第5話 物隠し
翌日木葉は学校に行きたくなかったが、家にいるのも嫌なので学校に行くことにした。あんなことがあった後だとどうしても学校には行き難い。しかし、家にいれば両親に嫌なことをされるし。
木葉の父は古くからその地域に住む地主の跡取りで、大手建設業を営んでいた。その建設業というのも祖父から受け継いだものであった。父は学生時代に勉強などというものは一切していなく、高校で出会った彼女・現嫁(木葉の母)とすぐに結婚した。高校卒業後父は大学には進学せず、嫁と遊び惚けていた。それでも亡くなった祖父の跡取りとして彼はその会社の経営を任されることとなった。今まで勉強してこなかった人が唐突に大手企業の経営をしろと言われてもできるものではない。彼は本来経営を手伝ってくれる立場である経営コンサルタントに経営の仕事を丸投げした。それでも会社は祖父から受け継いだ時のまま経営状況は悪化しなかったため、父は人生はたやすいものだと考えるようになった。そして、娘である木葉に様々な卑劣なことを強要した。そして勉強したがっている彼女から勉強を奪った。
木葉は中学二年生に上がったころからこんな家にいてなんになるのだと考えるようになっていた。少しずつ家出の準備も始めていた。だが、金がないことに気づいた。木葉は両親から一切の金をもらっていなかった。だから彼女はホームレスになることをも覚悟して、家での準備を着々と進めていた。
学校に行くといつものように誰もいない教室は静まり返っていた。まさに静寂。木葉はそんな静寂の空気に包まれた誰もいない朝の教室が何となく好きだった。特に理由はないがただただ好きだった。この静寂を誰にも破られたくないとさえ思っていた。そして彼女はそんな教室でたった一人で教材を開いて勉強するのが好きだった。知識は彼女に様々なことを教えてくれる。いつだって彼女の見方でいてくれる。だから彼女はこの朝の静寂と勉強が好きだった。
早速いつも机の中に放置しているただ文字や数字を書くためだけの白紙を取り出して勉強を始めよう…。
「えっ…!」
思わず一人で声を出してしまった。
白紙は十枚程入れておいたのだがその十枚全てに落書きがされてあった。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。
消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ。
などなど。木葉の至福の勉強時間は白紙の心ない単語の羅列によって消し去られた。彼女は勉強する気になどなれなかった。憤りや憎しみを通り越して彼女は怖くなった。そこまで他人に対して嫌がらせをできるなど人間業だとは思えなかった。まるでどこかの宇宙の果てから来た、醜い生命体のようだと思った。誰がこれを遂行素たのか、いや、どの人達の仕業かはもう分っていた。木葉に対して何らかの接触をしようとしたのはごく一部の人間なのだから。
木葉はこの衝撃的で心の廃れた者からの単語の羅列が書いてある髪を十分と言わず二十分程ただ茫然と眺めていた。机の引き出しから少しだけ紙と手を出した状態で。時が止まったかのように固まってしまった。
昨夕のごみ箱の時のように彼女は誰かが教室に入ってきたのを感じることが出来なかった。周りの音が一切聞こえなかった。なのでクラスメイトの佐山歩生が固まっている彼女に声をかけるまでそのことに気づかなかった。
「どうした?…うわっ。すげーな、これ。先生に言った方がいいんじゃない?」
佐山歩生はクラスのヒエラルキーの中から除外された存在だった。彼の調子のいい性格はどんな場であってもだれも制御できない。別に嫌われているわけでもないし、木葉のような性格でもないので虐めの対象にもならない。かといって、特別好かれているわけでもない。彼は学年と言わず学校中の有名人であったが、彼が問題を起こした時彼を弁護しようとする者はいなかった。そのように彼は特別な存在なのだ。しばしば問題を起こす、いわゆる問題児ではあったが彼はとても優しい性格であった。見た目や普段の行動からはあまりしっかりした人間のようには見えなかったが、本当はかなり大人びたところもあった。なので、普段誰とも話すことが出来ない木葉でも初めて話す相手なのに不思議と言葉がはっきり出た。
「いや、大丈夫。また何かあっても嫌だし。大事にはしたくないの。」
「そっか。じゃ、分かった。俺は何も言わないよ。」
そういうと佐山はどこかへ向かって教室を出て行った。
木葉は正直、嫌がらせと言っても流石に引き出しに残していった紙切れ何枚かに残虐な単語の羅列を書きなぐることまでしかできないだろうと考えていた。そしてこの嫌がらせも彼女がなにも反応を見せなければ、自然となくなっていくだろうとも考えた。
しかしそうではなかった。嫌がらせは日に日にエスカレートしていった。彼女の机には油性ペンで落書きされ、彼女の教科書はカッターで引き裂かれた。それでも彼女は動じずに何も考えずに平静を保とうとしていた。
彼女の心は学校でのことにおいてはまだまだ壊れずにいた。しかし、家庭内のことではそうはいかなかった。
彼女への虐待は中学校に入学した付近から段々とエスカレートしていったのだが、もう我慢の限界であった。彼女は性行為を強要されるようになっていた。彼女がいくら抵抗しても大人の男性の力には到底変えないことをいいことに父親はやりたい放題だった。
木葉の初めては父親で、中学二年の九月の半ばに強制的に行われた。それから十一月の明けになるまで優に十回もの性行為をさせられた。
最後の性行為から約三ヶ月、木葉の月経は来ていなかった。最後の月経から四ヶ月経っていた。流石にもうこの家にはいられないと、彼女は準備していた最低限の荷物が入っているリュックを背負って明け方に家を出た。
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