竜の裁量(1)
いくつかの問題、目的を残したまま、シドラス達はサラディエに到着して、最初の夜を迎えていた。アクシスの用意してくれた食事で腹を満たし、森の想像以上の暗さに怯えながら、ミカ達の住む家で夜を明かすことになる。
が、シドラスはうまく寝つけないまま、時間だけが過ぎていた。リビングに当たる部屋に置かれたソファーの上で身を起こし、シドラスは部屋の中をゆっくりと見回す。イリスは既に寝息を立てていて、アスマ達は貸してもらった部屋でそれぞれ休んでいるはずだ。
シドラスが寝られない理由は当然、未だ解決していないハクのことが頭にあるからだった。どこに行ったのか、これから何をしてくるのか分からない以上、アスマの護衛であるシドラスは気になって仕方がない。
イリスは良く寝られると感心とも、呆れとも取れることを思いながら、シドラスはゆっくりと立ち上がって、静かに家の扉を開ける。それに反応し、イリスが動く気配があったが、シドラスは特に声をかけることもなく、家の外に出ていった。
そこで大きな体躯を持ち上げて、夜空に浮かぶ月を見上げるアクシスの姿を発見する。家の中からシドラスが出てきたことに反応し、月を見上げる姿勢のまま、視線をシドラスの方に向けてくる。
「どうした?」
「いえ、少し寝つけなくて。少し外の空気にでも当たろうかと」
「そうか」
そう言ってアクシスの視線が再び月へと戻り、その横顔にシドラスは若干の寂しさを感じ取る。
「アクシスはどうしたのですか?」
「ん?」
「ハクさんのことを考えていますか?」
アクシスの横顔から感じたことをシドラスが聞くと、アクシスは少し目を大きく見開いてから、笑みを浮かべるように僅かに口角を上げた。
「どうして、そう思った?」
「それは……私がそうであるからかもしれません。寝つけないと言いましたが、それは彼女のことが気になっているからです」
「恋か?」
「揶揄わないでください。そういうことではなく、ハクさんはいつまで殿下を狙い続けるのだろうと思いまして」
シドラスが気にかかっていたことを口にすると、アクシスは納得するように「ああ」と声を漏らし、月を見上げる姿勢のまま、ゆっくりと瞼を閉じていた。
「ハクのことは本当にすまないと思っている。全ては私の不徳の致すところだ」
アクシスが申し訳なさそうに声を出し、シドラスはアクシスの視線に関係なく、かぶりを振る。
「アクシスの責任ではありません。ハクさんの気持ちを考えたら、強引な手段を取ってしまうことも少しは理解できます」
アクシスに育てられたことで、ハクはこれまで自分以外の人間との交流がほとんどなかったはずだ。アクシスやミカ達以外に繋がりがなく、それがハクの人間関係の全てと考えたら、そこに強く依存することも当然だと思えた。
それが壊れるかもしれないと思ったら、それを何としてでも守るために、それがどんなに愚かな手段でも実行しようとするだろう。その気持ちは共感こそ難しいが、理解自体は可能だった。
「魔王はどうしている? ハクに命を狙われることに怯えていないか?」
「ご安心ください。殿下は既に何度か命を狙われたご経験がありますので、今更、怯えるようなことはありませんよ」
「それは頼もしいと言うべきか、何と言うか……」
シドラスが自信満々に答えると、アクシスは戸惑ったように目を開けて、口元に苦笑いを浮かべていた。それまで見えた寂しさや表情の硬さが消え、アクシスのまとう雰囲気が少しだけだが柔らかくなる。
「殿下のことですから、恐らく、ハクさんを恨むこともなく、止めたいと考えていますよ。何としてでも、ハクさんの凶行を止めて、ハクさんをこの場に繋ぎ止めたいと」
「そいつは……とんだお人好しだな」
アクシスは呆れにも聞こえる感情を声に混じらせながら、笑うように呟いた。アクシスの言ったようにアスマはお人好しなのだ。
逢ったばかりのベルのために自身の命を差し出すほどに。自身の命を狙ったタリアの手を取って、タリアの願いを叶える手段を見つけると約束するほどに。自身の命を狙ったソフィアのために異国で動くほどに。
そして、今回はアクシスを守るため、自身の命を狙うハクの居場所を守るために、アスマはきっと何かをしたいと考えていることだろう。
それはアスマの護衛を担当するシドラスからすれば厄介極まりない考えだが、そういうことを考えるアスマだからこそ、シドラスは傍に仕え、守りたいと思えるのだと、自身の気持ちも分かっていた。
「魔王は本当にハクを止められると貴公は思うか?」
「殿下がもし本当にそうお考えながら、きっとそうなさるでしょう。殿下はやると決めたことは絶対にやってみせる御方ですから」
「凄い信頼だな」
シドラスの断定した物言いを聞いて、アクシスはシドラスがアスマに向ける信頼の厚さに驚いた様子だった。シドラスはそれを恥ずかしく思うこともなく、当然のことのように首肯する。
シドラスは何も盲目的にアスマを信頼しているわけではない。アスマのこれまでの功績を考えれば、その信頼に値する人物であることは明白だった。
「それに殿下がそうなさると仰れば、そのために動く人が殿下の周りにはたくさんおります。私やイリスもそうですが、ベルさんやタリアさん、王女殿下やエルさんも協力してくださることを考えれば、十分に実現できるでしょう」
ただそうは言いながらも、現実的な問題として、いかにハクを納得させるかという点は存在した。アクシスを失うという根源的な恐怖がハクの中にある以上、ハクは何を言ってもアスマを狙おうとするだろう。それがアクシスやミカとの繋がりを断つとしても、簡単には捨て切れない考えのはずだ。
確かにアスマを殺せば、アクシスやミカとは一緒にいられないかもしれない。だが、アクシスが死ねば、どこかで逢える可能性すらなくなる。その考えが根本にあることはシドラスにも想像できた。
「貴公らが来てくれたことは僥倖だったのかもしれないな。ハクの心の暗がりに気づけ、もしかしたら、そこから救い出せるかもしれない。私一人では、きっとできなかったことだろう」
「そんなことは……」
「いいや、できなかったよ。私ではダメだ」
自分ではダメとアクシスが言った理由はシドラスにも分かった。ハクの行動理念の根本にアクシスの存在がある以上、アクシスからの言葉はハクの気持ちを強く形作る理由にしかならない。
今のハクに必要なことはアクシスからの言葉ではなく、とシドラスが思っていると、アクシスが再び表情に寂しさを宿し、月を見上げていた顔を下ろしてくる。向けられた視線を真正面から見つめて、シドラスはアクシスがずっと何を考えていたのか理解し、思わず動揺を表情に出してしまう。
「貴公らに頼みがある」
「待ってください」
「ハクを森の外に連れていってはくれないか?」
シドラスが制止するように手を伸ばしたが、アクシスの言葉は止まらなかった。シドラスは向けられた言葉に息を飲み、その言葉の重さに眩暈を覚える。
「それはアクシスの本心からの言葉ですか?」
「ああ、ずっと考えていたんだ。ガイがそうしたように、ハクやミカもいつか、この森を出ていくべきだと。だが、ハクは私がそう言っても、絶対に出ようとはしないだろう。だから、貴公らに頼みたい」
アクシスが頭を下げるように前屈みになり、シドラスは大きく息を吸い込んだ。アクシスが自分ではダメだと言った理由の一端がここにあるのだろう。ハクは自分以外の誰かと一緒にいる時間を作って、家族にだけ向けられている愛情を広げていかないといけない。そうしないと今がそうであるように、家族すら映らなくなるほどの盲目的感情に巣くわれるだろう。
そう考え、アクシスが決断したことをシドラスが否定することはできなかった。が、簡単に引き受けられるものでもなかった。
「アクシスの気持ちは分かりましたが、問題はハクさんがどう思うかです。流石にハクさんを無理矢理引っ張っていけるほど、私達は鬼ではありません。たとえ、アクシスからの頼みだとしても、ハクさんの気持ちを私達は尊重しますよ?」
シドラスがそのように確認すると、アクシスは神妙な表情のまま、深く頷いた。
「ああ、そうだな。すまない。無理を言った」
「いえ。確かに今のハクさんには、この場所以外の居場所が必要なのかもしれませんから。ただもう少し、ゆっくりと考えてもいいのかもしれません。今のハクさんに私達が居場所になるとは思えません」
「確かに、それもそうだ」
アクシスは納得したように頷き、シドラスは大きく息を吐き出す。
アクシスからの頼みは少し先走ったものではあったが、それが事態の解決に最も近しい手段であることは確かだった。もう少し現実的な組み方ができたら、それこそがシドラス達の望むハクを助けることに繋がるだろう。
そうは思うのだが、今のシドラスにそのための手段が思い浮かぶはずもなく、サラディエで過ごす最初の夜はゆっくりと更けていくのだった。
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