竜と寵児(10)

 割れ目から姿を現したハクが、ミカの声に反応するように目を向けて、親が子を叱る時のような不機嫌さを感じさせる目をした。


「ミカ。そんな知らない人達を自由に歩かせてはいけません」

「お姉ちゃんに逢いたいって言うから。それにお父さんも止めなかったよ?」

「言い訳しない」

「はーい」


 ハクからのお説教を受けて、ミカは不満そうに唇を尖らせる。その様子にハクは小さく溜め息をついてから、ようやくシドラス達の方に目を向けてくる。


「初めまして、魔王」

「初めまして。君がハク?」

「ええ、良くご存知で」


 犯人からの自供。それがなくとも、そこに立つ女性がハクであることは分かっていたが、これで嫌な疑いも必要なく、目の前の女性を犯人と断定した上での会話が始められる。

 そうシドラスが思っていると、アスマが回り道することなく、直通で質問を投げかけた。


「どうして、俺のことを狙っているの?」


 アスマから一切の遠慮のない質問を投げられても、ハクの表情は大きく変化しなかった。外聞を気にするように笑みを浮かべたまま、じっとアスマからの視線に視線を返している。


 タリアやアサゴをこの世界に連れ込み、アクシスですら居場所の分からない空間に引き籠っていたハクだ。この距離でも、どれだけの魔術を仕掛けてくるか分かったものではないと思い、シドラスは自然と警戒する。


「その理由が知りたいのですか?」

「当たり前だよ。何も理由なく、俺のことを狙ったりしないでしょう?」

「それは当然です。私は快楽殺人者ではないので。ですが、私が貴方を狙っている理由など知らずとも、貴方の前に姿を現したのなら、攻撃するなり拘束するなり、何でもできると思っていたのですが、そうはしないのですね」

「そんなこと急にしないよ。俺はここに話をするために来たんだから」

「話、ですか……」


 ハクの視線がアスマから移り、シドラスとエルの方に向いた。ハクの狙っている対象であるアスマがそこにいて、その近くにはソフィアも立っている。その状況下で、二人が警戒しないわけにはいかないが、その雰囲気を感じ取ったのかもしれない。ハクが二人を見つめる視線はやや冷めた印象だ。


「まあ、いいでしょう……魔王が聞きたいと言うなら、お答えしましょう」


 そう言いながらも、ハクは表情を変えることなく、命を狙っていた対象であるアスマに笑みを見せたまま、その理由を端的に説明する。


「それは貴方が竜殺しの魔王だからです」

「……えっ?」


 ハクからの返答はアスマの中で相当に意外だったのだろう。ハクが言った言葉をしばらく理解できないように固まってから、アスマは聞き返してしまっていた。


「俺が竜殺しの魔王だから? えっ? どういうこと?」

「そのままの意味ですよ。貴方が竜殺しの魔王だから、貴方をこの場所に近づけるわけにはいかなかった。貴方がこの地を訪れる前に殺害しようとした。そういうことです」

「ごめん。俺が馬鹿なのかもしれないけど、君が何を言っているのか、いまいち意味が分からなくて」


 困惑するように頭を掻くアスマの隣で、ベルはハクの理由に納得するように頷いていた。視線をハクからアスマに向けて、今も理解できないという風に苦悩しているアスマに答えを教え始める。


「つまりだ。あの女はお前がアクシスを殺すかもしれないと思っているわけだ」

「えっ? ええ!? そんな風に思われてるの!?」

「その通りです」


 ベルの説明にハクが頷き、アスマは愕然としているようだった。アクシスを殺すと思われていた部分か、それが自身の命を狙っていた理由と知ったからかは分からないが、表情には驚きの気持ちが張りついている。


「まあ、当然の考えよね。竜殺しの魔王という物騒な名前を聞いたら、誰でもそう考えるわ」


 ソフィアが肯定するように頷き、アスマは慌ててかぶりを振り始めた。


「い、いや、俺はそんなことをしないよ!?」

「そんな全力で否定しなくても分かってるわよ。逆に考えていたのかと思うくらいに怪しいわよ?」

「考えてない!」


 ソフィアの揶揄いに全力の抵抗を見せながら、アスマは自身の白を証明しようとしていた。が、そのことは関係ないと言わんばかりにハクはかぶりを振り返す。


「貴方の意思がどうであれば、貴方はいつか、私の父を殺すかもしれない」

「俺がそんなことすることはないよ!」

「そう言い切れますか?」

「うん! 絶対に言い切れる!」


 ハクからの問いに断言するアスマだったが、その次の質問を聞いたことで、その表情も一変する。


「では、貴方はどうして竜を殺したのですか?」

「えっ……? それは生まれたばかりで……」

「自分の意思ではなかった。そうですよね?」

「う、うん……」


 アスマが先代の竜であるゼットを殺害したのは、誕生の際の魔力の暴走が原因だった。通常は都市を破壊するほどの威力なのだが、その矛先が偶然にも近くで魔力を発したゼットに向き、結果的にゼットを殺害し、エアリエル王国の王都、テンペストは守られる形となった。


 そこにはアスマの意思が一切介入しておらず、それがアクシスを殺害しないとアスマが断言しても、ハクが信じ切れない理由のようだった。


「貴方がどう思っていても、どう考えていても、貴方が魔王である以上、竜である父との接触は何かを起こすかもしれない。その時に父が死なないと、どうして貴方は断言できるのですか?」


 ハクからの問いに流石のアスマも何も言えなくなっている様子だった。ハクの危惧は当然と言えるものだった。


 実際、エアリエル王国にいる時、シドラスはどうようの可能性を危惧し、アスマの同行を断ろうと思っていたくらいだ。現時点ではアクシスとの接触で悪いことが起きていないとしても、これがずっと続くかは分からない。

 もしかしたら、どこかで悪い影響が起きるかもしれない。それに巻き込まれて、アスマやアクシスが命を落とす可能性もある。


 そして、ハクはアクシスが命を落とす未来を何よりも恐れているようだった。


「貴方がこの森を去っても、貴方という存在が何を引き起こすか分からない。貴方の起こした影響がいつ父の命を奪うか分からない。その時になって、貴方はどう責任が取れるのですか?」

「それは……」

「取れませんよね? 命を奪った責任は誰にも取れない。だから、私は父を守るために貴方の殺害を決意したのです」

「偉く勝手ではないのか?」


 ハクからの質問の数々に言葉を失っていくアスマに対して、その隣に立っていたベルがハクの問いを否定するように口を開いた。


「命を奪って責任が取れないのなら、アスマを殺したお前はどうやって責任を取るんだ?」

「そんなものは知りません。私は単純に、私の天秤の傾いた方を救いたいだけです。多くの人がそうでしょう? そのためにできることは何でもする。それだけです」

「やはり、勝手だな。そういう選択は何も救わない。アクシスも、お前自身も」

「分かったようなことを……!?」

「分かっている。私はもう知っているからな」


 何かを犠牲にしても悲しみが残るだけだ。全員が納得できる状況でなければ、その手段には意味がない。皮肉にも、ガゼルの与えてくれた選択肢が、ベルにそのことを教えてくれていた。


「私達がアスマの殺害を望まない。それだけでお前の選択は間違いだ。アクシスを助けたいなら、本気で救いたいと願うなら、他の選択肢を探せ」

「……だから、そうしている間に父が殺されたら、私はどうすればいいのですか!?」


 激昂した様子でハクが動き出し、シドラスとエルが咄嗟に身構えようとした。その動きを見たハクが叫ぶように声を上げる。


「動かないでください!」


 そう言ってから、ハクは懐から何かを取り出し、掲げるように持ち上げた。その手の中に握られた物は剣で、その剣を見たシドラスは思わず目を丸くする。


「それは、イリスの……?」

「えっ?」

「そうです。貴方達のお仲間二人は私が捕らえています。返すかどうかは貴方の動き次第です。分かりますね、魔王」


 この場にいない二人、つまりはイリスとタリアが人質に取られた。そのことを把握した上で、シドラスは非常に厄介なことになったと考える。人質の存在もそうだが、何よりアスマという相手に対して、それは最も効果的な手段の一つだ。


 シドラスが知る限り、アスマが人質を諦めて、自身の命を優先することはない。


「二人を返して欲しければ、大人しく、私の指示に従ってください」


 そう言いながら、ハクはちらりとアスマから目を逸らした。何を見ているのかとシドラスが視線を追えば、その先にはミカが立っている。


「何をすればいいの?」

「魔王は私についてきてください。他の全員はその場から動かないでください。互いに目視できる限りは止まっていてください」


 ハクからの要求にアスマが首肯し、シドラスは止めようと口を開いた。


「殿下……!?」

「大丈夫。二人はきっと無事だから」


 シドラスの方を振り返り、優しく言ってくるアスマにシドラスはかぶりを振る。


「そうではなく、殿下が……!?」

「では、行きましょう」


 シドラスの言葉を遮り、ハクが森の奥へと消えていく。その後を追うようにアスマも歩き出し、シドラスは止めたい気持ちに駆られるが、動き出そうとする姿を制止するようにハクが視線を向けてきた。


 結局、シドラス達は誰もアスマやハクを止められないまま、二人が森の奥へと消えていく様子を見送るしかなかった。

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