竜の裁量(6)
術式を生み出し、魔術は使用されるが、この際、魔術師は術式を作り上げる以上の行動を基本的には行っていない。例えば、火を生み出す魔術があったとして、魔術師は術式を作り上げることはあっても、実際に魔力を火に変換し、対象に放つということを行っているわけではない。
では、どこから火が生まれてきたのかという点だが、そこに絡んでくる存在が精霊だった。
魔術は術式を生み出し、精霊の力を借りることで行使される特殊な力だ。術式は精霊の力を借りるための契約書のようなもので、生み出された力自体は精霊が作り上げたものだった。
その存在をアクシスが言及し、ベルの身体を元に戻すための手段の一つとして語ったことに、ベルだけでなく、エルやソフィア、シドラスまで驚いているようだった。
一方でアスマは首を傾げて、何か考え込むような顔をしている。
「精霊って聞いたことがあるけど、何だっけ?」
「はあ? ちょっと貴方、本気で言ってる?」
「え?」
「魔術の基礎で絶対に教わるでしょう?」
呆れるようなソフィアに言われ、アスマはようやく思い出したのか、納得したように手を叩いていた。
「ああ、そう言えば、ラングから聞いたことがあるよ。魔術は術式を展開して、精霊の力を借り受ける技術なんだよね」
「逆に何で思い出さないといけないくらい忘れているのよ?」
ソフィアの呆れた視線に晒され、アスマは照れるように頭を掻いていた。褒められているような雰囲気を醸し出しているが、もちろん、ソフィアは微塵も褒めていない。寧ろ、馬鹿にされているくらいだ。
「ちょっと待ってください。魔術師ではない私でも、精霊の話くらいは聞いたことがあります。ですが、その実体は存在しないはず。そもそも、実在するかどうかすら怪しい領域なのでは?」
シドラスの疑問は当然と言えた。ベルも精霊に関しての話は聞いたことがあったが、実際に精霊と逢ったという話は聞いたことがなかった。実際に逢えるのかどうかも疑問だが、それ以上に本当に存在しているのか、ベルも疑いの気持ちがあった。
「もちろん、精霊は存在している。私達の目には映らないが、この世界のあらゆる場所を観測し、術式を介して、この世界に干渉している」
「その根拠は?」
「実際に私は精霊と逢って話した」
アクシスの告白にベルとシドラスが驚く中、それ以上の反応をソフィアとエルが見せていた。愕然とした表情を見せたかと思えば、即座に詰め寄るようにアクシスの元へと駆け寄っていく。
「可能なのですか!? 実際に逢おうと思って、逢える存在なのですか!?」
「どうやって!? どうやって、精霊と逢ったの!?」
突然、二人のテンションが大きく上がったことに、アクシスは困惑した様子だった。詰め寄ってくる二人を見下ろし、僅かに後退るように首を後ろに下げている。
「と、特殊な手段があるんだ。精霊と接触する方法がある」
「そんな方法が!?」
「是非、聞きたいわね、師匠!?」
ソフィアとエルが結託し、詰問を始める様子に、アクシスは完全に戸惑い、助けを求めるようにベルやシドラスを見てきた。ベルとシドラスも、さっきのアクシスの告白には驚いていたが、その驚きも今のソフィアやエルを見たら、吹き飛んでしまっていた。
「二人共、興奮しているところ悪いんだが、私の話を進めてもいいか?」
「あっ、そ、そうですよね」
「ご、ごめんなさいね。つい気になってしまって」
ベルからの指摘にソフィアとエルは反省した様子を見せて、アクシスから少し離れるように移動しているが、まだ気になってはいるようで、そわそわとした様子が隠し切れていない。
その二人の態度にベルは苦笑を浮かべながら、気を取り直して、中断された本題に入ろうとアクシスに質問する。
「仮に精霊と逢えるとして、それで私の身体のことが解決するのか?」
「分からない。だが、精霊はこの世界の理の外側に存在するものだ。この世界で起きた様々なことを解決できるとしたら、それは精霊以外にはあり得ない」
「それはお前やアスマが何もできなかったことでもか?」
「私や魔王以上の力を持つのが精霊だ。もしも、私や魔王に何かが起きたとして、世界を滅ぼすほどの被害が生まれそうになっても、精霊だったら止められるだろう」
「それほどなのか」
人智を超えた存在である魔王や竜。それすらも超越した存在として、アクシスが精霊を語ったことで、ベルはそこに一縷の望みを垣間見た。確かにそれほどの存在なら、ベルの身体を元に戻す手段を知っていてもおかしくはない。
竜であるアクシスが匙を投げた今、もうそこには可能性しか残っていないと思いながらも、途絶えかけた可能性が再び現れたことにベルは安堵し、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「それでさっきソフィアやエルがしていた質問にも戻るんだが、その精霊とはどうやって逢えるんだ? 特殊な手段があると言っていたが」
「精霊と逢うには、専用の魔術道具を用いる必要がある」
「専用の魔術道具?」
「ああ。人間の使う通行手形のようなものだ。その魔術道具を持っていれば、精霊と逢う許可が出る、みたいなことだ」
「アクシスは逢ったんだよな? ということは、その魔術道具を持っているのか?」
「ああ、もちろん、私の手元に……」
そこまで口を動かし、アクシスはピタリと止まったかと思えば、不意に何かに気づいたようにさっと顔を逸らした。ベルが不思議そうに覗き込めば、アクシスの居場所を失ったかのように彷徨う瞳が目に入る。
「どうした? 何があった?」
「そ、その……す、すまない……魔術道具は持っているのだが……」
「何かあったのか?」
「い、いや、持っているのだが……その……持っていたという方が今は正確になってしまったというか……」
「持っていた? どうしたんだ? 何が言いたい?」
ベルが不穏な雰囲気を察知し、詰め寄るようにアクシスに迫ると、アクシスは観念したのか、大きく息を吐いてから、ベルの方をまっすぐに見てきた。
「申し訳ない。今の今まで忘れていたのだが、魔術道具はもう私の手元にはない」
「は、あ……? えっ? ないって、ど、どこにやったんだ? なくしたのか?」
「いや、なくしたわけではなく、あげたんだ」
「あげた? 人にあげたのか? 誰に? どこの誰にあげたんだ?」
「息子だ」
「むす、こ……?」
「息子のガイが旅立つ際に持たせた荷物にそれも入れたんだ。何かあった際には、精霊に頼れば何でも解決すると思って」
アクシスの申し訳なさそうな表情をまっすぐに見つめて、ベルは愕然としていた。ゆっくりと込み上げてきた気持ちと言葉を整理し、大きく息を吸い込んでから、アクシスをまっすぐに見つめる。
「親馬鹿!?」
「本当に……言葉もない……」
いくら子供が心配でも、それほどの魔術道具を持たせるかとベルは思ったが、子供を心配する親の気持ち自体は分かるので、責め立てるほどの怒りは湧いてこなかった。ただ、あまりの親馬鹿さに呆れるくらいのことだ。
「ということは、噂にもなっていたアクシスの子供を探せば、その精霊と逢うための魔術道具が手に入るということか……」
「そうだが、今はどこにいるのか……」
「それは……本当にそうだな」
漠然とベルの身体を元に戻す方法を探し続けるよりは現実的だが、世界中の中から一人の人間を探すことなど実際に可能なのかと、ベルは頭が痛くなりそうだった。
「因みに、その魔術道具は他に存在しないのですか? 別にそれを探さなくとも、他にあるのなら、そちらを使えれば?」
「あるかもしれないが、少なくとも、私は把握していない。特殊な魔術道具故、精霊の力を借りずに作る方法も分からない」
シドラスの思いつきにアクシスがかぶりを振り、新たな可能性の見つかったベルの身体についての問題は、別の問題の出現で閉ざされることになった。
とはいえ、全ての可能性が消えた少し前よりは幾分かマシなこともあって、ベルの表情はそこまで暗くはなかった。
「となれば、その子供を如何に探すか、次はそこを考えるべきだな」
「東の魔術師として噂にはなるくらいですからね。案外、簡単に見つかるかもしれません」
「その辺りは分からないが、何も手がかりがないよりはマシだ。アクシス、ありがとう」
「いや、すまない。もう少し、はっきりと力になれたかもしれないのに、このように情けない結果で」
「進展はあったんだ。これまでの長い停滞時間を考えれば、私には十分過ぎたくらいだ」
アクシスの謝罪にベルは笑顔でそのように返してから、今度はタリアに目を向ける。
「私の方の話はこれで終わりだ。次はタリアの話をしよう」
ベルがそう言ったことで、その場の視線が今度はタリアに向いた。そのことにタリアは若干、表情を硬くしながらも、力強く頷いて、アクシスの前に立つ。
「私の話をしても、いいですか?」
「ああ、聞かせてくれ」
そうアクシスが促したことで、タリアは自分自身にまつわる話を始めるために、ゆっくりと口を開いた。
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