竜と寵児(17)
アスマを連れたハクを追跡中のことだった。移動するシドラスの懐から声が聞こえ始めて、シドラス達は足を止めていた。先導していたミカは一瞬、その声に驚くような表情を見せていたが、シドラスとベルの反応は違った。その声が聞こえてくると分かっていたどころか、二人はその声を待っていたくらいだ。
ベルが安堵と緊張の交じった何とも言えない表情でシドラスを見つめる中、シドラスは懐から水晶玉を取り出す。そこから聞こえてくる声はシドラス達が待ち望んでいた通り、ソフィアのものだった。
「聞こえる?」
「はい、聞こえます」
ソフィアの声にシドラスが返答すると、向こうから安堵する声が聞こえてきた。無事に繋がったと安心したのか、シドラス達が無事であると安心したのか、その辺りは分からないが、雰囲気は緊迫したものではないようだ。
「そちらはどうなりましたか?」
「無事に聞いていた家に到着し、そこで二人を発見したわ。魔術を利用して閉じ込められていたけど、たまたまやってきたアクシスの協力もあって、二人を無事に助け出せたから、安心して」
「そ、そうですか……それは良かったです……」
アクシスが絡んでいたことには若干の驚きを得ていたが、何はともあれ、無事にイリスとタリアが助け出されたと分かり、シドラスは安堵していた。それはベルも同じことのようで、それまで引き締まっていた表情が緩み、ゆっくりと大きな溜め息をついている。
「今は師匠が事情を説明しているところ。そっちは?」
「未だハクさんを追跡中です」
「まだ追っているの?」
「はい。どこに向かっているのか分かりませんが、恐らく、アクシスの目があるからだと思われます」
「ああ、そういうこと……なら、気をつけた方がいいわね。基本的には自分の使っていた魔術がどうなったか、魔術師も把握しているはずだから、二人が助け出されたことは分かっているかもしれない。こっちがそれを知っているって分かれば、無理矢理に動き出すかも」
「では、情報は隠した方が良さそうですね」
「そうした方がいいと思うわ」
「ありがとうございます。気をつけます」
シドラスがソフィアからの連絡に礼を言ったところで、通信用の魔術は途絶えた。これでアスマを助け出せる状況は整ったのだが、未だ問題は残っていた。
そのことを指摘するように、考え込む様子のベルがゆっくりと口を開く。
「これでアスマを助けられるわけだが、アスマに二人は助けたから、もうそこにいなくてもいいとは言えないわけだな?」
「そうなりますね。少なくとも、殿下が向こうにいる間は伝えられません」
イリスとタリアという人質が消えたことで、ハクからの脅しを受けても、シドラス達は無視できるようになった。剣をどれだけ見せられても、気にすることなくシドラス達はハクを捕らえるために動ける。
だが、アスマは違う。事情を知らないアスマはハクに協力的な姿勢を見せ続けるだろう。その姿勢を崩すために最も効果的な手段が、イリスとタリアの救出を伝えることなのだが、それをしてしまえばハクが無理矢理にアスマを連れ出し、今度はアスマの方が絶対的な人質となるかもしれない。
そうなれば、もうシドラス達に打てる手はなく、アスマが殺されると分かっていても見逃すしかなくなる。それだけは避けなければいけない。
「事情を伝えることなく、ハクからアスマを引き剥がせればいいのか?」
「そうなりますが、それが簡単にできるかどうか……」
シドラスが距離を詰められれば、ハクからアスマを引き剥がすこともできるはずだが、問題はハクが魔術師であるという点だ。魔術による攻撃はシドラスの踏み込みを阻止し、シドラスの得意な間合いを作れないまま、アスマを手元に置かれるかもしれない。
そうしないためには奇襲しかないが、流石のハクも周囲には警戒を向けているだろう。シドラスがどれだけうまく近づいても、絶対にばれないとは言い切れない。
「なあ、一つ提案があるんだが」
「何ですか?」
「私がアスマを引き剥がしに行くのはどうだ?」
「ベルさんが?」
シドラスはベルからの提案に驚きながら、ベルが実際に行動する様子を想像する。確かに騎士であるシドラスと違って、子供の姿をしたベルならハクも躊躇いを覚えるかもしれない。
だが、実際に攻撃しないとは考えづらい。正面から迫ってくることがあれば、追い返すために魔術を向けてくるだろう。それが絶対に当たらないとは言い切れない。
「いえ、危険です。やめましょう」
「いや、でも、私なら攻撃を受けても死ぬことはない」
「ベルさん、死なないことと傷ついてもいいことは別です。今回の遠征に同行した騎士として、そのような手段は飲めません」
シドラスが確固たる意志でベルの案を拒絶すると、ベルの表情は僅かに曇りながらも、一応は納得してくれたようだった。その様子に安堵しながら、シドラスはベルの案から別の考えを思いつく。
「ただベルさんの案から思ったのですが、注意を引く役割があるといいのかもしれません」
「注意を引く?」
「向こうは恐らく、こちらが実際に追いかけているか、誰が追いかけているかを把握していないはずです。仮にベルさんが姿を見せても、他に人がいるのかどうかは分からないでしょう」
「そこで私が注意を引ければ、シドラスが密かに近づくこともできるのか」
「そういうことです。あくまで注意を引くだけで、接近しようとさえしなければ、魔術を向けられることもないでしょう」
ベルを下手に傷つけることもなく、これでシドラスはハクに接近できる手段を得られた。そう考え、シドラスが思い浮かんだ案を採用しようと思ったところで、それまで二人の会話を聞いていたミカが不意に口を開いた。
「ねえ、私も手伝うよ」
「はい?」
「ミカも?」
ミカからの思わぬ提案にシドラスとベルは揃って驚いた。既にベルがハクの注意を引いている隙にシドラスが接近し、アスマを確保する方向で話がまとまっただけに、急なミカの参加は戸惑いを覚えた。
「え、えっと、なら、私と一緒にハクの前に出るか? 注意を引くくらいなら、ミカがいても大丈夫だろう?」
「そ、そうですね。寧ろ、ミカさんがいることで、ハクさんの意識も、より向けられるかもしれません」
それくらいならいいだろうと判断し、シドラスとベルが代替案を考えたが、それを聞いたミカはかぶりを振り始めた。
「私がお姉ちゃんを止めるよ!」
「ちょ、ちょっと待て」
「お姉ちゃんが悪いことをしようとしているなら、私が止めないと!」
ぶんぶんと拳を振るような動きを見せて、真剣な表情で言ってくるミカに、シドラスとベルは困り始めていた。
確かにミカであれば、シドラスやベルと違って、ハクも攻撃しないだろうという予想はできた。ハクがアスマを殺そうと考えた理由も、場所を移動しようと考えた理由も、家族であるアクシスやミカが絡んでいる以上、ミカに危害を加えることはないだろう。
だが、それだけを理由に、ハクの対処に当たらせることは無謀でしかない。アスマを連れ出すように言っても、それがうまく行く保証はなく、万が一にでも攻撃をしてきた場合、無駄に傷つけることになってしまう。
それはシドラス達も、ハクも、誰も望んでいない結果だろう。
「い、いや、流石に直接は……なあ?」
ベルが困ったように目を向けてきて、シドラスは首肯する。
しかし、ミカは譲る様子がなく、二人の言い分を拒絶するようにかぶりを振り始める。
「お姉ちゃんのことだから、私も協力する! 私が絶対に止める!」
頑なな態度を示すミカを前にして、シドラスとベルは困ったように顔を見合わせた。シドラスがそうであるように、ベルの頭の中でも、どのようにミカを諦めさせるか、手段を考えていることが表情から分かった。
「ど、どうする……?」
ベルに問われ、シドラスはいろいろと状況を考えてみる。
ミカを直接的に向かわせることは当然のように危険なので不採用だ。それはベルに任せることを断ったことと同じで、シドラスとしてはそこを受け入れるわけにはいかない。
だが、ミカであれば攻撃を向けられることが絶対にないというポイントは、明確に優秀な利点だった。
仮にシドラスがこっそりと近づこうとして、そのためにベルやミカが注意を引いていたとしても、シドラスがすぐ近くまで行けば、最終的にハクにばれる距離はある。その距離が想定よりも遠いと、アスマを助ける余裕もなく、シドラスはハクの攻撃から逃れないといけなくなる。
それがミカの場合は絶対に起きないと考えたら、それは確かに一つのメリットと言えるのかもしれない。ただそれに絡む複数の問題があるので、それをメリットと受け入れるのは難しいとシドラスはかぶりを振る。
「な、なあ……?」
シドラスがあまりに考え込み、悩んでいる様子を心配したのか、ベルがミカには聞こえないほどの声でシドラスに話しかけてきた。
「このまま時間をかけると、二人を見失うかもしれないし、ここは最悪、私が盾になるから、ミカに任せるか……?」
「い、いえ、それはダメです……」
あまりに悩み続けていると、アスマやハクを見失うことは確かだが、それでも、ベルを盾にするという案をシドラスは立場的にも、気持ち的にも受け入れられなかった。
盾というなら、それは不死身だとしてもベルではなく、騎士であるシドラスの役目のはずだ。そう考えたことで、シドラスの中に別の案が浮かぶ。
「……分かりました。ここは私が盾になります」
「シドラスが盾……? どうするつもりだ?」
「基本はさっき言った通りにお互い動きましょう。その中で私は敢えて、自分が近づいていることをハクさんに知らせます」
「そんなことをしたら、警戒されるんじゃないか?」
「はい。警戒するだけでなく、恐らく、魔術を私に向けてくるでしょう」
「なら……」
「ですが、それによってハクさんはベルさん達が私を隠すための引きつけ役だと考えるはずです」
シドラスがそう言ったことで、ベルはシドラスの考えた作戦がどういうものなのか理解したのか、納得したように頷き始めた。
「そこで私達が近づいて、アスマを引き剥がすのか」
「そういうことです。これなら、高確率で二人の安全は確保できるはず、ですが……」
シドラスの中には未だいくつかの懸念点が存在した。ミカを説得するだけの時間を設けられたら、それが一番いいのだが、それだけの時間を作れない以上、ミカを作戦に組み込むしかない。そのためにはこれがいいとは思うのだが、それでも、万全とは言えない点が酷く引っかかる。
「なら、それで行こう」
「大丈夫……でしょうか?」
「大丈夫だ。最悪、私が盾になる」
「それは大丈夫とは……!?」
「それが嫌なら、お前が頑張れ。言っておくが、一番大変なのはお前なんだから、お前の方こそ、気をつけろよ」
反対にベルから心配するような言葉をかけられ、シドラスはそこまで抱えていた僅かな不安が消え、苦笑いを自然と浮かべていた。
「もちろん、善処します」
ベルにそう答えたことで、シドラス達の行動は決まり、まとめられた作戦がミカにも共有され、三人は再びアスマを連れたハクを追いかけるために走り始めるのだった。
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