第33話 十九人目②

 彫尉ほりい 也撫斗やぶとの意識が覚醒する。

 当然ながら私とのやり取りは覚えていないので何か夢を見た気がする程度の認識でぼんやりとした頭でベッドから這い出す。 結婚はしておらず一人暮らし。


 部屋は生活に必要な最低限の物だけが並んでおり、地味と言うよりは質素ね。

 今までに見た人間の大半は割と致命的な欠陥を抱えてはいたけど彫尉 也撫斗に関していうのなら他と比べて問題は少ない。 正直、人間の善性に懐疑的な私でもこいつの記憶と知識を精査した後に出てくる感想は『善良』だ。 まぁ、『無害』と言い換えてもいいわね。 争いを好まず他者に対して攻撃的ではなく、寧ろ協調を重視している。


 よく言えば善良ではあるけれど悪く言えば無個性ね。 

 基本的に自己主張をしないから居なくなってもあまり気にされない。

 まるで背景みたいな生態だと思ったけど、本人はそれを良しとしなかったようね。


 勉学に関してもそこそこ上手くやっていたので最初に就職したのは学校、要は教師になっていた。

 最初は子供たちに尊敬される教師になりたいといった理想を掲げて学校の門を潜ったのだけれども、彫尉 也撫斗は他人を管理する仕事には致命的に向いていない。 それを自覚するのに時間はそうかからなかった。


 数十人の子供が全員、大人しい訳はない。 自己主張が激しい者もおり、我が儘に振舞う所謂、クソガキに対して彫尉 也撫斗は強く出れず、最終的にはなあなあでやり過ごしてしまうのだ。

 そんな調子でいるものだからあっという間に舐められ始めたわ。 この時点で破綻が見えていたけれどある日に致命的な事件が起こった。 一人の生徒が授業中にクラスメイトを指さし、こいつは普段から迷惑行為をしているなどと唐突に言い出したのだ。 


 彫尉 也撫斗は内心で訝しむ。 吊るし上げられた生徒は寧ろ大人しいと認識しており、寧ろ告発した生徒がやりそうな内容だったからだ。 だが、周りに庇う声はない。

 僅かに迷ったが彫尉 也撫斗はその生徒に謝るように促した。 当人は必死に違う違うと否定していたが、授業をさっさと進めたい事とどんな形であっても解決しておけば後々問題にならないだろうといった考えからやや無理やりだったが謝罪させた。


 彫尉 也撫斗は今でも忘れない。 その生徒が浮かべた絶望の表情を。

 翌日からその生徒は学校に来なくなった。 そして親からの苦情が学校に届き、改めて調べると全くの事実無根であったと分かり謝罪に向かったが、親に門前払いされる。


 その時に言われた言葉が彫尉 也撫斗の人生を変える事となった。


 ――お前、教師に向いてないから辞めてしまえ。


 その通りだと思ったのか翌日に辞めると告げて退職の準備を始めたわ。

 まぁ、人が良いと言えば聞こえはいいけど他人と波風を起こす事に抵抗があるので風見鶏に徹しているって訳ね。 そりゃ最初に耳に入った意見しか聞かないのなら向いていないと言われても無理ないわ。


 辞めてよかったんじゃない? 知らんけど。

 で、いつまでも燻っている訳には行かないと最近、再就職したのが今の職場ね。

 言われた事をはいはいと頷いてやるだけの場所なので前回の職場での事のような問題は起こる可能性は低いのでそうそう問題は起こらないでしょうね。


 朝食を済ませ、歯を磨き、髭を確認、スーツに着替えて準備完了。

 鞄を肩にかけて今日も出勤と一歩外へと足を踏み出すと同時にそれは起こった。

 あら、思ったよりも早かったわね。 踏み出した先は住んでいるアパートの廊下ではなく真っ赤な絨毯のある広い空間だった。 流石に驚いているわね。


 彫尉 也撫斗は戸惑うように周囲に視線を巡らせる。

 そこには同様に戸惑った声を上げる男女が複数名。 


 ……あぁ、こんな感じなのね。


 割とオーソドックスな異世界召喚だ。 

 内蔵エネルギー量が多いあの世界の住民はこうしてほいほい異世界へと呼ばれてしまう。

 いくらでもいるし呼び出す相手には困らないのも気軽に召喚する要因かもしれないわね。


 引いたガチャ結果からステータスを参照できるタイプの世界で召喚目的も明白。

 魔王的な何かを倒せと言う話かと思いきや少しだけ違っていた。

 どうやらこの世界では異世界からの勇者召喚はあちこちで行われているようで呼び出しては兵器として戦場に放り込むみたい。 今回は隣国との戦争で負けそうなのでお助け下さい勇者様と国王らしき男が情けない事を言っていたわ。 あの手の輩は何度も見て来たけど、助けて欲しいとは欠片も思っておらずお前は呼び出した奴隷みたいなものだから言う事を聞けといった見下した感じが凄い。


 実際、従うしかない状態を作ってるのだから呼ぶ側としたら奴隷を買うような感覚なのかしら?

 ステータスが参照できる以上、戦闘に適正があるのかないのかは一目瞭然ね。

 彫尉 也撫斗は当然ながら戦闘に関する能力は皆無。 ただ、ガチャで色々盛っているので治癒に関しては相当なスペックを誇るわ。 戦闘に使えない事で嫌な顔をする者も多かったけどいざ、扱ってみると思った以上に有用だったみたい。 


 あらゆる傷を癒し、病を全快させる。 

 その規格外ともいえる能力によって彫尉 也撫斗の地位は順調に向上していった。

 同時に国内でも優遇される事となる。 他では癒せないような傷も病も瞬く間に治してしまうのだ。


 召喚した連中は彫尉 也撫斗を他国に対しての外交カードとして扱おうと考えたみたい。

 病に苦しむ権力者に治療という餌をチラつかせて有利な立ち位置を確保する。

 召喚した国は情報の扱い方に関しては中々に上手だったわ。 彫尉 也撫斗の有用性を早い段階で正しく理解し、その存在を秘匿。 他国へはその能力を付与した薬を送る事で本人を表に出さない。


 そうする事で常に有利に立ち回る。 他国からすれば召喚した勇者の能力だと疑ってはいるが、一切表に出てこないので全容が掴めない。 結果、権力者の生殺与奪を握る形になり徐々に勢力を広げていく。

 で、当の彫尉 也撫斗はそんな事は露知らず国の寄越す怪我人を癒し、言われた効果の薬を作って提出する。 医者というよりは患者を癒す工場ね。


 利用されていると自覚はしているけど困っている人間を助ける事は悪くないと思っているのか治療行為自体は喜んでやっているわ。 

 ついでに周囲からも癒しの聖人様とか言って持ち上げられるので悪い気はしないでしょうよ。

 そんなある日、彫尉 也撫斗の日常に変化が起こったわ。


 重要な外交カードである彫尉 也撫斗は行動の自由があまり利かない。

 その為、生活圏は非常に狭いわ。 それでも気晴らしに散歩できる程度の自由は許されていた。

 何も考えずにぶらぶらと道を歩いていると通行人を装った人物から手紙を渡されたわ。


 内容はさる高貴なお方が助けを求めているといった感じね。 

 恐らくは治療の順番待ちか国家間の仲が悪いからそもそも列に並べないか、治す価値なしと思われているかのどれかでしょう。 取り合えず話だけでも聞いて欲しいと書かれていたので止せばいいのに彫尉 也撫斗は一人でのこのこと待ち合わせの場所へと向かった。


 ……こいつは馬鹿なのかしら?

 

 何の為に自分の存在を隠されているのか理解していないみたいね。 噂程度は耳に入っているのに理解しないのは察する能力が低い事もあるけど本質的に風見鶏なので自発的に余計な詮索をしないからでしょう。 ある意味、気楽な生き方なのでこいつなりの処世術なのかもしれないわ。

 待ち合わせの相手は彫尉 也撫斗の国とは敵対関係にある国の王族で病で余命幾許もないとか。

 涙ながらに我が主をお助け下さいと懇願され、彫尉 也撫斗は迷わずに即答。 薬を作って渡す。


 受け取った敵国の者は涙ながらに感謝を何度も繰り返して去っていった。

 当人は良い事をしたと思い込んでいたけど、それが致命的な行動だったと気づくまでそう時間はかからなかったわ。 彫尉 也撫斗が助けた敵国の王族は非常に有能な将軍でもあったので、助けられた事を最大限に利用した。 具体的にはどうなったのか言うとあの国には聖人が囚われており、不当にその奇跡を行使させられている。 それをお救いするべきだと周辺国家に喚き散らしたわ。


 不治の病ですら完治させる薬の存在は有名だったのでその出どころが立った一人の人間であると分かればどうなるのかは言うまでもない。 周辺国家の全てを巻き込んだ大戦争の勃発だ。

 どいつもこいつもなんでも癒す万能薬――噂に尾ひれがついて最終的には不死の妙薬とか言われてたけど、それを求めて殺到したわ。 当然ながら早い者勝ちなので世界各国がお手軽に戦力を得る為に次々に異世界召喚を繰り返し、続々と転移者が戦線に投入される。 上手に飼いならしていた属国も残らず裏切って血みどろの戦火は瞬く間に世界全土に燃え広がったわ。


 ……いやぁ、凄いわねぇ。 もう参戦していない国ないんじゃないかってくらいあちこちで殺し合い始めたわ。


 死者数はもう数えるのが馬鹿らしい量でどいつもこいつも好き勝手。

 彫尉 也撫斗を保有している国は当然ながら集中して狙われるので街は瞬く間に火の海。

 窓から外を見ると変わり果てた都市が視界いっぱいに広がっていたわ。


 耳を澄ませば聖人様をお救いするのだという当人は一切望んでいない大義名分を掲げた者達が叫んでいる。 火の海になっているだけでなく様々な国の軍に取り囲まれており、逃げ場など一切ない有様だ。

 召喚して甘い汁を吸っていた国王達は逃げられないと悟り、捕まったら聖人を不当に扱ったとされて碌な目に遭わないのは目に見えていたので早々に服毒自殺。 この世からおさらばしちゃったわ。


 味方側の転移者はあっさり負けて見せしめなのか柱に縛られて火刑に処されて炭の塊になり、国民も聖人を不当に扱う邪悪な民として次々と無慈悲に殺されている。

 降伏しても無駄なので自殺するか城を守って死ぬまで戦うしか道はなく、勝敗の決まりきった戦いに身を焼かれていた。 


 その光景を見て彫尉 也撫斗はどうしてこうなったんだと空転する頭で考えていたけど、答えは分かり切っていた。 何故、自分の力と存在が秘匿されていたのかを考えずに取り合えずで救った結果ね。

 こうなった理由は理解できなかったけど、自分が原因である事だけは理解していたのでそこからの行動は早かったわ。 


 自らの能力で毒薬を精製。 そのまま呷って崩れ落ちた。


 「……ごめんなさいごめんなさいごめ……」


 口から泡を吹きながらぶつぶつとそう呟いて静かになった。

 

 ……うーん? 後先は考えた方がいい? 


 他者を助ける事は必ずしもいい方向に作用するとは限らない。

 そんなどうでもいい感想が出て来た。 割と斜め上の結果に終わったので意外性は少しあったかしら?

 正直、ちょっと面白かったわ。


 対象が死亡した事により接続が切れ、静かになった空間で私は一人佇む。

 そして待ち続けるのだ。 また波長が合う存在が現れるのを。

 次はどんな見世物で私を楽しませてくれるのかしら。 そんな期待に胸を膨らませつつ。


 私は次のガチャを引きに来る者を待ち続ける。

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