竜虎相搏(5)

 モンスーンの生み出した術式から突風が生み出される直前のことだった。術式を視認したソフィアとエルはほぼ同時に動き出していた。

 二人は突風の向かう先、イリス達の泊まっていた家の前に術式を重ね合わせて、迫る風を受け止めるように透明な壁を生んでいく。


 直後、モンスーンの放った風が壁に正面からぶつかって、壁は音を立てながら大きく揺れたかと思えば、そのまま耐えかねたように細かく崩れ落ちた。


 しかし、迫る突風自体は受け止められたようで、風は壁が崩れる直前には四方八方に吹き抜けて消えていた。イリス達は自分達にも吹いてきた風に身体を揺らしながら、何とか家が守られたことにほっと胸を撫で下ろす。


「ああぁ!? 邪魔をしたなぁ!?」


 ソフィアとエルが魔術によって壁を生み出し、モンスーンの放った風を防いだことで、モンスーンは激怒するように二人を指差していた。その様子を見たソフィアが呆れたように首を傾げて、さも当然のように口を開く。


「貴方にも住むところがあるでしょう? そこを壊されそうになったら、どうする? それを必死に止めるでしょう? そんなことは当たり前じゃない?」

「う~ん……? ああぁ、確かにぃ」


 ソフィアの指摘にモンスーンが納得したような反応を見せて、イリスはその少し前までの行動との温度差に戸惑った。


 とはいえ、これで攻撃をやめるとは思えない。モンスーンの目的は竜の子であるミカであり、竜の子であると勘違いしているイリス達全員だ。それを捕まえるまではこの場から離れることがないだろう。


 同時に、イリス達が逃げ込む可能性のある家は絶対に壊そうとするはずだ。今の一撃は無事に防げたとはいえ、それがいつまで続くかは分からない。ソフィアとエルにも限界があるだろう。


 その前にモンスーンを止める必要があるが、どのように止めるべきなのか、イリスには想像もつかなかった。


 人間であるなら対処法は知っている。息の根を止めるか、意識を奪うか、拘束するか、とにかく、自由に動けない状況に持ち込めればいい。


 だが、ドラゴンはそのどれもが可能であるとは思えない。イリス達が全力を尽くしても、殺害できるとは思えず、意識を奪うほどの衝撃を与えられるとも思えず、拘束できるだけの手段が今のイリス達にあるとも思えない。

 動きを止めなければいけないが、そのための手段がない。その状態がイリスに大きな不安を生んでいた。


 とはいえ、このまま何もせずに捕まるわけにはいかない。アスマ達が戻ってくる可能性まで考慮すれば、ここで耐えることも大切なはずだ。


 その手段を思い浮かべる中で、イリスはその場にいるタリアとミカのことを思い出していた。モンスーンと会話を続けるソフィアやエルから目を逸らし、今の二人の状態を確認する。


 タリアは今の唐突な魔術に驚いてはいるが、怯えている様子ではなかった。これまでの経験から、怯えるほどに弱くはなかったようだ。


 一方でミカは家に風が向いたことで、酷く動揺している様子だった。咄嗟にタリアが身体を掴んで、走り出すことを止めたから、今はその場に留まっているが、タリアがもしいなければ風の前まで走り出していたかもしれない。


 イリスはちらりと家の方に目を向ける。騒ぎを聞きつけて、家の中にいたアレックスとトーマスも起きてきたようだった。外にいるモンスーンを発見し、驚きと同時に怪我を負っている身体ながらも、武器を取ろうと警戒した様子を見せている。


 だが、流石に今の二人に無理はさせられない。イリスはタリアの方に目を向けて、この場でタリアにだけ頼めるお願いをすることにした。


「タリアさん、ミカさん、アレックスさん、トーマスさんを連れて、この場から離れられますか?」

「は、はい。できますが、イリスさん達は?」

「私はできることをやります。王女殿下とエルさんには申し訳ありませんが、あの風を防ぐ役割を負っていただきます」


 イリスがタリアに向けて放った声は、その近くにいたソフィアとエルにも届いたようだった。二人はイリスの方を向いて、言葉を言うことなく、納得したように頷いてくれる。


「ちょっと待って!? わ、私も!? 私も家を守る!?」


 そこでイリス達の話を聞いていたミカが慌てたように割って入ってきた。必死に自分を指差して、自分も協力すると主張してくる。


「ううん、ごめんね。ここは私達の仕事だから」


 ミカが何を言っても、ここから先がどうなるかは分かったものではない。万が一、家を破壊されることがあっても、ミカ達に危害が加わる可能性だけは避けないといけない。


 ミカを守りながら、モンスーンの魔術を受け止めることは難しいだろう。イリスもモンスーンを止めるためには、モンスーンの近くまで踏み込まないといけない。その中でミカに攻撃が向いたからと、ミカのところまで戻るだけの余裕はない。


「嫌だ!?」


 ミカはぶんぶんとかぶりを振りながら、そのように言っていたが、その言葉を聞いてあげられそうにはなかった。イリスはタリアに目を向けて、合図を送るように頷くと、タリアはミカを抱きかかえて、家の方に走り出す。


「は、離して!? 下ろして!?」

「ごめんね! 大人しくてしてて!」


 タリアはそのようにミカを説得しながら、家の中に駆け込んで、そこにいるアレックスとトーマスに声をかけていた。その様子を見ながら、イリスはハクから取り返した自身の剣を構え、モンスーンをまっすぐに見据える。


「援護と家の保護はお二人にお任せします」


 そう呟いたイリスの一言に二人が頷く素振りを見せてから、イリスは一気にモンスーンに向かって駆け出していた。モンスーンはソフィアと会話を続けながら、その様子に気づいたのか、ゆっくりとこちらに目を向けてくる。


「あれぇ? どうしたぁ?」

「どうしたんでしょうね!」


 そう声を上げながら、イリスはモンスーンに飛びかかり、握っていた剣を勢い良く振り下ろした。モンスーンの白い鱗に剣は正面からぶつかって、振り下ろした勢いのまま、一気に弾かれる。


「硬っ……!?」

「な、何をするんだぁ!?」


 その一撃にモンスーンが怒ったように腕を上げて、飛びかかったイリスに叩きつけるように振り下ろしてきた。イリスは咄嗟に剣を構え、腕の直撃を避けようとするが、押し出された勢いは強く、地面に叩きつけられるように吹き飛んでいく。


 そのまま地面に叩きつけられるという直前になって、イリスの吹き飛んだ先に術式が浮かび上がり、イリスは柔らかな温もりに包まれた。見れば温かな炎がイリスの身体を包み込み、柔らかく受け止めてくれている。


「無事!?」


 そこにソフィアの声が飛び込み、イリスは顔を上げながら、安堵の声を漏らしていた。


「あ、ありがとうございます……」


 そう口にしたイリスをモンスーンが睨みつけるように見つめて、口を開いたかと思えば、そこに術式を生み出し、重ね合わせていく。


 その様子を確認したイリスがうまく行ったと思いながら、慌てて身を起こした。モンスーンの術式が向かう先から逃れるように駆け出し、家から離れるように移動し始める。


「待てぇ!」


 モンスーンが叫びながら、生み出した術式から風を吹き出させる。その音に気づいたイリスが迫る風から逃れるために跳躍するが、風の勢いはイリスが思っているよりも遥かに強かった。


 逃れようとしたイリスすら押し出すように風は吹き抜け、イリスは飛び出した体勢のまま、大きく姿勢を崩して転がるように着地する。

 直撃はしていない。だが、無事とは言えないほどの衝撃を身に受け、イリスは思わず顔を顰めていた。


「逃げるなぁ!」


 モンスーンが叫びながら、再び術式を生み出し、イリスに風を放とうとする。それに気づいたイリスは逃げようと身を起こすが、今の衝撃が身体にまとわりつき、咄嗟に動けないほどの重さになっていた。


「しまっ……!?」


 すぐに動き出そうとしない身体にイリスが失敗を悟った瞬間、術式を重ねるモンスーンに向かって、どこからか炎が吹き出した。


「熱ぅい!?」


 吹き出した炎の熱にやられ、モンスーンは重ねかけた術式を壊しながら、思わずのたうち回っていた。


「今の内です!」


 そこでエルの声が聞こえ、イリスは感謝の言葉を心の中で呟きながら、痛む身体を無理矢理に動かし始めた。


 このまま時間を稼いで、アスマやアクシスが到着する時を待つ。そこにしかモンスーンを倒す術はない。

 そう考えたイリスによる命がけの鬼ごっこが始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る