第2話
劉徹が齢十六となる時、彼の父である劉啓が崩御した。劉啓は景帝と諡され、劉徹は即位した。韓嫣の官位は上大夫、衛尉となり専ら軍備に勤しむようになる(※韓嫣は上大夫になったとの記載があるだけで実際は不明。景帝の代の衛尉である直不疑が御史大夫になって元光元年に隴西の李広が任せられるまでの記載はない)。馬を管理する太僕であった公孫賀と共に積極的に騎兵の訓練を行い、着実に匈奴を伐つ準備を進めていた。しかしながら執務が終わり夜になれば帝となった劉徹と褥を共にする、とはいえ情事が終われば登用や軍備の方針の論議を彼と真面目に行うのであった。匈奴との戦が始まれば韓嫣は将軍となり西域を駆けることになると誰もが確信していた、韓嫣と劉徹の二人だけでなく、宮廷の者達は皆そう思っていた。韓嫣は優れた武人であった韓信、韓頹当の後であり、また彼の騎射の腕前は誰もが知るところであったから。このように見れば韓嫣はその身を公私にわたり天子に捧げ、忠実に職務を行っているだけであるが何かにつけて天子と共に並ぶ韓嫣は妬みの念を多くの者から向けられるようになる、それは皇后となった陳氏、そして天子を傀儡にしようとした太皇太后(※劉徹の祖父にあたる文帝劉恒の后、竇氏の事を指している)だけでなく、男たちからもであった。後宮の女たちや宦官が権力を持つ理由、それはひとえに天子の側にいるとから、いう事である。実際、韓嫣は自らと同じように西域とのつながりのある人物の登用を天子にしきりに勧めていた。天子の寵愛をその一身に受け、夜な夜な二人だけの場で行われる提言は天子が全て受け容れるだろう、彼自身、才覚のある人物であると言う事は広まっている事であったが、情愛によって出世した佞臣と区別のつけようはない。そんな韓嫣を面白く思わない者達は何も皇后だけではないのだ。
一方で劉徹は即位の一年後に一人の美しい女を見初め夫人とした、衛子夫である。韓嫣と起臥を共にする日は当然これまでに比べて少なくなるのだが彼はその事に嫉妬などしなかった、寧ろ彼は衛子夫の弟である一人の男に目を付けた。ある夜、劉徹と褥を共にし衛子夫の話を彼から聞いている際に、彼女の弟・衛青の事を知った韓嫣は、彼を登用することを帝に勧めた、龍陽君の様に後釣の猜を抱くようなことをせずに。
「その衛青と言う男、聞くところ羊の放牧で幼いころから馬に乗り、更に匈奴と接する北方に生まれた事から彼らの事も知っているでしょう、更に騎射にも優れるとの事。匈奴は水源を結ぶように移動をすると聞いております、地形を読むこと、そして新しい匈奴の事情を知っているものこそが遠征を成功させるためには必要なのです。小臣のように伝聞で祖父の時代の匈奴の事を知っているだけの者よりも匈奴征伐を率いるのに向いているやもしれません。小臣のように……」
「王孫、周りのやっかみなど気にするでない。そなたが匈奴を討つ軍勢を率いるのだ、朕にはそなたが彼奴らを蹴散らして進む姿が見えておる」
その言は彼に高揚感を与える、自分が軍功を挙げる様を天子が見えると言っているのだ。勿論、それで高慢になり職務を疎かにするような愚鈍な男ではない、韓嫣は寧ろこれまで以上の鋭意で練兵に取り組み軍略を練ろうとするだろう。
「然しながら、衛青も美しい、朕好みの男であった」
「彼も小臣のように彘を慕ってくれれば良いですが……」
「例えそうなったとしても朕をそのように呼んで良いのはそなただけだ」
その言を聞いた韓嫣は劉徹に覆い被さる、その様は帝が女は抱く時には見る事の出来ないものだ、何しろ韓嫣の背丈は高い、包まれているような感覚を得ることが出来るのだから。二人の陽のものは固く立ち上がっていた。
「さぁ、朕に跨り騎射をするのだ」
韓嫣の勧めにより、劉徹は衛青を取り立てた。衛青は公孫賀や韓嫣のもとで匈奴を討つ将軍となるために研鑽に勤めていくことになる。衛青は世間からは外戚であるから重用されているだけ、とみなされていたが次第にその巧みな騎射や中原の事しか知らない騎兵たちに多くの知識を与え一目置かれるようになる、そう、韓嫣が思ったように衛青には極めて優れた将としての才覚があった。韓嫣、そして衛青がこのように世間からある程度の名声を獲得していくことが気に食わない者たちがいる、隴西の李一族である。李広は文帝の代から仕える射御に優れた騎士であり、その頃から匈奴との戦で功があり皆から慕われている人物であった。呉楚七国の乱においても武功を重ね、西方や北方の太守となった後は巧みな守戦で幾度も匈奴から国土を防衛することに成功している叩き上げの軍人である。時には数千に及ぶ匈奴の軍勢の侵攻を数百騎の手勢で巧みに騙し追い払うこともあった豪胆さと武勇そして知略も兼ね備えた真の名将である。李広には三人の息子がおり、そのうちの一人は李当戸という人物だった。ある日、李当戸が招聘を受けて宮城に向かい執務を終え帰路に向かおうとしたときに劉徹と韓嫣が並んで歩いている所に出くわした。彼は武功のあった父を差し置いて出世した韓嫣の事を良く思っていなかったがその時は素直に平伏した。噂に聞きし韓嫣の姿を見た彼は、成程、八尺五寸あったと言われているあの韓王信の様に体躯は人並外れているがその身体は細く女子の様な可愛らしい顔で如何にもな佞臣だ、と感じた。しかしながらだからと言って恨みや妬みに任せて彼らに口を挟むつもりは毛頭無かった―――いくら気に食わない人物であったとしてもそんなことをしてしまえば李家に迷惑がかかる、それくらいのことは李当戸は弁えていた。だが、彼は韓嫣の言葉を聞いて思わず殴打した―――天子を彘―――ブタと呼んでいたからだ。韓嫣の身体はその細さに見合わず頑強で彼の殴打を受けても微動だにせずにただ立っていただけであった、殴り返すこともせず、ただ天子の顔を見ただけであった。彼は殴り返せば劉徹の顔に泥を塗る、かといって何かを言えば劉徹が自分の事を庇い李当戸に罰を与えるかもしれない、何より飛将軍は優れた、特に守戦に優れた将であり李家との関係を拗らせば取れる戦術の幅も狭まるだろうし、匈奴との戦いで足を引っ張られるやもしれない、そう思うとただ何もしないということを選ぶほかなかった、押し黙り忍耐する胆力が韓嫣にはあった。はっ、と我に戻った李当戸はその短絡な行為を恥じ再び天子にひれ伏した。
「陛下、無礼をお許しください」
「面を上げよ、そなたは確か隴西の飛将軍(※李広の武を恐れ匈奴は彼の事をこう綽名していた)の子であったな。王孫の朕に礼を失した言葉を正そうとしたその気骨、やはり真の武人の子なりと感じ入った。そなたが宮中で狼藉を働いたことは不問とする」それから続けて、「王孫、気を付けよ、もう昔とは違うのだ」と李当戸の顔を立ててそう優しく叱った。劉徹は雄材大略でありまた懐の大きい人物である、という評は間違っていないと彼は感じたが、それと同時に強く韓嫣の事を心の中で侮った。
数日後の夜、彼は父である李広と盃を交わしていた。李広はすでに彼が韓嫣を殴打したことを聞き及んでいたが、こちらから何か息子に対して言葉を掛けようとはしなかった、責めることになるのではないかと案じていたのだ。韓嫣や衛青が武帝に見いだされて寵愛されているのに対して、古参であり武功のある自分の官位が中大夫・上群太守から上がらない事への憤りも交えた殴打を叱責しても、また彼を慰めたりしても自分の格に傷がつくと思ったからだ。清廉であるとされる李広を指して桃李成蹊と謳われることがある、それは確かに彼の本質ではあるものの、彼は心中で賢しい計算の働く人物でもある。衛青もすでに兵卒に極めて優しくその人格を慕われているものの、ある時高貴な相があると言われても奴隷の様に扱われ殴られることの無い人生を歩めれば良いと謙遜したことを卑屈だとも言われており、心中では彼のことを侮っている兵卒も多い。李広はある種、優しさを持ちながら陰で侮られることの無い絶妙の生き方を演じているとも言える。
「父上、当戸は韓衛尉を殴りました。彼は陛下を彘と呼んでいたのです」
「存じておる、そなたの心の内は広にも痛いほどよく分かる。広の事を慮り憤ってくれたことを嬉しくすら思う……」
李広も韓嫣という人物の噂を聞いていた。何より彼の祖父である弓高候の事を良く知っている。あの知略も兼ね備えた膂力過人の偉丈夫の後であり、そしてその弓の腕前を知らぬ者はいないとなると相当な人物であるというのは想像に難くない。そして自分自身が何度も匈奴と剣を交え胡騎を射落としてきた身として感じることは、そのような人物が匈奴の内情を良く知っているとすればこの老骨がお払い箱になるのでは、という危惧もしている。だからただ息子の心を傷つけない言葉を選んで発し、濁った酒に目を落とすだけだった。
「父上、お聞きください。あの韓王信や弓高候の後でありながらあの男、羽根で飾った冠や貝を飾った帯でその身を飾り白粉を払い紅を塗りたくるような、女子の様に嫋かな振る舞いをしているばかり。嗚呼、まるで、ああ、彼奴の曾祖父である韓王信の様に自らが敗れることが分ればあのような男はすぐに匈奴に降るのでしょうな、陛下は分かっておらぬッ!射御、そして撃剣に優れると噂されるものがあのような情けない……ッ!直卿(※景帝の代に衛尉、御史大夫を歴任した直不疑のこと)の後釜があのような男など……何故父上で無いのですかッ!」
息子の言わんとすることは李広には痛いほどわかる、自らの心の内の静かに沸き立つ憤りを代弁してくれているのだから。しかし彼はただ静かに息子を諭すのであった。
「殴打したあとの韓衛尉はどうだった。一歩も動かず沈黙していたようだが、お前を殴り返さなかったのは気骨に欠けた人物だったからか?違うだろう。陛下の顔を立てておるのだ、寧ろ泣き言を陛下に言ったり軽率に殴り返したりしない胆力を持ち合わせているのだ。それに、武人であるのならば彼の武を感じただろう。……韓候は当に武人であった。偉丈夫であり、騎射の腕前に優れ戦功もあるにもかかわらず驕ることは無く寡黙、韓王信の不義を赦した文帝陛下への強い忠義、その出自による誹りに堪える強い忍耐を持っていた。彼は―――弦を引けば敵を倒し、騎兵を率いて恐れることなく自ら前に出た、誰もがまずその轟雷のような矢の音に震え、偉丈夫が振り回す戟に恐れを為したのだ。勝てる将を愛さぬ兵など居らぬ、先に立つ将を慕わぬ兵は居らぬ。韓衛尉もまたその後であり武人としての血を確かに、濃く引いたもの。その姿貌が美しい女子の様であっても侮るではない。其方は、いや広も彼と肩を並べて戦うのだ、あの憎き胡人共を除くために」
「しかし……」
「よい、そなたの気持ちはわかる。しかし陛下はお前も韓衛尉も許したのだ、良いではないか。陛下は公道を布す方だ。必賞必罰、広がさらに戦功を挙げれば必ず報いてくれる」
そう言って李広は息子の肩を叩いた。然しながらその優しげな笑みの奥底では彼の台頭への焦りを感じていた、つまり、匈奴に詳しい者達が太僕公孫賀が養う多くの馬たちと優れた騎兵で匈奴と相対した時、自分が何らかの戦功を挙げることが出来るのかと。大規模な遠征に於いて、自分が任されるのは恐らくは主軍や後詰めだろう、孫子では行軍は難しくそれを問題なくこなせる将は優れているとしている、一方で勝ち易きを確実勝つ、善く戦う者は優れた将であるにも関わらずその名は知れ渡らずに勇功無しと見られてしまうとしている、嘗て自身が十倍の兵で侵略してきた匈奴をごく僅かな損害で追い払ったように、そうした派手な功が無ければならない、いやそれでもだめなのかもしれない、打ち破っている訳ではないのだから。それは自身が得意とした対匈奴における守戦―――盾で固く守りその隙間から弩で攻撃を加えながら、機を見て少数精鋭の騎兵を率いて虚を突いて追い返すだけでは果たすことが出来ないのだ。李広はその心の中に生じた暗雲、それは即ち聡くなければ戦には勝てず、しかしある種の愚かさを持たねば大勝することが出来ないという、当しく矛盾、その曇りを打ち消す様に優しい笑みを浮かべながら、自分の不遇を嘆き慟哭する息子を抱きしめ肩を叩くしかないのだ、周書にあった美男破老という言は強ち間違いではないな、そう心の中で思いながらもその素振りは一切見せずに。
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