竜の裁量(4)

 遅めの朝食ともなった昼食を終えて、ベルはタリアと共にリビングから家の外を眺めていた。家の外に広がる広場では、アスマとミカが元気に駆け回っていて、それをイリスが見守っている。


 退屈そうなミカにアスマが一緒に遊ぶことを提案し、二人は外に飛び出したのだが、その楽しげな様子を見守るイリスは笑みを浮かべながらも、常に警戒するように広場全体を見回していることが分かった。


 もしかしたら、ハクがこの瞬間にも現れるかもしれないとイリスは考えているようだ。ミカがいることで、手荒な真似には出ないと思うが、姿を見せたハクがアスマを連れ去ろうとする可能性は十分にあり得る。


 その時にこの場でハクを止められるとしたら、それは確かにイリスだけだろう。アレックスやトーマスの怪我がもう少し軽ければ、二人も戦力として期待できたかもしれないが、今の状態では頭数に入れない方がいいだろう。自由に動けないだけならいいが、それで怪我が悪化しては話にならない。


「見える範囲から出ないでくださいね」


『はーい』


 イリスの掛け声にアスマとミカは揃って片手を上げて、元気な返事をする。ミカが退屈しないように遊んであげているはずだが、その様子は同年代の子供が仲良く遊んでいるようにしか見えない。


「可愛いですね」

「ああ、そうだな」


 ベルは無邪気に走り回るミカを見つめて、タリアの言葉に首肯したが、この時のタリアの視線はそちらには向いていなかった。そのことにベルが気づかないまま、家の中にいるベル達の耳にも届くほどの、大きな足音が森の中から聞こえてくる。


「これって……」


 その音にアスマやミカが動きを止めて、イリスも音の聞こえてくる方を見つめている。ベルとタリアは思わず顔を見合わせ、慌てて家から飛び出していく。


 やがて、ゆっくりと森の奥から大きな青いドラゴンが姿を現した。アクシスだ。


「お父さん、おかえり!」


 アクシスの姿を見たミカが満面の笑みを浮かべ、アクシスの傍に駆け寄っていた。アクシスはその様子に優しく「ただいま」と声をかけてから、広場の中に踏み入ってくる。


「おかえり、アクシス」


 アスマもアクシスにそう言ってから、森から出てきた存在がアクシスしかいないことに気づいて、不思議そうな顔をしている。


「あれ? アクシスだけ? 他の皆は?」


 アスマもベルと同じように、アクシスがシドラスやソフィア、エルと一緒に出掛けたことは聞いていた。アクシスが帰ってきたということは、それら全員が帰ってきたのだと思っていたが、それ以外の姿が見当たらないことにアスマは疑問を覚えていた。


「ああ、それなら、ここに」


 そう言いながら、広場に入ってきたアクシスが肩を落とすように屈み込んだ。その背中からむくりとシドラスやソフィア、エルが顔を出して、アクシスに礼を言いながら降りてくる。


「えっ? アクシスに乗ってたの?」

「竜を馬代わりに使ったということか?」


 ベルが降りてきたシドラス達に近づきながら呟くと、シドラスは苦笑いを浮かべ、やや恥ずかしそうに頭を掻く。


「いえ、実は森の中を回って、ハクさんがどこに移動したのか探していたのですが、その途中で王女殿下が休憩したいと仰いまして」

「そうしたら、アクシスが自分の背中に乗って回ることを提案してきたのよ。別にこちらからお願いしたわけじゃないわ」

「いや、でも、殿下が頻りに竜の背を見ながら、アピールしていましたので、あれはほとんど頼んだようなものかと」

「師匠? そんなことないわよね?」

「はい。竜からの御厚意です」


 ソフィアがエルの証言を握り潰し、背筋を伸ばしたエルがソフィアの傀儡となる様子を見て、ベルとシドラスは揃って苦笑いを浮かべていた。何を気にしての隠蔽かは分からないが、ソフィアの振る舞いと一致する行動なので、それを今更隠しても遅いとベルは思う。


「ところで殿下はここで何を?」

「ミカと遊んでたんだよ。暇そうだったからね」

「外で、ですか?」

「うん」


 アスマが元気一杯に頷き、シドラスはやや険しい顔をイリスに向けていた。今のアスマの立場を考えたら、不用意に外に出してはいけないと思っているのだろう。それ自体はイリスも気にしていたことのはずだ。


「イリスなら、何もないようにアスマを見守っていたし、私やタリアも家の中から見ていた。ミカもいる前で、ハクは手荒な真似をしないだろうし、流石に心配し過ぎだ」


 ベルが助け舟を出そうとシドラスにそう言ってみるが、シドラスの表情は曇ったまま回復しない。


「いくら見守っていても、すぐに守れる距離にいないようでは、何が起きるか分かりません。特に今はどこからどのように姿を現すか分からないハクさんを相手にしています。警戒し過ぎなほどに警戒しても足りないかもしれない」


 シドラスの苦言の言葉を聞いて、イリスは反省するように俯いていた。イリスはちゃんと見ていたとベルが言っても、王族を守る騎士はその程度をちゃんととは言わないようだ。少なくとも、手の届く範囲にアスマがいないと、護衛として不十分らしい。


 厳しいと思わなくもないが、王族を守る騎士はこれくらいでも甘いくらいなのかと考えを改め、ベルはイリスを見つめる。その視線に気づいたイリスにベルは申し訳なさそうに軽く頭を下げる。


 騎士がそこまで考えるなら、ベルもそれに準拠した危機感は持っておくべきだった。イリスからの言葉をアスマが聞くとは思えない上に、イリスからアスマには言いづらいことを考えると、ベルが代替案を用意してアスマを説得するべきだった、とベルはつい考えてしまう。


「とはいえ、イリスに任せて離れた私の不備でもあるので、あまり責められません。留守の間の警備、ありがとう」


 シドラスが声色を変え、イリスに礼を告げると、イリスの表情は僅かに回復し、シドラスに軽く頭を下げていた。「おかえりなさい」と口から飛び出し、そこでようやくイリスの表情が少し柔らかくなる。

 さっきまで張っていた気が緩んだのだろう。頼れるシドラスが来たことで、緊張感が解れたようだ。


 その様子に釣られ、ベルの方までホッとした気持ちになっていると、タリアがベルの方に近づいてきて、耳打ちするように声をかけてきた。


「ベルさん、お話」

「ああ、そうだな」


 アクシスが帰ってきたことで、ベルとタリアは約束を果たす時だと思い、二人で屈んだ姿勢のアクシスの隣に移動していた。


「アクシス、いいか」

「どうかしたか?」

「言ってた話をしたいんだが」

「言ってた話?」


 その会話を聞きつけたアスマが遠くの方でそう呟いた。その声でベルやタリアが話しかけていることに気づいたのか、シドラス達の視線もベルに集まってくる。


「もしかして、例の話ですか?」


 シドラスからの問いかけにベルとタリアが首肯すると、シドラスやイリスの表情が途端に引き締まったものに変わる。


「ちょっと待って。今からするの?」

「元々、アクシスと今日、話す予定だったんだ」

「私は帰ってきたら、話すという話でした」

「そうなのね……」


 二人からの返答にソフィアは何かを考えながら、家の方をちらりと一瞬、見ていた。もしかしたら、森の中を歩き回ってきたこともあって、一度、家で休憩したいと考えていたのかもしれない。


 アクシスの背に乗っていたのだから疲れていないだろうと言いたいのだが、それなりの時間を移動していたはずだ。水の一杯でも飲みたいのかもしれない。


「なら、聞くしかないわね」


 しかし、頭に浮かんでいた考えを振り払うことにしたのか、ソフィアも真剣な目をアクシスに向けている。ソフィアが一緒に聞く必要はないと思うのだが、ベルの気持ち的にも、話を聞いてくれる人物が一人でも多いと心強い。


「では、どちらから話す?」


 そう聞かれ、ベルはタリアに譲ろうと思い、「タリアから」と言おうとしたが、それを阻むようにタリアが口を開いた。


「ベルさんからでお願いします」

「えっ? いや、タリアからで大丈夫だ」

「いえ、ベルさんから話してください。ベルさんの方が抱えてきた時間が長いですから」


 タリアは引っ張るようにベルの身体をアクシスの前に連れ出し、ベルは戸惑った。タリアに譲るつもりだったが、ここから譲ると言っても、無駄に時間を浪費するだけだろう。


「分かった。じゃあ、私から話そう」


 そう切り出し、ベルはゆっくりと息を吸い込む。それに合わせて目を閉じれば、景色はサラディエからリリパットへと、ゆっくり変化していくのだった。

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