竜と寵児(9)

 どこまでも底はなく、落下は永遠に続くかと思われた。遠くに見えたはずのハクの姿は消え、イリスもタリアも自分がどのくらい落ちてきたか分からなくなっている。


「ずっと……このまま、ということは……ないですよね……?」


 絶望した表情でタリアがぽつりと呟き、イリスはその言葉を否定するためにかぶりを振りたかったが、それだけの根拠を思い浮かべられなかった。タリアの言葉がイリスの心にも巣くったように、イリスの心にも絶望が広がり、イリスはずっとこのまま落ち続ける姿を思い浮かべてしまう。


「きっと……大丈……」


 心を覆った絶望を振り払うようにイリスが呟きかけた瞬間、イリスとタリアを柔らかな衝撃が襲い、二人の身体は何かの上を軽く跳ねた。不意な衝撃に面食らい、目を白黒させている間に、周囲の景色が黒一色から変化し、木肌に囲まれた温かな部屋が広がっている。


「こ、こは……?」


 イリスがゆっくりと身を起こし、戸惑いながら周囲に目を向ける。イリスとタリアが落とされた場所は見知らぬ部屋の中だった。二人は柔らかな毛布の乗ったベッドに着地したらしい。


「タリアさん、大丈夫ですか?」


 イリスが確認すると、タリアは戸惑いの表情のまま、ゆっくりと首肯する。永遠に思われた落下から解放され、さっきまで二人を包んでいた絶望は少しずつ晴れつつあったが、今度は新たに困惑の感情が二人の心を覆っていた。


「ここはどこでしょうか?」


 身を起こしたタリアが呟いて、イリスは小さくかぶりを振る。どこか確認しようと立ち上がってみるが、部屋の中にはベッドとテーブル、椅子くらいしかなく、テーブルの周辺にも物は置かれていない。


「さっきのハクという女性が送り込んだということは、彼女に関係のある場所だと思うのですが……」


 そう呟きながら、部屋の中をゆっくりと見回し、イリスは部屋についた窓を発見する。窓の外を確認できれば、送られた部屋のある場所が分かる上、窓から外に出られるかもしれない。

 そう考えたイリスが窓に近づいて、外の景色に目を向ける。


 そこに高木が立ち並ぶ景色を目の当たりにして、イリスはゆっくりと驚きを表すように目を見開く。


「サ、ラディエ……?」


 見覚えのある高木から察するに、イリスとタリアが送られた場所はサラディエの一角のようだった。高木の見え方から、イリスとタリアは二階建て以上の建物の二階部分にいるようだ。


「何か分かりましたか?」


 窓の存在に気づいたらしいタリアもイリスの隣に来て、同じように見える景色に驚きの表情を浮かべていた。


「ここはサラディエの中ということですか?」

「みたいですね」


 そう言いながら、イリスは窓を開こうと、窓枠に目を向けていた。鍵はかけられていない。窓は問題なく開きそうだ。二階という高さは少し不安だが、イリスとタリアが十分に通れる広さをしていることから、脱出自体はできそうだ。


 イリスがそのように考えながら窓を開き、下を確認するために頭を出そうとした。

 そこで透明な壁に頭をぶつけるように、イリスの頭を衝撃が襲った。


「痛っ!?」

「だ、大丈夫ですか!?」

「は、はい……」


 涙目になりながら頭を摩り、イリスは自身が頭を出した窓の外に手を伸ばしてみる。そこには見えない壁が存在するようで、窓の外まで手は伸びていかない。


「壁?」

「魔術かもしれません。ここからは出られないみたいですね」


 窓からの脱出は諦めて、イリスとタリアは部屋のある建物を調べてみることにする。他に出入り口があれば、そちらからの脱出も試みようと思いながら、二人は放り込まれた部屋をゆっくりと抜け出す。


 建物はログハウスのようで、壁は木々を組み上げたような仕上がりだった。イリスとタリアは廊下を見回し、ゆっくりと警戒しながら移動する。


「誰かいる気配はありませんね」


 どれだけ耳を欹てても、イリスとタリアの立てる物音以外の音は聞こえてこなかった。二人は廊下を突き進み、その先にあった階段をゆっくりと降りていく。建物は二階建てなのか、下に向かう階段しか見当たらない。


 階段を降りた先で、イリスは玄関と思しき扉を発見する。脱出できる可能性に浮つく気持ちを抑え、イリスはその扉に近づいて、ゆっくりと開けてみる。


 扉を引くと、ゆっくりと扉は動き出し、その向こうにはサラディエが広がっていた。


「で、出られる……!?」


 タリアが声を上擦らせながら呟くが、イリスは冷静さを失っていなかった。タリアが飛び出さないように制止しながら、扉の向こうにゆっくりと手を伸ばしてみる。


 そこで手は何かに触れた。


「ダメです。ここにも透明な壁がある」


 イリスがかぶりを振りながら伝えると、タリアは明確に落胆した顔をする。イリスも同じ気持ちだったが、それを表情に出してしまうとタリアを不安にさせると考え、イリスはできるだけ平静を装い、部屋の中を見回した。


 さっきの部屋と違い、一階は様々な場所に物が置かれていた。生活感のある部屋の様子から、この場所で誰かが暮らしていることは間違いないようだ。


 それがハクなのか、それ以外の誰かなのかは分からないが、部屋の中を調べてみることで、何かしらの情報が得られるかもしれないとイリスは考えた。ハクに関する情報か、ハクではない住人の情報か、ここから脱出するための情報かは分からないが、何もしないよりはマシのはずだ。


「少し部屋の中を調べてみませんか? もしかしたら、他に抜け出せる場所があるかもしれませんし」


 イリスがそのように提案すると、タリアはゆっくりと部屋の中を見回してから首肯した。イリスとタリアはそれぞれ散らばって、一階の探索を開始する。


 一階にはいくつかの扉が存在し、その向こうには様々な部屋が広がっていた。キッチンやトイレの他、個人で使っていたと思われる部屋もあって、イリスはその部屋の一つに足を踏み入れる。


 イリスが入った部屋の中は酷く散らかっていた。服や本などの物が散乱し、知らなければ泥棒が漁ったと勘違いするほどだ。足の踏み場もなく、イリスは爪先立ちになりながら、部屋の奥に入っていく。

 そこに落ちた一着の服を拾い、イリスは部屋の中を見回した。


「男物……?」


 その部屋の住人は男性のようで、部屋に散らかっている服は全て男物の服だった。明確にハクの物ではないことから、それ以外の誰かが住んでいる場所だと分かるが、サラディエの中であるはずのこの場所に、誰かが住んでいるのかという点にイリスは驚きを覚える。


 もしかしたら、ハクの他にアクシスの育てている子供が住んでいるのだろうかと考えながら、イリスは服の隙間の落ちた本を拾ってみる。本は魔術に関するもので、イリスには内容が全く分からないが、挿絵などから読み取るに、治療に関する魔術のようだ。


「魔術……」


 そう呟きながら、イリスはここに送り込まれた方法と、ここから出られなくなっている原因を思い出し、一つの可能性に気づく。


 もしもハクが同様に本から魔術に関する知識を得たのだとしたら、この建物の中にある本を調べることで、この場所から脱出する方法が分かるかもしれない。


 そう考えたイリスが部屋から飛び出し、別の部屋に入っていたタリアに声をかける。


「タリアさん、さっきの女性の部屋を探しましょう!」


 思いついた可能性に高揚しながら、イリスが叫びながら部屋に入ると、そこでタリアは大きく目を見開いたまま、ゆっくりとこちらを振り返った。


「さっきのハクという女性が魔術を本から知ったなら、それを見つけることで、この建物から脱出できるかもしれません!」


 イリスは驚いた表情のタリアにそう説明するが、タリアからのリアクションは特になく、どこまでも驚きに満ち満ちた目でイリスの顔を見つめてくるだけだ。


「タリアさん? どうしました?」


 イリスがそのように声をかけると、タリアは手に持っていた草臥れた布を突き出し、自身の背後を指差した。


「そこで、これを……」

「これ? これがどうかしましたか?」

「裏を見てください」


 そう言われ、イリスが受け取った布を裏返す。そこにタリアが発見したと思われるものを見つけ、イリスはタリアと同じように目を丸く見開いていた。


「えっ……? これって……?」


 驚きのままに二人は見つめ合い、しばらく時が止まったように動けなくなっていた。

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