竜と寵児(16)

 止まっている二人の会話はあまり聞こえなかった。微かに話していることは分かるが、何を話しているかは分からない、というくらいの声だ。


 ただ雰囲気やついに立ち止まったことから、そこがハクの目的地であることは何となく分かった。ハクに何かを言われ、アスマが動き出した時、それが見逃してはいけない行動だと察し、ベルは飛び出していた。隣にはミカもいる。


「ベ、ベル……?」


 アスマが戸惑った様子で呟く。その目は幽霊でも見るかのように驚きに満ちたものだ。恐らく、アスマの中ではベル達が追いかけてくる可能性など、微塵も考えていなかったのだろう。

 想像力がないわけではない。イリスやタリア、人質という存在がアスマの思考に蓋をしたのだろう。


 その隣ではハクの表情が驚きと微かな動揺に包まれていた。シドラスの指摘にあったように、この場にミカが現れたことで、ハクは隠し切れないほどの動揺に襲われたらしい。その人間らしい表情は、とてもじゃないが人の命を奪おうと思っている人間のものには見えない。


「そこで何をしているのですか……?」


 ハクが表情から驚きと動揺を消し、睨みつけるようにベルを見てきた。鋭い視線には恨みのような感情が乗っているように感じるが、それはきっとミカを連れてきたことに対するものだろうとベルは思った。


「もちろん、お前を止めるためだ」

「私を止める? 何を仰っているのですか?」


 そう言いながら、ハクの視線がベルから隣に立つミカへと移る。ベルとミカに向けられる視線の高さは変わらないが、瞳の位置は分かりやすく横へと流れていた。


「ミカも、そこで何をしているのですか? そのような知らない人達と一緒にいてはいけないと……!」


 ハクが怒鳴るように声を荒げかけた直前、ベルはミカの前に身を伸ばし、ハクの言葉を遮った。ミカは不満と怯えが綯い交ぜになった顔をしながら、ベルの後ろに隠れるように身を屈める。


「何ですか……? 今、その子と話をしているのです。そこを退いてくださりませんか?」

「今のどこが話だ? お前が一方的にミカを怒っているだけだろう? さっきも、今も、ミカの話を聞く素振りも見せないで意見を言うだけ言って、それでミカが言うことを聞くと思うのか? ミカはお前のペットなのか?」

「何を……言っているのですか……?」


 ハクの鋭い視線がベルの身体を突き刺すように伸びてきた。ミカがベルの身体の後ろに隠れて、怯えるようにハクを見ている。どうやら、ハクは本気で怒っているらしい。


「ペット……? そんなことを思うはずがないですよね? 私の家族を侮辱しないでください」

「侮辱しているのはどっちだ? ペットではないと言うなら、ミカの話も聞けばいいだろう。自分の意見を言って、それに従わせるだけで、その相手をお前は家族と言うのか?」

「部外者が分かったようなことを言わないでください」

「その部外者にお前の家族は助けを求めているんだが?」


 ハクがどれだけ睨みつけてこようと、ベルは引くつもりがなかった。真正面から向き合って、ハクと言い合おうとするベルを目にして、アスマがオドオドと戸惑っている。


「ちょ、ちょっと……!? ふ、二人共……!? 喧嘩しないで……!?」

「貴方は黙っていてください……!」


 ハクがピシャリと言いつけ、アスマは唖然としたまま固まっていた。怒られたことよりも、ハクをこれ以上刺激して、イリスやタリアを傷つけられる可能性を恐れたのかもしれない。


「アスマに対するその態度もそうだ。お前は端から話を聞く気がない。自分勝手に決めつけて、それで全てを進めようとしている。全部がただの自己満足だ」

「自己満足……? 貴女に何が分かるのですか……? 父を殺されるかもしれないと知って、何とか父を助けようと考えて、ようやく見つけた答えがこれなのです。家族を守るために、私はやらなければならないんです!」

「それを自己満足と言わずに何と言うんだ?」


 譲らないベルにハクは恨みすら感じさせる視線を向けてくる。ハクの意識はしっかりとこちらに向いている。ベルはそのことを確認し、背後に立つミカの手を握った。


「貴女は何なのですか……? ここに何をしに来たのですか……? 分かっていますか? こちらには人質がいるんです。下手な行動を取れば、人質を殺しますよ……!?」


 イリスの剣を取り出し、見せつけるように掲げる。ハクは高らかに宣言しながら、ベルを睨みつけ、ベルは反射的に開きかけた口を閉じて、ゆっくりと深呼吸をした。


「ここに来た理由など決まっている。お前を止めに来たんだ」

「私を止めに? それほどまでに魔王を助けたいのですか?」

「当然だ。お前がアクシスに死んで欲しくないと思っているように、私達はアスマに死んで欲しくないと思っている。それに……」


 ベルはまっすぐにハクを見つめる。ハクはベルからの視線に敵意の類が一切ないことに戸惑いを覚えたのか、僅かに表情を緩めている。


「お前に人殺しなどさせたくない」

「な、にを言って……?」

「お姉ちゃん……いなくなっちゃうの……?」


 不意にミカがベルの後ろから顔を出し、恐る恐るハクにそう聞いた。その質問にハクは動揺したのか、僅かに瞳を左右に踊らせている。


「どうして、そんなことを……?」

「このままだと、お姉ちゃんがいなくなっちゃうかもって……私、そんなの嫌だよ……?」


 ミカの懇願するような視線にハクは戸惑っているようだった。それまでの威勢が消え、掲げていたイリスの剣は少しずつ下がっている。

 きっと元から迷いがあったのだろう。それを力強さや強引さで誤魔化し、何とか行動しようとしていた。


 それが家族であり、大切に思っているはずのミカの言葉で揺れた。その気持ちの変化をベルは強く理解できた。

 手放すことや失うことを一番実感するのが、持っている物を認識した時だ。ハクは今、その岐路に立っている。


「本当に家族のことを思っているなら、今すぐにこんなことはやめるべきだ。アスマとアクシスが出逢うことで、何か良くないことが起きると言うなら、その解決法を私達も一緒に考える。そうならないようにできることがあるなら協力する。だから、馬鹿なことはやめろ。もっとアクシスやミカのことを考えてやれ」

「そんなこと……言われなくても……分かっています……」


 ハクは迷うように視線を下げて、小さく拳を握り締めていた。握られた拳は微かに震え、ハクの心の中の迷いを如実に表している。


「でも……これしか……私には、これしか……こうするしか……」


 そう呟きながら、ハクは考えを変えようとせず、自身の手をベル達の方に向けてくる。そこに術式が現れ、ベルはミカを庇うために、顔を出していたミカを自分の後ろに押し込んだ。


「やめろ……!?」


 ベルがそう叫んだ瞬間のことだった。不意にハクやアスマの近くから、細い枝の折れる音が響き、二人の視線が音の立った方に向いていた。


 そこではシドラスが身を屈めながら、ゆっくりとハクに接近しているところだった。


「貴方……!? そこで何を……!?」


 そう言いながら、ハクはベル達の考えに気づいたのか、ハッとした顔をする。


「まさか、私の注意をミカの方に向けさせて、魔王を助けようとしていたのですか!? そうはさせません!?」


 ハクが術式を浮かべた手を動かし、シドラスの方に向けた。シドラスは向けられた術式に反応し、高木を盾にするように移動する。


 瞬間、術式から光の柱が飛び出し、高木の隙間に突き刺さった。ハクはシドラスを追いかけるように手を動かし、それに続いて光の柱が飛び出してくる。


 シドラスはそれら光の柱から逃げるように、高木の隙間を走っていた。その様子にアスマが不安そうな顔を浮かべて、ハクに懇願している。


「ま、待って!? 俺は逃げないから、シドラスを攻撃しないで!?」

「そうはいきません! こちらに来たら、貴方の意思など関係なく、彼らは貴方を連れていってしまう!」


 ハクはアスマの願いを聞くことなく捨て去り、シドラスへの攻撃を続けようとする。その様子を見ながら、ベルは手を握ったミカと一緒に、


 そのことに気づいたらしいハクがこちらに視線を向け、驚いた顔をしながら手を向けてくる。その手には術式が浮かび、そこからは光の柱が飛び出してくる。


 が、ハクはそうしなかった。その理由は分かっている。狙った先にベルだけでなく、ミカもいるからだ。


 ベルとミカはハクに接近し、既にかなり踏み込んだ位置まで来ている。この位置では威嚇目的の攻撃でも、ベルやミカに当たるかもしれない。その可能性がある以上、ハクは攻撃できない。


「ミカ!」

「うん!」


 ベルの合図でベルとミカは同時にハクへと飛びかかっていた。ハクは魔術による攻撃を諦めて移動しようとするが、シドラスへ攻撃を向けている最中にベル達は接近している。

 既に逃げられる距離ではなく、ベルとミカはハクに飛び乗っていた。


「捕まえた!」

「お姉ちゃん! 大人しくして!」

「は、離してください……!?」


 そう言いながら、ハクが暴れようとする中、シドラスがこちらにやってきて、アスマを守るようにその近くに立っている。これで無理矢理アスマを狙われることもなくなった。


 それら作り上げた状況を目にして、ベルは、アスマを助けられた、と心の中で安堵するのだった。

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