竜と寵児(18)

 シドラスに庇われながら、ベルとミカが取り押さえるハクを眺めて、アスマは驚いたようだった。


「み、皆、何して……!? そんなことをしたら、イリスとタリアちゃんが……!?」

「安心してください、殿下。二人は既にソフィア殿下とエルさんが発見し、保護してくださっています。もう何かをされることはありません」

「ええ? そうなの?」


 シドラスから聞かされた事実にアスマは驚き、ハクは知られていたと悟ったのか、やや悔しそうに口元を歪めていた。


「お姉ちゃん、もうやめよう。お父さんのところに帰ろうよ」


 ミカがハクを説得するように告げると、ハクはどこか迷ったような眼差しをミカに向けてから、小さくかぶりを振る。


「そうは行かないのです、ミカ。これは私が果たさないと……!」

「本当にそれはお前のやらなければいけないことか? ミカやアクシスを悲しませてまで、アスマの命を奪う必要があるのか?」

「貴女に何が分かるのですか……!?」

「分かるさ。私もお前と同じで、アスマを殺すという選択肢を突きつけられたことがあるからな」


 ベルの告白にハクは動揺したのか、一瞬、瞳が大きく左右に揺れた。これほどまでに思い悩むほど、家族のことを考えている人物が望んで人を殺したいと思うはずがない。説得の余地はあるはずだとベルは言葉をかけ続ける。


「私は他の選択肢があると思い、それに賭けることにした。誰かが犠牲になる選択肢など間違っている。アスマもそうだが、お前もちゃんと助かる答えがあるべきだ」

「そんなもの……待っている間に父が殺されたらどうなるのですか……? いつまでもあるかもしれない死に怯え続けないといけないのですか……? そんなこと……私にはできません……!」


 ベルが言葉を投げても、ハクの様子は崩れそうになかった。望んで人を殺したいと思うはずがないのに、それでも人を殺すしかないと考えたくらいだ。その気持ちが簡単に揺るぐはずもないのかとベルは気づく。


「……まだ終わっていません……」


 不意にベルの下でハクが呟き、僅かに手を動かした。それに合わせて、ハクの服が膨らみ、ベルとミカが驚いている間に、その膨らみが二人を突き上げるように伸びてくる。


 それはハクの服の下から伸びた影のようで、二人はハクの上から押しやられ、地面に投げ捨てられるように転がった。


「痛っ!?」

「ま、待て……!?」


 咄嗟にベルは身を起こし、ハクを止めようと手を伸ばした。シドラスもハクを止めようと駆け寄るが、それよりもハクの動きの方が早かった。

 ベルとミカを自分の上から押しのけると、すぐに身を起こして、さっきアスマを導こうとしていた穴の中に飛び込んでいく。


「待ってください!」


 咄嗟にシドラスが声をかけ、ハクを止めるために手を伸ばしたが、ハクを捕まえることはできず、ハクは穴の奥へと消えていった。シドラスはすぐに穴の傍に屈み込み、穴の奥を覗き込んでいるが、そこにハクの姿はなかったのか、こちらを振り向いて、かぶりを振る。


「術式らしき模様が見えるので、魔術で逃げたのかもしれません」

「なら、私達で追いかけることは難しいか」


 魔術師がここにいれば、術式から何か情報を得て、行き先に見当がつくかもしれないが、その知識のないベル達では、一切の情報が読み取れそうになかった。


「ごめんね。迷惑をかけて」


 ベルとシドラスが穴の近くで話していると、アスマがそのように言って頭を下げてくる。ずっと反省していたのか、ハクとのやり取りを目にして、反省するようになったのかは分からないが、迷惑とは思っていなかった。アスマならそうするだろうと、ベルもシドラスも分かり切っていたことだ。


 ただし、だからと言って、優しい言葉をかけるベルとシドラスではない。


「しっかりと反省をお願いします」

「そうだな。素直に従えばいいとか、そういう安直な考えを次もしないように。お前は自分の立場もちゃんと考えろ」

「うっ……ご、ごめん……」


 しょんぼりとするアスマに灸はこれくらいでいいだろうと、ベルはシドラスと顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。


「とはいえ、ご無事で何よりでした」

「おかえり、アスマ」


 ベルとシドラスの歓迎するような対応に、寸前までしょんぼりしていたアスマは顔を上げて、ゆっくりと泣きそうな笑顔を浮かべる。


「ただいま!」


 元気良く、アスマが返事をして、ベルとシドラスは揃って笑う。それから、次の目的地をシドラスが口にする。


「では、殿下の救出にも成功しましたので、一度、王女殿下達と合流しましょうか。ミカさん、さっき教えてくださった家まで案内していただけますか?」

「うん、任せて」


 ミカが自信満々に胸を叩き、ベル達を案内するように森の中を歩き始める。ベル達もそれを追いかけるように歩き始めて、ソフィア達との合流を目指すのだった。



   ☆   ★   ☆   ★



 一切の変化のない景色が広がる中、不意に現れた開けた空間と、そこにある家よりも大きいアクシスの存在に、ベル達は揃って驚いた。ミカの案内で向かった先のことで、ベル達の到着に気づいたソフィアが駆け寄ってくる。


「やっぱり、こっちに来たのね。待ってた甲斐があったわ」

「え、ええ、こちらに集まる方が確実だろうと思いまして」


 シドラスが答える中、ソフィアの目はアスマに集まり、それに気づいたアスマがソフィアの表情にやや怯えた反応を見せる。


「え、えっと……ごめんね……?」

「分かっているならいいけど、もう今後は立場を考え、危険な行動は取らないように」

「は、はい……」


 ベルやシドラスだけでなく、ソフィアからもお叱りの言葉を受けたことに、アスマは分かりやすく肩を落としている。


「それでイリスとタリアは?」

「ああ、あの二人なら、家の中にいると思うわよ。さっきまで師匠がいろいろと説明していたのだけれど、それも終わって、今はアクシスが運んできた御者二人のお世話をしているところね」

「御者二人……アレックスさんとトーマスさんですか? あの二人をアクシスが?」

「そう。ちょっと苦労したみたいだけど、連れてきてくれたの」

「では、御礼を言っておかないと」


 そう言ったシドラスがアクシスの方に歩き出し、ベルはソフィアやミカに連れられ、アスマと一緒にミカ達の住んでいるという家に向かうことにする。


 それは二階建てのログハウスのようで、この人気のない森の中に立っている物とは思えないほどに立派な家屋だ。

 その中にベルとアスマが踏み込むと、そこにいたイリスが気づいて、パッと表情を明るくした。


「殿下! ベルさん! ご無事でしたか!?」

「いや、それはこっちの台詞なんだが?」

「イリスは大丈夫なの?」

「私もタリアさんも無事ですよ。ただ真っ黒い部屋に連れ込まれただけで、何もされていませんし」


 そのようにベル達がイリスと話していると、建物の奥にいたらしいタリアがこちらにやってきて、そこにいるベルとアスマに気づいたようだった。不意に驚いたように目を丸くしてから、嬉しさからか何なのか、僅かに頬を紅潮させている。


「殿下とベルさん。お二人はご無事でしたか?」

「うん、だから、それはこっちの台詞だな」

「タリアちゃんも元気そうで良かったよ」

「私達は黒い部屋に入れられ、そこから、ここに送り込まれただけなので、特には……」


 そうイリスからも聞いた説明を口にしながら、タリアは何かを思い出したのか、不意にハッとした顔をして、イリスと顔を見合わせていた。


「そ、そうだ。あ、あの! ここでを発見してしまって!」

「とんでもない物?」

「はい。王女殿下とエルさんに話そうかと思ったのですが、これは殿下達もご一緒の場がいいと思いまして」


 やや興奮した様子で話すイリスとタリアを前にして、ベルとアスマは戸惑いながらソフィアに目を向けた。ソフィアも本当に何も聞いてないのか、二人と同じように困惑しながら、小首を傾げている。


「ちょっと待ってください!」


 そう言ってイリスが奥の部屋に飛び込み、そこから一枚の草臥れた布を持ってきた。


「あっ、それ、私の!」


 それに気づいたミカが手に持った布を指差し、やや抗議するようにイリスに声をかけている。


「これは貴女のなの?」

「うん! お父さんが拾った時に、あれで包まれてたって教えてくれたよ!」


 ミカの説明を聞いたイリスとタリアが更に驚いた様子で顔を見合わせ、ベル達の中の疑問は深まる。


「その布がどうしたんだ?」

「ちょっとだけ、これを見せてもいい?」


 イリスがミカに許可を求めるように聞くと、ミカは仕方ないと言わんばかりに首肯し、イリスはベル達の前に布を持ってくる。


「この裏を見てください」

「裏?」


 そう言われたベルが布を受け取り、裏返してみると、そこには子供が描いたような味のある赤ん坊の絵が描かれていた。


「これがどうし……」


 そう聞きかけたベルが絵の近くに書かれた文字を発見し、大きく息を飲む。ベルの隣から覗き込んでいたアスマもそれに気づいたのか、驚いたように声を上げて、イリスやタリアに目を向けている。


「どうしたの?」


 ソフィアがそう聞いてくるので、ベルは手に持っていた布を持ち上げ、そこに書かれた文字を見せる。こちらも子供が書いたような拙い文字で、ソフィアは読みづらかったのか、やや目を細めて、そこに書かれた言葉を読み上げる。


……? ライトって……?」

「そうだ。今、この国の王都に来ているだ」


 ソフィアもゆっくりと驚きを表情に見せる中、ベルやアスマ達の視線は自然とミカに集まる。それらの視線の前で、ミカはただ不思議そうに小首を傾げていた。

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