ある男の悩み

春根号

妄想に取り憑かれた男


 俺は鳴かず飛ばずの小説作家だ。

デビュー作こそもてはやされ、新進気鋭の推理小説を書く男と評されていたが、

段々と売れなくなっていき、出版部数は低空飛行を続けている。

宣伝などもなかなかうまく行かず、新進気鋭の作家は気づけば時流に取り残されていた古い作家となっていた。

かといって小説以外の生業がない俺は、家の書斎にてネタを煮詰めていた。そんなネタのアップデートができなくなった、だめな小説作家だった。

そんなある日、私に一通の手紙が届く。


 その一通の手紙に、俺はひどく狼狽した。

その手紙は、2020年の夏より一つの妄想に取り憑かれた男のものであった。


ーーーーーーー


 その日、私はいつものように書斎にいた。

ペンと原稿を片手に頭を抱えていると、テーブルに置いていた携帯端末に通知が届いた。

通知を見るとどうやら配達が届いたということであった。

ネタを煮詰める作業から逃げられる喜びを覚えつつ、そんなもの覚えてしまってはいけないと自責しつつ私は椅子を立ち、端末を懐に仕舞って玄関へ向かった。


扉を開けると、配達用ドローンが小さな駆動音で飛んでいた。

端末をドローンにかざして電子署名を済ますと、ドローンから荷物を受け取った。

荷物はやけに冷たい箱と、それに貼り付けられた一通の便箋だった。


これはなんなんだろうか、と思い家に戻って箱を開けてみると、それは見事に作られた右手があった。

質感はやけにリアルで、まさしく本物の手のようにも思えた。手の甲には引っ掻いたのか傷跡のような線が何本か入っていた。

私のグロテスクな作風のせいかこういった手合の悪戯はよくあるものだ。

よくできたリアルな作り物で私を驚かせようという魂胆なのだろうが、慣れとは怖いもので観察する余裕すらあった。

箱にも便箋にも特に送り主の情報はなく、端末の受け取りデータにも特に記載がなかった。箱を閉じて便箋の封を開けると、中には一枚の手紙が入っていた。


その内容が次のようなものであった。


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拝啓 御園 空 先生


 突然、お手紙を差し上げることとなってしまい大変申し訳ございません。

私は先生の作品のファンでございます。デビュー作を初めて読んだときの衝撃は今でも忘れられません。

その後の作品もどれも先生の考えや小説への思いなどが赤裸々に感じられ、推理小説というよりは先生の人生を推理小説から読み解いているような気分でございます。また、リアリズムに迫った人体のグロテスクな描写も私を惹きつけることとなりました。


そんな先生に一つご相談させていただきたく、この度このような形でご連絡をさせていただきました。

難しい相談ではございません。私は人でしょうか、アンドロイドでしょうかというご相談でございます。


何を馬鹿なことを聞くのだ、とおっしゃるかもしれません。

しかし、ほんの少しこの手紙を読むお時間をいただければと思います。


 私は、東京都の生まれでございます。母からは3205グラムで生まれ、健康に生まれたと聞いております。

生後まもなくは母方の実家にて、母と祖父母とともに暮らしていたとのことです。

出産直後、母の体調がなかなか優れず様子を見ることも兼ねて実家にいたそうですが、実際は祖父母が私を可愛がりたかっただけと母から聞いたことがあります。

 その後、無事母の体調も正常となった折に今住んでいる家に戻りました。父親は何分仕事熱心な気質ではありましたが、ようやく日常に自分の子供が混ざってくるということでこれまた甘やかしたそうです。母は祖父母と父がこんなにも様子が変わってしまうなど、赤ちゃんとはなんと罪な生き物なんだろうかと笑ってしまったそうです。


 そういった過保護な時期を経て私は立ちます。比喩ではなく二本の足をもって立ち上がるのです。

この記憶は鮮明に覚えております。母が食事の支度等で台所に向かう際、追いかけるようにしてつかまりだちをいたしました。

それを間近で見た父の顔は、嬉しさと驚きとリアクションに困った顔が同居しており、下手なひょっとこ顔よりひょっとこ顔であったと思います。

テーブルを掴んでたったはいいものの、あまりの父の顔のおかしさに後ろに転げて笑ってしまいました。

その後父は自分を心配しつつ母に「立った、立ったぞ!」と大声で叫んでおりました。


 このように今でも小さな頃の記憶もしっかりと記憶しており、その情景も瞳の裏に浮かんできます。


 そのまま順調に小学校、中学校、高校そして順当に大学へ進学いたしました。大学へ進学したのは2005年の春でございました。

日頃の努力の甲斐もあり、難関大学に無事入学します。

大学ではそれまで以上に熱心に勉学に励み様々な研究に携わり、また自分自身も様々な研究成果を世に出すこととなりました。

とりわけ、注力していたのはロボット工学でございます。単なる動く機械から不気味の谷を超えた人間らしいロボットを作ろうと力を注ぎました。

残念ながら、こちらは私の代では終わらず後輩へ託すこととなりましたが大変素晴らしい研究でございました。

研究の際に関わった様々な縁もあり、有名な企業へ入社することも決定しておりました。そしてその夏でございます。


 2010年の夏、私は事故に遭いました。

大型の無人輸送車に轢かれて重体だった、と聞いています。その時点では、治療が困難で延命措置を施し、将来的に治療の目処がたつのを待つこととなりました。

そして10年後の2020年の夏、ようやく治療の目処がついたということで、私は満身創痍の植物人間状態から一般的な人間に回復したのです。

回復後のリハビリは過酷の一言に尽きます。手足はろくに動かず、ベッドから立ち上がることすら最初は困難でした。

医師やリハビリを手伝ってくださる療法士の方々、サポートマシンの手助けもあってリハビリ開始から1年、私は退院する運びとなりました。


 退院後、ようやく生家へ帰ると母は泣いて待っておりました。ただずっと良かったと繰り返していました。思わず申し訳ないと謝るといいんだよと励ましてくれました。

しかし、職もなく研究からも離れた私はすることがなく、事故時の莫大な慰謝料を徐々に切り崩しながら生活しておりました。

母は私の退院後しばらくして亡くなりました。大変親不孝な私でしたが、生きている間にこうして話せたことはほんの少し親孝行ができたのだろうか、と考えております。

母が亡くなったことで、日頃することが加速度的に減っていきました。

趣味を探していたその折に先生の本を目にし、最初の1冊から虜となってしまいました。先生の本が出るたびに読ませていただきました。

読書以外にも様々なことをひっそりとしておりましたが、やはり読書が一番私の性に合っていました。


 しかしながら、考える時間が多いと余計なことを考えてしまいます。私は一つの妄想に囚われてしまいました。

様々な事情が重なり、私自身手術や治療の内容を全く伏せられております。そのため私がどのように植物人間状態から回復したのか、知る術がございません。

そう例えば、治療ではなく機械の体に私の記憶を全て精巧なまでに転写し、そして気づかせないようプログラムを組んでしまえば何も自分ではわからないのではないか、と。

「私は人間なのだろうか、アンドロイドなのだろうか」

これが私の妄想であり、悩みでございます。

小さな頃の記憶を覚えている私は確かに『私』であると言えます。

しかし同時に、精巧に転写された記憶とその補助の映像風景を海馬ではない記録装置に保存したアンドロイドなのではないかとも。


 事故時に大きく損害を受けた手の甲を小刀で傷をつけようとしましたが、うまく自分で傷をつけることは叶いませんでした。

アンドロイドの防衛機能ではないか、と更に妄想は深まっていきます。結局直接的に傷つけることはできませんでした。

また運良く傷つけ、確認をしたところでアンドロイドの防衛機能が働き機能停止、そして全てがまた消去され何もわからないまま繰り返すのではないか。


 妄想が妄想を深め、螺旋階段を下っていくように思案することは増えていきました。そんな中で一つの閃きを得ました。間接的に傷をつけ、それを誰かに確認してもらうことはできないだろうかという閃きでございます。

時間経過により落下するギロチン装置、手首を固定する器具と私を動けないようにする椅子を用意いたしました。また、ドローンを利用し切断後の手首を冷凍箱へ移し、自動で先生の元へ届くよう設定を施しました。


この手紙をしたためた後に私は手首を切断します。

先生にはその手、断面を観測し確定してほしいのです。


私は人でしょうか生身の断面かアンドロイドでしょうか機械の段目か、ということを。


改めて、突然の手紙にこうしたご相談をしてしまい申し訳ありません。

私にはもう先生しか頼れる人がおりませんでした。

敬具

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 手紙を読み終えた俺は、改めて届いた箱に目を向けた。手が入っている箱を。

冷たい箱の中から手を取り出して、持つ。

恐る恐る腕の断面を覗き込むと俺は嘔吐した。

手の断面中央には小さな隙間の空いた骨が見え、骨の周囲には脂肪や筋肉らしきものが詰まっていた。

グロテスクな小説を書いている俺が、実物に直面しあまりの衝撃に朝飲んだコーヒーと胃液の入り混じった液体を吐き出してしまった。

この手紙と手は人間のものであった。


そして、俺も同様の妄想に取り憑かれることとなった。

「俺は果たしてスランプに悩む人間なのか、創作できなくなったアンドロイドなのか」






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