竜虎相搏(4)

 理由の一端は疲労だった。ベルは自分自身が化け物である自覚をしているが、それはあくまで耐久性に関する話だ。いつまでも走り続けられるだけの持久力は備えつけられていない。


 当然のように疲労の限界は存在し、それが足を止めた部分もあるのだが、そのことに気づくまで、一緒に走っている二人は立ち止まろうと考えてもいない様子だった。ベルは少し先で足を止めたアスマとシドラスを目にして、僅かな苦笑も浮かばない。


 あの二人の方こそ、本当の化け物ではないのか、と考えそうになるが、冷静に考えたら、一人は間違いなく化け物と呼ばれる存在だ。その思考が何の間違いでもないことに気づいて、そう思った自分の発想が恥ずかしくなる。


「どうしたの?」


 不思議そうにアスマが聞いてくる。若干の疲労から息は荒いが、それでも、まだ走り始めてからそこまで経っていないと言わんばかりの様子だ。距離もそうだが、速度も十分だったはずなので、それでここまで疲れていない点はやはりおかしい。


 そう、おかしい。自分が思ったことに納得しながら、ベルは口を開いていた。


「流石に……おかしくないか……?」

「おかしい?」

「何のことですか?」


 不思議そうに顔を見合わせる二人を前にして、自分達の体力のことも言っているのだが、とベルは言いたくなったが、それは今の本題から外れることだ。今回はその言葉を飲み込むことにして、ベルは立ち止まった理由のもう一端を思い浮かべた。


「これだけ走って、一切、ハクに追いつかないのはおかしくないか?」


 荒れに荒れた息を無理矢理に押さえ込み、気合いのままに呼吸を整えながら、ベルは二人にそう聞いていた。二人はすっかり整った息を携え、さっきまで自分達が向かおうとしていた方向を見つめ始める。


「確かに言われてみれば……」

「走ることに必死で忘れかけていましたが、これはハクさんの追跡でしたね」

「いや、忘れるなよ。マラソンの練習に来たんじゃないからな?」


 二人の反応にベルは途端に不安な気持ちを膨らませながら、息がある程度は整ったことを確認すると、アスマやシドラスとは対照的にここまで走ってきた道を眺めていた。


「どこかですれ違ったか、隠れていたんじゃないか? そうじゃないと、流石にここまで見つからないとは考えづらいだろう?」

「確かにそうですね。どこかで行き違えたのかもしれません。もしそうだとしたら、ここは一度、戻った方が良さそうですね」


 進路からここに至った経路に目を向け、シドラスがそう呟いた。アスマもその声に反応するように振り返って、同じように振り返ったベルと視線が交錯する。


「戻ってハクを探すんだね?」

「それも可能であるならそうですが、それ以上に私達をもしも撒いたのなら、その次に取る行動は次を有利に進めるためのものだと思うのです」

「次を有利に進めるためのもの?」


 アスマはシドラスの言い回しが何を示しているのか分からず、疑問を懐いた様子だったが、ベルはほんの少し前にシドラスが戻ると提案した時点で、恐らく、シドラスが考えていることと同じ場所に辿りついていた。


「つまり、またイリス達が人質に取られる可能性があるということだ」


 ベルの回答にシドラスが首肯し、アスマは隠し切れない驚きを両目に表していた。ここで再びイリス達が人質に取られれば、今度こそ、ハクの凶行を止められないかもしれない。そうならないように、ハクが再びあの家に戻って、そこにいるイリス達を捕まえようとする動きを止めなければいけない。


 ベル達はそれ以上の話し合いを必要とせず、その場の空気が満場一致であることを確認して、一斉に引き戻そうと踏み出しかけた。


 その時のことだった。


 ドン、と強い音が立って、凄まじい衝撃が高木を押しのけるようにベル達の元まで伝わってきた。衝撃の凄まじさに高木は傾き、その足元に立っているだけのベル達は大きく体勢を崩し、その場に転がりながら、衝撃の伝わってきた方に目を向ける。


「えっ……!? えっ!? 何!?」


 隠せないほどの戸惑いを剥き出しにしながら、アスマが左右に頭を振っている。何が起きたのかと確認し、何が起きたのかと質問しようとしているようだが、当然のようにベルにもシドラスにも何が起きたかは分からない。二人共、アスマと何も変わらない驚きに満ち満ちた表情で、きょとんとすることが精一杯だ。


「何が起きたの!?」

「分かりませんが、信じられない衝撃だったことは間違いありませんね。魔導兵器がぶつかり合った余波のような、戦場でもほとんど感じない衝撃がありました」


 ただ慌てふためくアスマとは対照的に、シドラスが味わった衝撃を冷静に分析したことで、ベルは恐らく、シドラスも抱えたであろう不安を同様に抱え始めていた。


 シドラスの口にしたことは、シドラスがこれまでに感じたことか、聞いたことのある似たものかは分からないが、そのどちらにしても、シドラスがただ王城で過ごしているだけでは感じることのないものだったということだろう。


 そこまでの物であるなら、その感覚は大きく違えることなく、最初に感じたものが近しいはずで、もしそうであるなら、これは魔導兵器がぶつかり合ったことで生まれた衝撃ということになる。


 この森に魔導兵器が運び込まれたとは考えづらい。


 だが、魔導兵器に匹敵する力が存在することは知っている。隣にあるアスマがそれ以上の規模の魔術を振るおうと思えば振るえるように、竜であるアクシスも魔導兵器ほどの魔術を生み出すことくらいは簡単なことだろう。


 問題は、今の衝撃がシドラスの感想に近しいものなら、単体では到底生み出せないという事実だ。アクシスが何かと魔術をぶつけ合い、今の衝撃が生まれたとしたら、その相手もアクシスに匹敵する力を持っていることになる。


 魔王であるアスマはここにいるので違う。それ以外に該当する人物がいるだろうかと考えた時に、ベル達はあまり想像したくない最悪の候補が思い浮かんでしまう。


 その候補はさっきまでベル達の前にいながら、今はちょうど姿を消し、どこに行ったか分からなくなっていた。


「ねえ、今のってさ、アクシスじゃないよね?」


 アスマが何かに気づいたのか、不意にそこまでの表情を消し、神妙な面持ちで衝撃の飛んできた方に指を向けた。


 それがベル達の中に膨らむ疑念を確信染みたものに変え、ベルとシドラスはほとんど同時に走り始めていた。そのことに気づいたアスマが慌てて二人の後を追ってくる。


「ねえ、どうして急に走り出すの!?」

「嫌な予感がする!」

「考えたくないことですが、考えてしまっている自分がいるんですよ!」


 ベルとシドラスは膨らむ不安を発条に変え、走る速度をどんどんと上げていた。さっきまでの疲れはどこに行ったのかと自分で思うほどに身体は軽く、息の乱れも驚くほどに少ない。


 やがて、ベル達の前に森の異変とも言える景色の変化が現れた。広場のような開けた空間があるのだが、その周辺に立つ高木が異様なほどに黒く、何より焦げ臭い。


「燃えてる……?」


 アスマがぽつりと呟いた直後、ベル達は三人揃って、その空間に飛び出していた。不安は緊張へと変わり、そこに何がいるのかと疑問を懐きながら、ベル達は開けた空間で頭を動かす。視線は彷徨い始めてから、すぐに留まる場所を発見し、そこに立つ青いドラゴンを見ていた。


「やっぱり、アクシス!」


 アスマがその姿に思わず叫んだと、ほとんど同時のことだった。同様にアクシスの方を見ていたベルとシドラスが、その視線の向かう先に気づいて、それを確認するように首を動かす。


 そこでアクシスと同じほどの大きさを誇る、黄色いドラゴンが立っていることに気づいた。


 二人はその姿に愕然とし、口をあんぐりと開けたまま固まってしまうが、遅れてドラゴンに気づいたらしいアスマは、そこに立っている姿を発見するや否や、湧いてきた言葉を止められなかったようにぽつりと呟いた。


「ドラゴン抗争だ……」


 冗談のつもりか、知っている言葉をただ零してしまっただけなのかは不明だが、この言葉は奇しくも的を射ているものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る