竜の裁量(5)
ベルの語りは六十年前に遡るところから始まった。エアリエル王国に存在するリリパットという小人だけが住む村に、当時のベルは住んでいた。結婚し、子供を生み、予定ではそのまま村で生涯を終えるはずだった。
「そこに一人の客人があった。若い魔術師だ」
ベル達はリリパットを訪れた客人を受け入れ、客人は一時的にリリパットに暮らすことになった。この時のベル達は客人の裏の顔など、予想することもなかった。
「その中で私は事故に巻き込まれた。私の怪我は酷く、致命傷だったと思う」
誰にも治し得ない傷を負い、ベルはそのまま死を迎えるはずだった。小人の生涯としても短いが、それでも、今から思えば十分過ぎる人生だったのかもしれない。もう少し子供の成長を見届けたい気持ちはあったが、それも高望みと言われれば、今はそうとしか思えない。
「そこに客人が現れ、私の身体に一つの実験を施した」
「実験?」
アクシスがベルの放った不可解な言葉に反応し、眉を顰めた。その言葉にベルは頷きを返し、実験の内容を伝える。
「竜の血を私の体内に投与するという実験だ」
ベルから実験内容を聞かされ、アクシスの表情は更に一瞬、険しいものへと変化した。不快感を覚えたのか、聞き慣れない内容に気難しさを感じたのかは分からないが、良い印象は受けなかったようだ。
「それで、どうなった?」
「私の傷は完全に治った。最初から何もなかったかのように致命傷は完治した」
それ自体は良かったのかもしれない。ベルの終わりかけた人生は僅かに繋がり、明日へと繋がることになった。
問題はその人生が小人の寿命を超え、現在に至るまで繋がっている事実だ。
「そして、同時に私は死ねなくなった」
「死ねない? どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。私の身体はあらゆる怪我も病気も受けつけなくなった。怪我は負った傍から回復し、病気はそもそもかかることがない」
そう言いながら、ベルは少し迷うように視線を彷徨わせてから、シドラスに目を向けた。
「シドラス。剣を借りてもいいか?」
その問いにシドラスは頷き、ベルの前に移動すると、その前に掲げるように剣を抜く。
「指でお願いします」
「分かってる」
ベルはシドラスの掲げた剣に指を近づけて、その刃をなぞるように動かした。指先に鋭い痛みが走って、ベルの指から滴るように血液が垂れる。
それをベルはアクシスの前に見せる。指の先にはなぞった軌道が分かるほどに、はっきりとした切り傷ができて、そこから血が溢れ出している。
が、それも一瞬のことだった。すぐに傷を塞ぐように皮膚が伸びて、溢れていた血は気づいた時には完全に止まっていた。ベルが袖口で軽く指を拭えば、さっきまでと変わりない綺麗な指が姿を見せる。
「本当に傷が治るのか……」
驚くようにアクシスが呟いて、ベルは首肯する。
「これによって、私は本来、小人が天寿を全うする年齢を超え、既に八十年以上も生きてしまっている」
ベルはさっきまでそこにあった傷を見るように指を見つめて、自嘲気味に笑みを零した。
「このままだと私は何十年、何百年と生きるだろう。その度に私は一緒にいた人達の最期を見送って、次に出逢った人の最期を考えることになる。そうならないように生きるには、私はこの先、何千年と一人で生きなければいけなくなる。そんな人生はもう嫌なんだ」
心の底からの気持ちを漏らしながら、ベルはゆっくりと目を瞑った。瞼の裏側に映るのは、リリパットを離れて以来、逢うこともなかったテオやルークの姿だ。二人の最期は知らないが、小人である以上、既に亡くなっていることは確かだろう。
このまま生きれば、今度はアスマ達の最期をベルは見届けることになる。その先もずっと、ベルは誰かの死を見届け続けるばかりの人生を送らなければいけない。
どこまでも別れが続く人生。その人生が嫌だからと離れれば、どこまでも孤独が続く人生の完成だ。その未来しか見えない状況にベルは絶望していた。
「私は死にたい。誰かの最期を見届け続けるだけでなく、誰かに最期を見届けられたい。そのための手段が欲しくて、私はここに来た」
アクシスにサラディエを訪れた理由を説明すると、話を聞いていたアクシスがゆっくりと俯くように頭を下げた。
「ドラゴンである私も人間と比べたら、非常に長い時間を生きることになる。周囲の動物は死に絶え、こうして、今は私の周りにいる家族も、いつかはいなくなるだろう」
その時のことを想像したのか、悲しそうな表情を浮かべてから、アクシスは小さくかぶりを振る。
「だが、私には同じドラゴンという仲間がいる。それすらいないお主の辛さは計り知れないものだろう」
ベルもアクシスも立場は違うが、同じ多くの生物の最期を見送ってきたものとして、共感する場所は多いようだった。アクシスの表情や声色からそれが伝わり、ベルとは違って、仲間がいるというアクシスの境遇が少し羨ましくなる。
ただベルは自分と同じ存在がもし増えるとしたら、その相手を殺してでも止めるだろうと考えるほど、仲間を作りたいとは思えなかった。
「できれば、お主の助けになりたいと思う」
アクシスがそう言ったことで、ベル達は何か手段があるのかと思い、全員がアクシスを見上げていた。
しかし、そこにあるアクシスの表情は依然として悲しげで、どこから暗いものだった。
「ただ私はそのような話をこれまでに聞いたことがなかった」
「えっ……?」
「竜の血を体内に取り込んだ生物。少なくとも、私はそれを今日、初めて知った」
「ということは……?」
「すまないが、お主の力にはなれない」
アクシスがかぶりを振り、ベルはゆっくりと目の前が真っ暗になっていくような感覚を覚えた。か細い糸を必死に辿って、ようやく辿りついた場所がここだった。
そこに何もないということが分かってしまい、ベルは次に向かう場所が見出だせなかった。自身の身体を戻す方法として、常に存在し続けていた可能性がここでパタリと途絶えてしまった。
「待って、アクシス……? 本当に何もないの……!?」
アスマが縋るようにアクシスに近づいて、ベルの代わりに懇願するように叫んでいた。
しかし、その言葉を聞いても、アクシスの表情は変わることなく、悲しげにベルを見下ろしてくるだけだ。
「すまないが、体内に取り込んだ竜の血を除去する方法が何も思いつかない。魔術を使用しても、それは困難なはずだ」
「竜の力でも……? 竜の力でも無理なの……!?」
「魔王。貴公がそこにいて、何もできなかったということは、そういうことだ。私にも、取れる手段は何もない」
「そ、んな……でも、俺とアクシスは違って……!?」
「アスマ」
アクシスに詰め寄ろうとするアスマを止めるようにベルが名前を呼ぶ。その声にアスマが動きを止めて、ベルの方をまっすぐに見つめてくる。
「もう大丈夫だ……」
「大丈夫……? 何言って……ベル……!? そんな……そんな顔で大丈夫って言わないでよ!?」
アスマが泣きそうになりながら、ベルに抗議の声を叫んだことで、ベルは自分がどのような表情をしているのか察した。全く何も意識していなかったが、表情には出てしまっていたようだ。
可能性が途絶えた絶望や悲しさが、アスマにも分かるほどに。そのことを実感し、ベルは顔を押さえる。
「仮にアクシス一人では無理でも、俺がアクシスに協力すれば、もしかしたら……!?」
「魔王、いくら私達でも、魔術には限界が……」
そう言いかけ、アクシスの言葉が途中で止まった。不意に何かに気づいたようにハッとした表情をしてから、考え込むように俯き始める。ぼそぼそと足元に落とすように言葉を呟いてから、アクシスは少しだけ表情を明るくし、ベルを見た。
「一つだけ可能性が残っているかもしれない」
「えっ……?」
「それは何!?」
ベルよりも素早くアスマがアクシスに詰め寄る。それを受けて、アクシスが思いついたという可能性を口にする。
「精霊と話をしよう」
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