ブージュナーさんよ」
シクエスが、控えめながら、そつなく返事をする。
「はじめまして、ブージュナーさん。私はこの研究所の、シクエスと申します。こちらは、助手のホリーン」
がさつだが、悪い人間ではないホリーンは、シクエスの紹介に腹を立てて叫ぶ。
「助手ってことはないでしょ、助手ってことは。二人で共同の研究女じゃない」
シクエスは、無視して続ける。
「この二人で、この研究所の全部です」
顔を真っ赤にして何か言いたそうにしているホリーンを気にもとめずに、ウィンテンス持つ続ける。
「実は、ブージュナーさんから、ある相談を受けたんだけど」
割って入ろうとするホリーンを両手で抑えながら、シクエスが受ける。
「それで、ブージュナーさんは、警察に一体どんな相談を」
とうとうたまりかねたホリーンが、ウィンテンスを押しとどめるように言う。
「あのねえ。人を無視するのも、いいかげんにしなさいよね」
何事もなかったかのように、ウィンテンスが続ける。
「アステロイドダストには、プリリンというアイドルがいるの」
突然、何もかも忘れたように、ホリーンが大きな声を上げる。
「えっ。プリリン。知ってます。私、結構好きなんですよ」
ブージュナーの手を握らんばかりにして、体を前に乗り出したホリーンに苦笑しながら、シクエスがウィンテンスに静かにたずねる。
「それで、そのプリリンっていうアイドルが、どうしたっていうの」
ウィンテンスは、落ち着いて答える。
「ブージュナーさんが御相談にみえたのは、プリリンの素行についての問題なの」
さらに質問しようとするシクエスを押しのけてソファーの背に押し倒すようにしながら、ホリーンが聞く。
「なあに。プリリンの素行に、問題でもあるの。そんなことないわよね。ね、ね、そんなことあるわけないわよね」
こんどは、シクエスが、ホリーンを押しのけて、ソファーの背にたたきつける。
「ええっと、当シクエス&ホリーン認識研究所では、依頼人の秘密は、絶対守ります。絶対、です」
呆然としていたブージュナーが、やや顔を青ざめさせ、不安そうにウィンテンスに聞く。
「ウィンテンス警部。ここはいったい、何なのですか」
ウィンテンスは、こんなことは慣れっこになっているとばかりに、冷ややかに言う。
「まあ、ブージュナーさん、落ち着いてください。今にわかりますよ」
そして、シクエスに向かって言う。
「それでね、シクエス、プリリンが事務所の言うことを聞かずに,勝手なことばかりやってるっていうのよ」
シクエスは、豹変するように真面目な顔になり、質問する。
「指示に従わないってこと?」
「それもあるけど、そもそも耳を貸さないらしいのね」
ウィンテンスは、さきほどブージュナーから聞いた話を、シクエスとホリーンの二人に話す。
ホリーンも、すでに通常に戻り、真剣に確認する。
「それは、事務所に入ってから、ずっとなのですか」
ブージュナーも、今まであっけにとられていたが、冷静さを取り戻して答える。
「いいえ、最初はこうじゃありませんでした。むしろ、素直なよい子だと思っていたくらいです」
今度は、シスエスが確認する。
「それが、だんだん言うことを聞かなくなってきたんですか」
ブージュナーが、今度はシスエスの方を向いて答える。
「いいえ、だんだんというより、売れてきて、事務所の中の立場も、芸能界の地位も安定してきてから、急に我がままで自分勝手になったんです」
一座を、短い沈黙が支配した。それぞれが、ぞれぞれの考えの中に、沈んでいくようだった。
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