竜虎相搏(3)

 こちらに迫る巨大な影を前にして、イリス達はただ呆然と眺めることしかできなかった。ゆっくりと大きな足音を立てながら、こちらに迫ってくる影はやがて広場に到着し、そこでようやくイリス達に姿を見せてくる。


 広場に降り注ぐ月明かりに照らされ、キラキラと輝く表面は白い宝石に覆われているように見えた。それが鱗であることに気づいた時には、鋭い爪や牙を携えていることが分かり、その既視感のある姿に驚きを覚えたと同時に、そこに立つ影が大きく背中の翼を広げた。


 それは広場全体を覆うほどの大きさで、ほんの少し前まで月明かりに照らされていたはずのイリス達は一瞬の内に、影に覆われることになった。


 その大きさと迫力に唖然とし、イリス達が言葉を失っていると、ゆっくりと開かれた翼が折り畳まれ、そこに立つ存在がこちらを見下ろしてきた。まるで伸びでもしていたかのような気楽さで、こちらに立っている人物の数でも数えるように、広場の中を見回している。


「白い……ドラゴン……?」


 広場を見回す瞳を見つめながら、ソフィアが驚きを隠せなかったように声を漏らしていた。こちらを見下ろす姿はアクシスよりも大きく、背中を伸ばして翼を広げれば、サラディエの高木から頭が突き出るほどだ。


 それほどのドラゴンが目の前に立って、こちらを見つめてきている。アクシスの知り合いかと考えながら、イリス達は戸惑いと若干の恐怖を懐いていた。


「結構、いるなぁ」


 不意にドラゴンが口を開いて、間延びした声を漏らした。イリス達を見回しながら、数を数えるように手を動かしているが、うまく数えられないのか、何度も数え始めては途中で止まり、再び最初から数え始めるということを繰り返している。


「何人だぁ? 何人? これぇ、何人?」


 白いドラゴンが指を伸ばし、イリス達に質問をしてきた。数えていたのではないかという言葉を飲み込み、イリス達は戸惑い交じりの視線を交わす。


「数えていたんじゃないの?」


 そこでソフィアが一切、何の遠慮もなく、イリスが飲み込んだ言葉を口にしていた。やや蔑む目でドラゴンを見つめ、ドラゴンは困ったように頭を掻いている。


「数字は苦手でぇ。1とか2くらいまでは分かるけど、3から分からなくなるんだぁ」

「そう言って努力しないから、いつまでも数えられないのよ。ゆっくりでいいから、頑張りなさい」

「ええぇ~?」


 何故か白いドラゴンを激励するソフィアに促され、白いドラゴンは再びイリス達の人数を数え始めていた。途中で詰まっては最初に戻って、再び数え始めてもやはり途中で詰まって、また最初から数えるということを何度も繰り返し、そろそろ諦めるのかと思った頃に、ようやく数えることに成功していた。


「5ぉ! 5だぁ!」

「そうよ、正解。良く数えられたわね」

「やったぁ! ありがとぉ! 初めて、ちゃんと数えられたぁ!」

「なら、今日は記念日ね。ちゃんとカレンダーにチェックを入れておかないと」

「そうするよぉ」

「ところで、貴方は誰?」


 打ち解けた雰囲気を醸し出しながら、ようやくソフィアがイリスも疑問に思っていた本題を口にした。最初から聞きたくて堪らなかったが、ソフィアと白いドラゴンの雰囲気から、イリスだけでなく、その場の全員が空気を読んで、何も聞こうとはしていなかったことだ。


「俺ぇ? 俺はドラゴンだぁ」

「それは見たら分かるわよ。名前よ、名前。ないと呼ぶ時に不便だから、ドラゴンでも名前くらいはあるでしょう? それを教えて欲しいのよ」


 ソフィアの質問に白いドラゴンはきょとんとした表情を浮かべ、ポリポリと頭の天辺を掻いていた。何かを考え込むようにゆっくりと視線をイリス達から逸らし、それからようやく思い出したように、ああと口を開いてイリス達の方を向いてくる。


「モンスーン。そう呼ばれていたぁ」

「モンスーン。モンスーンね。良い名前ね」

「ありがとぉ」

「じゃあ、モンスーンに聞きたいのだけれど、貴方はどうしてここにいるの? 何か目的があるの? アクシスとはお友達?」


 ソフィアが名前を知り得たところから、一気に踏み込むように質問を畳みかけた。それを聞いたモンスーンは目を白黒させて、大きな頭を地面に倒れ込みそうなほどに深く傾げている。


「いろいろと聞かれても分からないからぁ。一つ一つ、ゆっくりでお願ぁい」

「ああ、そうよね。急にいろいろと聞かれても混乱するわよね。えーと、じゃあ……どうして、ここにいるの?」

「どうしてぇ? 誘われたから、来たぁ」

「誘われた?」

「そぉ。来ないかぁってぇ」

「それはアクシス?」

「違ぁう」

「じゃあ、ハク?」

「違ぁう」

「じゃあ、誰?」

だよぉ」

「ああ、レック……」


 モンスーンからの返答にソフィアは納得したように頷きかけて、途中で思わず言葉と動きを止めていた。「えっ?」と驚きの声を漏らしながら顔を上げて、ソフィアは思わずエルと顔を見合わせている。

 エルも同様に驚きの表情を浮かべ、それを見たイリスはゆっくりと事前に聞いていたアクシスの話を思い出していた。


 現代の竜であるアクシスは竜となった翌年――つまりはアスマが誕生した翌年――竜に最も近く、竜になれなかったドラゴンに襲われ、サラディエの地が大きく変化するほどの争いが起きた。


 後にドラゴン抗争と呼ばれるその争いを起こした、アクシスを襲ったドラゴンの名前が、イリスの記憶違いでなければ、レックスだった。


 つまり、モンスーンはアクシスと敵対している可能性が高いドラゴンに連れられ、このサラディエの地を訪れた。そこにきな臭さを覚え、イリスが少しずつ不安を懐いていると、ソフィアは更に突こうと思ったのか、再びモンスーンに質問し始めた。


「それで貴方は何をしに、この場所を訪れたの? 何か目的があるのよね?」

「目的ぃ? 目的はぁ……」


 そう言いながら、再び目を逸らすように顔を上げて、モンスーンは自身の目的を思い出し始めたようだった。そこまで忘れているのなら、レックスの話も本当に間違いではないのかとイリスは考えてしまいそうになるが、何かを思い出したように再びこちらを向いたモンスーンが、その考えを吹き飛ばす返答を口にする。


「ああ、思い出したぁ。ためだぁ」

「竜の子を攫う……?」


 ソフィアがモンスーンの返答に眉を顰めて、思わずそう聞き返していた。イリスもあまり良い表情はできず、モンスーンの言葉を疑うように見つめていると、モンスーンが大きな頭を振るって、肯定するように頷いてくる。


「そぉ。レックスから聞いたんだぁ。竜は人間を飼っているってぇ。その人間を攫えば、竜も簡単に殺せるってぇ。竜が死んで、レックスが竜になったら、俺にもご褒美をくれるってぇ。だから、攫いに来たんだぁ」

「竜を殺す……?」


 モンスーンの説明に含まれた物騒な内容を聞いて、イリス達はようやく何が起きているのか、正確に把握しようとしていた。ここにはモンスーンの姿しかないが、きっと他の場所にレックスがいて、今頃、アクシスを襲っているのかもしれない。


 今はアクシスも抵抗できているだろう。

 だが、ここでモンスーンがミカを連れ去り、人質として利用すれば、アクシスは手も足も出せずに一方的に嬲り殺されるしかない。


 そのためにレックスはモンスーンを連れてきた。


 そこまで理解したイリスがゆっくりと後退って、ミカとタリアに近づこうとする。モンスーンがミカに気づく前にタリアに頼んで、この場から離れてもらおうと思っていた。


 しかし、モンスーンは想定外のことを口にする。


「けど、、驚いたぁ」

「多い……? 何が多いの?」

「まさか、なんて、思わなかったぁ」


 そう言われてから、イリスはさっきモンスーンがその場の全員を数えていたことを思い出す。イリス、ソフィア、エル、タリア、そして、ミカの五人がその場にいるが、モンスーンはその全員がアクシスの子であると思っているようだ。


「いや、ちょっと待って。私達は別に竜の子じゃ……」


 ソフィアは否定しようと口を開くが、モンスーンはそこでかぶりを振って、ソフィアの言葉を遮った。


「森の中にいる人間は竜の子だけぇ。そう言われたから、間違いなぁい」

「いや、だから、それが誤解で……」

「嘘はダメェ。竜の子は全員、捕まえるからぁ」

「ちょっと一回、ちゃんと話を聞きなさい!」


 ソフィアはモンスーンを止めるためにそう叫んだが、その声は既にモンスーンには届いていない様子だった。イリス達から目を逸らしたモンスーンは広場の中に立つ家をじっと見つめて、何かを考えるように首を傾げている。


 その様子を見たソフィアが何かを悟ったのか、不意に慌てた様子で口を開いて、早口で捲し立てるように言った。


「ちょっと待ちなさい!? 貴方、何を考えているか、ちゃんと言いなさい!?」

「その家ぇ。逃げられると厄介だからぁ」


 ソフィアに言われるまま、モンスーンが口を開いたかと思えば、その口の目の前に大きな模様が浮かび上がって、重なっていく。

 だ。


「待っ……!?」

「先に壊しておこぉ」


 そうモンスーンが口にした直後、そこに浮かんだ術式からミカ達の住む家に向かって、高木すら薙ぎ払う勢いの風が吹き出した。

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