第2話 労いの風

 心霊スポットを訪れる者が怪奇現象に遭遇することなく、帰路に就くという話はよく耳にする。しかしながら、往々にして現象が起きるのは家に着いてからなのである。所謂いわゆる、幽霊のテイクアウト。幽霊少女との邂逅かいこうを果たしたオレが危惧きぐしていた一つである。


 ――やらかした。


 少女は向日葵ひまわりみたいな笑みをたたえながら、ゆらゆら揺れてオレの返事を待つ。これまでの会話、雰囲気から悪い感じはしない。


 ――取り入った後に豹変するパターンか?


 いずれにせよ、断るのが無難であろう。乾いた唇を舌で舐め、重々しく口を開く。


「家っていっても、普段住んでいる家じゃないんだ。婆ちゃんの家に遊びに来ているだけ。だから、オレに決定権はないんだ。わりーな」


 ついてくるなとは言えないので、やんわりと断りの旨を伝える。


 ――頼む! 納得して、身を引いてくれ……。


「おっけー! じゃあ、家の前まで一緒に帰ろうか!」


 ――っ!!


 オレは幽霊少女に見事、取り憑かれてしまったのであった。





 長閑のどかな田園風景に囲まれた長い道を二人横になって歩く。長めの影が一つ、後をつけてくるように足元から伸びている。


「お前は帰る所ないのか?」

「あるよー。オレ君のお家を見たいだけ」


 ――だから、オレの家じゃないって言ってんだろ。それにしても、帰る所あるのかよ!


 幽霊少女の意外な返事にオレは驚きつつも、この得体の知れないXに対し、生きている人間の尺度で思いを巡らしたところで無駄なのだと結論づける。


「さっきも聞いたけれどさー、お前どういう風に死んだわけ? よくわかんないって流してたけれど、全く覚えてないのか??」

「どういう風に死んだって聞かれてもよくわからないんだよねー。病死? 事故死? まあ、何かで死んだんだろうねー」


 ――まるで、他人事ひとごとだな。死ぬと記憶がなくなるのだろうか。


「……家族はいたのか?」

「いるよー。お父さん、お母さんに、私。三人家族」

「へえ。兄妹はいなかったんだな」

「……うん。お兄ちゃんが欲しかったなー」

「上に兄貴がいたところで、いいことなんかなさそうだぞ? オレの友達を見ると、ケンカしてボコボコに負かされたり、ジュース買ってこいとかパシリにされたりして窮屈そうだ」

「そういうケンカも含めたやりとりがまたいいんじゃない? 一人っ子って孤独とまではいかないけれど、ちょっとさみしいもん」

「まあ、いたらもう少し楽しいかもなって感じる時はあるな。旅行とか」


 ――思い出の共有。こいつの言うケンカ云々のくだりも同じなのかもしれない。時が経てば味わい深いものになっていくのだろう。


「オレ君の家、ここからあとどれくらいなのー?」

「……このまま歩いてあと十分ってところだな」


 ――家までついてくるって言っていたけれど、中にまで上がる? ただ家を確認して帰ってくれたら御の字。中まで入ってきたら? そのあとは? いつまでいる?


 横の幽霊少女は鼻歌まじりに体を大きく揺らしながら歩いており、その彼方には山脈が壁のようにそそり立っている。山際のコントラストは次第に弱くなり、夜の足音が遠くから聞こえてくるようだった。





 ――ついてしまった。


 築三十年ほどだろうか。昭和の香り漂う和風の一軒家が出迎えてくれている。玄関の脇には色あせたカゴがちょこんと置かれており、回覧板らしきものがそこからはみ出している。幽霊少女に視線を向けると彼女はまじまじと表札を見つめていた。


「……御堂みどう


 ――苗字を知られた……。


 心臓を軽く撫でられたような焦燥感。


 ――取り憑かれて利用されるようなことがなければいいが……。


「名前、御堂くんなんだね! じゃあ、お家に入ろうかー!」


 余命宣告を受けた患者のようにオレは固まった。幽霊少女の声が虚しく耳の中をリフレインする。望まない展開を迎えたオレは力なく扉に手をかけ、ゆっくりと開けた。


「……ただいま」

「おじゃましまーす!」


 陽気な挨拶をかましながら、ズカズカ入ってくる幽霊少女。


「おかえりぃ、りん。長く出かけてたねぇ?」


 オレの声に呼応するように、居間から祖母の声が聞こえてくる。何気ない反応のはずなのにオレはひどく焦った。


 ――苗字だけでなく、下の名前も知られてしまうかもしれない……が、まだセーフか。だってオレの名前は、りん……た……。


 心の独白が終わりかけるまさにその時、同じタイミングで幽霊少女の口が動いた。


「……だってオレの名前は、りん……た……ろう……凛太郎りんたろう


 冷たい指で背中をなぞられたようにオレはビクッと体を震わせた。幽霊少女の静かな呟きが頭の中で深く響く。気味の悪さで混乱する思考の中で、ふと一つの疑問が浮かび上がる。


 ――口に出していないのに。


 その疑問に応えるかのように幽霊少女は告げた。


「ラジオのね、チューニングがピタって合うみたいに時折、凛くんの声が聞こえてきてたの。私か凛くんのどちらかが強く意識を集中すると合いやすくなるんだと思う。」


 ――なるほど。心の声が所々、筒抜けだったわけか。もっと早く言えよな。


「凛太郎だから凛くんか。凛くんってこれから呼ぶねー」

「呪いとかに使わなければ、なんだっていいよ。好きに呼べ。ただ、オレの名前を知ったんだから、お前のも教えろよな!不公平だ」

「ひどいなー。そんなことしないよ! 凛くんにひどいこと言われたから、私の名前は秘密でーす。教えません! それより凛くん、のど渇いたー! なんか飲も?」

「名前は教えないわ、飲み物は要求するわ、やりたい放題だな! お前さ、もっと幽霊っぽく振る舞えよなー」

「仏壇にお水供えたりするじゃん? 幽霊だって、のどは渇くんだよー。あ、凛くんと感覚共有できるから凛くんが飲み食いしてくれたら、私もハッピーだよ! 二人分用意しなくて済むからコスパ高いね!」

「コスパ云々はよくわからんが、麦茶でいいか?」


 幽霊少女と軽くやりとりしながらキッチンに向かい、冷蔵庫を開ける。目当ての品を手に取り、コップに注いだ。手に伝わるひんやりとした感触。トクトク満たされていく茶色い液体をぼんやり眺めた。身に起こった不思議現象が走馬灯のようにフラッシュバックする。


 ――まあ、なるようになるか。


 開き直り、気が緩んだせいか、のどの渇きが途端に襲ってきた。手にした麦茶を口に流し込む。体の中にじんわりと清涼感が染み渡っていく。心地よさに思わず声が漏れ……。


「ぷはあっ! たまんないねー! サイコーッ」


 ご機嫌な声が横から聞こえてきた。感覚の共有は本当のようだ。別の個体にテレパシーのようなもので感覚を伝えているというよりは幽霊少女がオレの体に取り憑いてる状態、つまり、肉体の共有というのが近い認識なのだろう。一方で、意識を集中すれば、部分的に共有を遮断することもできそうだ。幽霊少女がオレの思考を読めたり、感覚の共有をしているという事実を受け入れたからなのだろうか。教わらなくても呼吸ができるように、なぜかはわからないが、理屈抜きで自分がそれをできることを理解できた。


 ――試しにやってみるか。


「わわっ! 急に目の前が暗くなった! なんでー?」

「視覚の繋がりを閉じてみたんだよ」

「むむー……。でも私が念じればすぐ戻るもんねー。むっ!」


 視界が急に切れかけの蛍光灯のように明滅し始め、パッと暗転した。


「お……? んわあ!? お前、なにオレの視界奪ってんだよ! 自分のやつを戻すだけでいいだろ!」

「さっきの仕返しだよー」


 幽霊少女が得意げにニヤニヤしながら応える。オレにできることは当然相手にもできるようだ。それどころか、コントロールの主導権は向こうが握っているかもしれない。


「そういえば、凛くんがお泊まりしてる部屋ってどこー? ふむ……二階の隅の部屋ね……」

「おい、勝手にオレの記憶を読むな!」


 軽快な足取りで幽霊少女は二階の部屋に上がっていく。


 ――幽霊なのに軽快な足取りというのも変だな。


 人間のオレは重りをつけられたようにゆっくりと後に続いた。階段を上りきるあたりで視界の端にドアノブを捻り、部屋に入っていく少女の姿を捉える。


 ――はっきり見るより、こうやって端で捉える方が幽霊感あるな。一人で扉を開けるとか、他の人からすると、どのように見えているのだろうか。ポルターガイスト?


 プチ怪奇現象にそんな思いを馳せながら薄暗い部屋に入る。


 ――うわっ……。


 二階だからか、熱がこもってて気持ちが悪い。


「窓開けるねー。網戸今から閉めるから凛くん、まだ電気はつけちゃダメだよー」

「まるで自分の部屋みたいだな……」

「凛くんと私は一心同体! ある意味そうかも?」

「なにバカなこと言ってんだ……。なんだか、いろいろあって疲れた。オレはちょっと軽く寝るわ……婆ちゃんが晩飯に呼んだら起こしてくれ」


 ゴロンと床に大の字になり、クッションを枕にして、目を閉じる。


「わかったー。ん! やっぱこの時間帯の風は気持ちいいねー」


 相槌あいづちなり、リアクションなりを返すような場面なのだろうが、億劫おっくうなのでスルーした。

 

 窓際の風鈴が凛とした音色を奏で、頬を涼やかな風が撫でていく。反響する音色が遠くなっていく中、無意識の海にオレは静かに沈んでいった。

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