竜と寵児(12)

 振り返っても誰の姿も見えないところまで来ても、ハクの足は止まる様子がなかった。試しにアスマは振り返ってみるが、枝を伸ばすこともなく、数十メートルの高さまで伸び切った高木が立ち並ぶばかりで、さっきまで自分達のいた場所は方角すら分からない。


「どこまで歩くの?」


 正面を向き直し、そこを歩くハクに声をかけてみるが、ハクはアスマの声が聞こえていないように何も言わない。アスマは自分が取り残されているのかと若干の不安を覚えるが、アスマの歩幅が小さくなって、少し遅れそうになると、ハクも歩幅を狭めることから、それはないだろうと分かる。


「どこか目的地があるの?」


 アスマは再び質問を投げかけてみるが、ハクからの反応はやはりない。もしかしたら、気づいていないだけで自分は既に殺されていて、どれだけ声を発してもハクに聞こえてないのだろうかと不安になるが、そうだとしたら、ハクはアスマの歩幅に合わせる必要もないはずだ。恐らく、それはないだろうと思うことにする。


「ねえ、本当に……」

「あの、黙ってついてきてくださりませんか?」


 アスマが三度、質問を投げかけようとした時、ハクはついにアスマの声に反応を示し、こちらを振り返った。やや不機嫌そうにアスマを睨み、アスマに命令してくる。


「ご、ごめんね。でも、あんまりにも歩くから、気になって」

「貴方に関係ありますか?」

「えっ? 関係ないの?」


 自分も一緒に歩いているのに、そこに関係がないのかと驚くアスマに対して、ハクは眉を顰めたまま、当然と言わんばかりに口にする。


「貴方はこれから死ぬのですから、そこがどこかとか、そういうことは関係ないですよね?」

「いや、でも、どこで死ぬかくらいは知りたいよ?」

「その必要がありますか? 死ねば、もう終わりでしょう?」

「だからこそ、最期がどこかなのかは知りたいよ。死んじゃったら、もう知れないんだから」


 言い包めようとしてくるハクに対して、アスマが真正面から言い分を述べていると、これは面倒だと思ったのか、ハクは口を閉じて、言葉の代わりに溜め息を吐き出した。


「分かりました。到着したら教えますよ。それまで黙っていてくれますか?」

「分かった。頑張るよ」


 アスマが約束するように頷き、ハクはようやく行けるという安堵感を表情に出しながら、再び歩き出そうとする。その背中を追いかけようと歩き出しかけて、アスマは思い出したように口を開いた。


「あっ、なら、今の内に質問してもいい?」

「はい?」


 アスマが少し前の約束を忘れたように口を開いたことに、ハクは眉を顰めて嫌悪感を露わにしながら、アスマの方を振り返った。


「黙ると言ったばかりではありませんか?」

「うん。だから、その前に質問したいんだよ」

「どういう理屈ですか?」


 アスマの意味の分からない言い分にハクは困惑した顔を見せながらも、質問を聞けば大人しくなると思ったのか、その質問を妨げるつもりはないようだった。アスマの質問を促すように片手を伸ばし、それを見たアスマが表情を僅かに明るくする。


「じゃあ、聞くね」

「どうぞ」

「俺は本当に殺されるの?」


 アスマの口から直球としか言いようのない疑問が口に出され、ハクは一瞬、呼吸を忘れたようだった。ゆっくりと、僅かだが、目が大きく開かれ、ハクの瞳にくっきりとアスマが映る。


「それはどういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ? 確認。俺は本当に君に殺されるのかと思って」

「確認? 命乞いではなく?」


 もしも殺されるなら、殺されたくないから殺さないで欲しい。そうアスマが懇願しているようにハクは思ったようだが、その意思は本当にアスマの中になかった。イリスやタリアが人質に取られていると分かり、アスマの抵抗が二人の危険になるかもしれない状況で、そのようなことを考える利己的思考はアスマにはない。


「違うよ。純粋な確認。君の意思をちゃんと知りたいんだ」

「言いましたよね? 貴方が存在する限り、私の父はいつ命を落とすか分からない。だから、ここで貴方を殺害すると。それが私の気持ちの全てです。そこに嘘偽りはありません」

「やっぱり、そうなんだね。ううん。そう言うとは思っていたんだよ」

「では、どうして、そのようなことを聞いてきたのですか? 時間稼ぎですか?」


 疑うような目を向けてくるハクを前にして、アスマはここまで歩いている間、ずっと考え続けていたことを思い浮かべる。


「本当に君はそれでいいの?」

「はい?」


 アスマが再び投げかけた質問を聞いて、ハクは不快感を露わにしていた。くっきりと眉間に皺を寄せて、睨みつけるようにアスマを見てくる。


「やっぱり、命乞いですか?」

「違うよ。君は本当にそれでいいのか、俺は心配しているんだよ」

「心配? 何を心配しているんですか? 私が貴方を殺すことで罪悪感を懐くとお考えですか? でしたら、その考えはお捨てください。私は父のために貴方を殺害することに何の躊躇いもありません」

「だから、心配しているんだよ」

「どういう意味ですか?」


 アスマが何を言っているのか分からないという風にハクは眉を顰めていた。アスマはハクが疑問に思っている心配の理由を説明するために、ゆっくりと口を開く。


「君は俺を殺しても、の?」


 アスマからの問いを受けて、ハクの周囲を流れる時間が止まってしまったかのように、ハクは動きを止めて、ゆっくりと呼吸すら忘れていた。さっきとは違い、驚きを目に見せることもなく、ハクは口を噤む。


「君が俺を殺したら、アクシスが君を怒ることはないの? 君がアクシスの近くから追い出されることはないの? 本当にそれでずっと一緒にいられるの?」


 ハクと比べれば、アスマはアクシスと一瞬としか言えない時間しか過ごしていない。それでも、アクシスの性格は何となく分かったし、自分の娘だとしても、道理から外れたことを良しとするかどうかくらいは想像がついた。


「君はアクシスを守るために俺を殺したいって言っているけど、それをしたら、君はここから去らないといけないんじゃないの? 本当にそれでいいの?」


 アスマが質問を投げかけると、ハクの表情はゆっくりと暗く、アスマを強く睨みつけるものに変化していった。既にアスマがアクシスを殺してしまったのかと錯覚してしまうほどに、ハクはアスマの身体を射抜く勢いで鋭い視線を送っている。


「もっと他の方法が……」

「……るさい……」

「えっ?」

「うるさい……! うるさい!」


 アスマが質問を続けて投げようとした瞬間、ハクがそれまでの様子をかなぐり捨てるように叫んだ。その言葉と声の大きさにアスマは目を丸くする。


「なら、どうすればいいと言うのですか!? 貴方が生きている限り、私は一生、父を殺されるかもしれないという不安を懐き続けるのです!? それを解消するためには、貴方を殺すしかない!? それでたとえ、父に嫌われたとしても、私にはそれ以外に父を救う方法がない!?」


 ハクは感情のままに、目元から涙を撒き散らしながら、そう訴えてきた。そこにはアスマが与えてしまっている不安と、アクシスに対する思慕の念が含まれ、アスマはそれ以上の言葉が出てこなかった。


「私は父のために貴方を殺します! これは変わりません! 貴方に何を言われても! 父に何を言われても! もうそれしかないのです……!?」


 自身の感情を噛み殺すように呟くハクの姿を目にして、アスマはやはり、このままではいけないと強く思った。このままハクに望まない殺人をさせてはいけない。それをアスマは止めなければいけない。

 そう思うが、そのための手段は思い浮かばない。


「分かったら、もう黙ってついてきてください。あまりにしつこいと、人質がどうなっても知りませんよ?」


 ハクは脅すようにイリスの剣を取り出し、アスマは大人しく従うために頷く。イリスやタリアはもちろんとして、目の前のハクも助けてあげたい。アスマは改めてそう思いながら、再び歩き出したハクの後をついていくように歩き始めるのだった。

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