竜の裁量(2)

 気づけば、毛布に抱きつくように眠っていた。自身の口元から垂れた涎に恥ずかしさを覚えながら、ベルはゆっくりと身体を起こす。


 自分はいつ眠ったのだろうか。そう思い返しても、いつか分からないほどに、ベルの意識は忽然と途絶えたようだった。薬を盛られたのかと勘違いするほどだが、恐らくは疲労ともう一つ、気がかりなことが残っていたことで、夜深くまで眠れなかったことが原因だろう。


 ベルは垂れた涎を拭きながら、ベッドの中から抜け出す。同じベッドで眠っていたはずのタリアの姿はない。部屋の外から物音が聞こえてくるので、既に起きているのだろう。


 どれくらい眠っていたのだろうかと思いながら、ベルは昨日のことを思い返していた。ミカやハクが暮らしているという家に泊めてもらうことが決まって、家で落ちつく前のことだ。

 ベルはアクシスに呼ばれ、アクシスから質問を投げかけられていた。


「お主はカイザーと何か関係があるのか?」


 それは肯定も否定もできる質問で、ベルはすぐに答えが出てこなかった。何をどう言えばいいのか悩み、ゆっくりと頷くことが精一杯だった。


「何か事情があるのか」


 その様子から察してくれたようで、アクシスが深く納得するように頷きながら、そう呟いた。その言葉を聞いて、ベルはようやく口を開く。


「一言では説明できない」

「では、明日、聞くことにしよう。今日はいろいろなことが起き過ぎた。ここから、また深く話していては疲れるだろう?」


 そう問われ、ベルはどこか安堵してしまい、そのことに若干の自己嫌悪を懐きながら、首肯していた。


 馬車のこともある。ハクのこともある。どうせ、ここからすぐに出発できないのだから、わざわざ今日の内に話す必要はない。そのように理由を並べて、明日に延期することに決めたことに、ベルは若干の気持ち悪さを覚え、そのことがずっと気になっていた。


 どうして、そう思ったのかという気持ちと、明日になったら、何を話すのだろうという気持ちが膨らみ、夜は寝つくまでにかなりの時間を要したと思う。


 結果的には溜まった疲労が意識を奪い、涎を垂らすほどにぐったりと眠っていたようだ。この年になって、いろいろと恥ずかしいとベルは考える。


 部屋から出ると、リビングにタリアの姿を発見した。起きてきたベルを見つけて、タリアは柔らかな笑みを浮かべる。


「おはようございます」

「ああ、おはよう。その……失礼した」


 そう言いながら、ベルが口元を拭うと、タリアは何を言っているのか察したのか、柔らかな笑みを浮かべたまま、「いいえ」と口にする。


「ギルバート様の方がもっと酷い寝相の時がありますから」

「それは……ちょっと次に逢った時にどんな顔をしたらいいか分からなくなるから、あまり聞きたくなかった」


 普段の振る舞いからはあまり想像できないギルバートの寝相を想像し、ベルはぎこちない笑みを浮かべる。対照的にタリアは楽しそうに笑っているだけだ。


 ベルはリビングに踏み込みながら、タリアの他に誰かいないかと、辺りを見回してみた。が、そこにはタリア以外の姿は見当たらない。


「他はどうした? まだ眠っているのか?」

「今もまだ眠っているのは殿下だけですね」

「殿下って、アスマの方?」

「はい」


 自分とアスマ以外は既に起きていた事実を知り、ベルはアスマと並んでしまった事実に乾いた笑いも出てこなかった。屈辱的とは言わないが、情けない気持ちにはなってしまう。


「じゃあ、外にでもいるのか?」


 そう言って、ベルは窓から外を眺める。昨晩はそこにアクシスの姿を見たのだが、今はアクシスどころか、その他の誰も立っていない。


「いない。というか、アクシスもいないな。どこに行ったんだ?」

「竜でしたら、シドラスさん達とハクさんを見失った場所の調査に向かいましたよ」

「ハクを見失った場所の調査?」

「はい。王女殿下やエルさんも一緒に使った魔術を調べるとか」


 ベルは昨日、アスマをハクの手から取り返した時のことを思い返す。ハクはそこにあった穴の中に消え、穴の中にある術式を利用した魔術と思われる手段で、完全に姿を消してしまっていた。その魔術が何であるか、ベル達には知識がなくて分からなかったが、それに関する有識者を連れて、情報を得ようとしているのだろう。


「そうか。なら、戻ってくるまで待つ必要があるか」

「何か用事があるのですか?」

「ん? ああ……」


 そう口にしてから、ベルは若干、迷った。何があって迷ったのか分からないが、気持ちの変化はアクシスに明日にしようと言われた時とは対照的だ。

 あの時は安堵で、今は不安。その違いにベルは嫌悪感を懐き、振り払うようにかぶりを振る。


「実は、アクシスと身体について話すことを約束したんだ」

「ああ、そうだったんですね。ここに来た目的ですよね?」

「ああ、そうなんだが、いろいろとあって、話すだけの時間が作れなかっただろう? だから、昨日の晩に少しだけアクシスに聞かれ、詳細は今日話そうってことになったんだ」

「なら、私と一緒かもしれませんね」

「一緒?」


 タリアが一緒と言ったことの理由が分からず、ベルが思わず聞き返すと、タリアは神妙な面持ちのまま、深く、ゆっくりと頷いた。


「今朝、出発する前の竜と少し話したんです。ハクさんとのこととか、私の兄のことを」


 タリアはこの世界ではない世界から、ハクによって連れてこられ、この世界で魔王であるアスマの殺害を課せられた。


 その報酬として約束されたのが、元の世界で意識の戻らないタリアの兄を救うこと。そのためにタリアはアスマを殺そうとして、そして、失敗した。


 だが、アスマはそれに代わる手段を見つけると約束し、そのための手段があるかもしれないと、この場にタリアを連れてきた。


「そうか。タリアも何か分かるといいな」

「はい……そうですね……」


 そう言いながら、タリアは不安そうに少し俯いていた。その気持ちがベルは痛いほど分かり、それまで感じていた不安が少しだけ和らぐ。


 ベルもタリアもきっと同じで、どちらもここで何も分からない可能性を恐れているのだ。真っ黒な中を手探りでここまで歩いてきたのに、そこで明かりが途絶えてしまえば、この次にどこへ向かえばいいのか分からなくなることに、強い不安を懐いているのだ。

 そうなったら、もう願いは叶わないかもしれない。その気持ちが生む、どうしようもない不安に、ベルもタリアも押し潰されそうになっている。


 その空気を変えるように、家の奥から軽快な足音が聞こえてきた。


「あれ? おはよう!」


 そう元気良く言ったのはミカだった。ベルを笑顔で見つめて、「やっと起きた」と言ってくる。


「おはよう。寝坊してしまった」

「元気?」

「ああ、元気だ」

「なら、良かった」


 そう言って、ミカは家の外に駆けていく。そこで何かを探しているのか、きょろきょろと広場を見回している。


「ベルさん、おはようございます」


 そこでその声が聞こえ、ベルは振り返った。ミカが来た方向からイリスが現れ、笑顔で挨拶してくる。


「ああ、おはよう。イリスとミカはどこにいたんだ?」

「奥でアレックスさんとトーマスさんの怪我の様子を見ていました。お二人共、少しずつ快方に向かっているようで良かったです」

「ああ、そうなのか。それは良かった」


 そう言っていると、イリスがベル達の隣まで歩いてきて、家の外で何かを探しているミカを見やる。


「お二人の目から見て、あの子はどう見えますか?」

「どういう質問だ?」

「性格的なことですか?」

「というか、ライトさんとの関係についてです。私が見ている様子では、見た目はそこまで似ている感じではないですが、あの性格は結構、ライトさんに近いと思うんですよ」


 そう言われ、ベルはミカを見てみる。どうやら、アクシスを探していたのか、「お父さん」と叫びながら、広場を走り回っている姿はライトと近いようで、必ずしも同じではない。髪の色や肌の色は近いが、瞳の色は違う。顔の作りも似ていると言っていいのか曖昧だ。


 ただ確かに性格はライトに近しい部分があった。特に能天気とも言える振る舞いはライトの振る舞いと一致する。


「でも、性格は育った環境次第なところもあるからな」

「因みに、私と兄の性格は結構、違いましたよ」

「アスマとアスラも違う」

「まあ、そうですよね……」

「あの絵をライトがもし描いていたら、少しくらいは覚えていると思うんだ。字も自分の字かどうかくらいは区別がつくだろう。そこで見分けるしかないな」

「やっぱり、そうなりますかね」

「ああ。それまではライトの話をしない方がいいだろう」


 確定していないことを話しても、ミカを混乱させるだけだ。ベルの注意にイリスとタリアも納得したように頷き、アクシスが見つからないと諦めたのか、こっちに戻ってくるように走ってくるミカを見つめる。


「皆、おはよう……」


 そこで家の奥から、弾けた髪の毛を携えたアスマが起きてきた。どのような寝癖だとベルは呆れるが、その隣に立っているタリアはその姿にすら紅潮し、目を奪われたように見つめている。


「おはようございます、殿下」

「イリス。お腹空いたんだけど、ご飯とかある?」


 そう言いながら、摩っているアスマの腹からは虫の声がする。


「昼食の容易ならできていますが、それで構いませんか?」

「お昼御飯!?」


 イリスの問いに家の中に戻ってきたミカも反応するように声を上げた。その様子に笑みを浮かべながら、イリスやタリアは昼食に移ろうと、リビングで準備を始める。


「私も手伝おう」


 その様子に声をかけながら、ベルはふと、自分もアスマと一緒で昼食の時間まで眠っていたのか、とどこか恥ずかしく思った。

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