竜と寵児(7)

「それは彼が竜殺しの魔王だからです」


 ハクが口にした解答が時間を止めたかのように、イリスとタリアは唖然とし、しばらく固まっていた。イリスは同様の答えを頭の中に思い浮かべていたが、それでも、実際に解答として提示される衝撃は言葉で言い表せないほどだった。


 ハクは竜が父だと自己紹介した。アクシスが人間の子供を育てている話は有名だ。その内の一人が目の前のハクなのだろうとイリスでも想像がつく。


 そして、アスマはただの魔王ではなく、竜殺しの魔王として有名だ。誕生と同時に先代の竜を殺害した魔王。その話が現代の竜の元に届いていても不思議ではない。


 その噂を耳にしたことが全ての始まりだった。そこまでは納得がいく。理由として一定の理解を得られる。それが正解か不正解かは別として、理屈としてはイリスにも分かる。


 問題は、その噂を耳にした人物が誰であるのかという点であり、そこがイリスに大きな衝撃を与える理由となっていた。


「それはつまり、殿下が現在の竜を殺害するかもしれない、とそういう危惧ですか?」

「話が早いようで助かります」

「そんなこと……!?」


 タリアがあり得ないと伝えるように立ち上がりかけ、イリスはそれを制止するために手を伸ばした。アスマがアクシスを殺害することはあり得ない。それはイリスも断言できることだが、今はそれ以上に必要な確認がある。


「それは貴女の考えですか?」

「それはどういう意味でしょうか?」


 ティーカップに注がれた紅茶を飲み干し、テーブルの上に置かれたマフィンを一口齧りながら、ハクは小首を傾げる。


「竜殺しの魔王が竜を殺害する。それは貴女が考えた可能性ですか? それとも、ですか?」


 イリスの問いがイリスも受けた衝撃をタリアに与えたようだった。タリアはイリスの質問に驚いた目を向け、イリスは緊張で息を飲む。


 目の前の女性が考え、単独で行動を起こしているなら、今の状況は良くないが悪くもないと言える。少なくとも、今はアスマの命を狙えない。アスマが確実に無事であると保証されている状況だ。


 だが、もし竜が考え、ハクに命令を下したとしたら、状況は一転する。この間にもアスマがアクシスと接触する可能性は存在し、それが新たな問題の引き金を引かないとも限らない。


 もしかしたら、この間にもアスマはアクシスの攻撃を受けているかもしれない。そうなれば、被害はアスマだけに留まらないだろう。


 一刻も早く、ここを飛び出し、アスマのところに向かわないといけない。それで何かができるわけでもないが、この部屋で不必要に優雅なティータイムを過ごしているよりは意味があるはずだ。


 そう考え、表情に緊張を見せるイリスを前にして、ハクはマフィンを口の中に放り込みながら、小さく微笑みを浮かべていた。


「ご安心ください。全ては私の独断ですよ」

「つまり、現在の竜は与り知らぬと?」

「父の名誉のために言っておきますが、父は自身の命を狙う存在がいても、その殺害を考えるような方ではありません」


 ティーポットの紅茶を自身のカップに注ぎながら、ハクは穏やかな笑みを浮かべる。その温もりすら感じさせる表情には、ハクがどれだけアクシスを親として慕っているのか、事情を全く知らないイリスでも分かるほどの気持ちが籠っていた。


「貴女は殿下がいつか自身の父君を殺害するかもしれない。そう考え、先に殿下の命を奪おうと考えた。それが殿下殺害を依頼した理由であり、今回、森に入った私達を追い返そうとした理由ですか?」

「ええ、その通りです」


 ハクはゆっくりと紅茶を啜りながら首肯する。その姿にイリスはモヤモヤとした気持ちを抱えながらも、極めて冷静に質問を重ねることにする。


「タリアさん達をこの世界に連れてきて、殿下殺害を依頼したのはどうしてですか? これだけの魔術が使用できるなら、ご自身で殿下を狙えば良かったのでは?」

「私は父を尊敬し、この世の何よりも強靭であると考えております。その父を殺すかもしれない相手となれば、それは同等か、それ以上の力を持っていることでしょう。到底、私程度の力では敵いません」

「それでタリアさん達を連れてきた? 違う世界から連れてきたとして、殿下を殺害できるほどの力を持っていると?」

「分かりませんが、この世界にいる誰かに頼むよりは可能性があると思いました。結果的には、私の見当違いだったようですが」


 ハクはちらりとタリアの様子を目にして、残念そうに口にする。その言い方や振る舞いを見ていたら、まだアスマの殺害を諦めていないことは明白だ。

 やはり、ここにイリスとタリアを連れてきた理由は、それに関する話があると考えていいだろう。


「貴女はこれからどうするつもりですか? ご自身の手で殿下を殺害するつもりですか?」

「予定とは少し違いますが、ここまで来てしまっては一刻を争うかもしれません。すぐにでも、私は魔王に死んでもらうつもりです」

「そのために私達を利用するつもりですか?」

「ええ」


 ティーカップをテーブルに置いて、笑顔で頷くハクを前にして、イリスとタリアは絶句し、思わず息を飲んでいた。これほどまで純粋に、自身の信じた可能性だけを見つめ、人を殺害しようとできるのかという驚きと、その人物の手中に落ちてしまった自分達の現状を顧みて、イリスは絶望に近しい感情を懐く。


「アスマ殿下は……!?」


 そこでついにイリスの制止が効力を失ったかのように、タリアが力強くテーブルを叩いて、ハクの前で立ち上がっていた。唐突なタリアの行動にハクは驚いたように目を丸くしている。


「誰かを簡単に殺害する人ではありません。貴女のお父様を殺害するなど、あり得ません」

「貴女の前ではそうでしょう。では、私の父の前でも、そうであるという保証はありますか? 竜を前にして、魔王の血が暴れ出さないと言い切れますか? その時、父の亡骸を前にして、泣き崩れる私に仕方なかったと言うのですか?」


 それまで浮かべていた笑みを消し、ハクはタリアを問い詰めるように質問を投げつけた。タリアは篠突く質問の数々に気圧され、さっきまでの威勢が鳴りを潜めている。


「貴女は殿下を殺害して、その亡骸の前で泣き崩れる私達を見ても、自身の父君に良かったと仰るのですか?」


 それに対して、イリスはまっすぐにそう答えていた。その質問を受けたハクは僅かに狼狽えるように表情を強張らせ、それまでティーカップを握っていた手を止めている。イリスをまっすぐに見つめてくる目は僅かに震えているように見える。


「言えます。それが私の本心ですから」


 そう告げる声を耳にして、イリスはハクが完全な悪人ではないことを悟った。竜に育てられたという特殊な環境にはあるが、良くも悪くも普通の人なのだろう。


 だからこそ、自身の親がいなくなるかもしれない可能性を受け入れられない。それを齎すかもしれない存在を必要以上に恐怖している。

 その恐怖心を取り除きたいが、これ以上、イリスやタリアが何かを言っても、ハクが聞いてくれるようには思えなかった。


 これを解決するためには、アスマ本人と話をさせて大丈夫と思わせるか、アクシス本人から大丈夫であると伝えさせるしかないが、そのどちらも状況的には難しい。アスマを連れてくることは危険であり、アクシスに頼むことは現実的ではない。


 どうすればいいかと考え始めるイリスの前で、不意にハクが何かに気づくように部屋の天井へと目を向けた。ゆっくりと視線を動かす姿は部屋の外を確認しているように見える。


「あの子ったら……本当に優しいのだから……」


 どこか子供の悪戯に呆れながらも、嬉しそうな反応を見せる親のように、ハクが僅かに表情を崩してから、それがなかったかのように取り繕って、イリスとタリアの方を見てくる。


「申し訳ありませんが、少し事情が変わりました。貴女達にはもう少し大人しくしてもらいます」


 そう告げたハクが片手を伸ばし、イリスとタリアの前に突き出してきた。その掌に独特な模様が浮かび上がり、イリスは咄嗟に術式のことを思い出す。


「魔術……!?」


 慌てて立ち上がり、イリスが動き出そうとした瞬間、イリスとタリアの足元が消えたかのように体勢が崩れ、二人はそのまま黒い床に倒れ込んだ。そこには存在していたはずの硬さがなく、二人は倒れ込んだまま、その下へと落ちていきそうになる。


「落ち……!?」


 イリスとタリアは慌てて手を伸ばそうとするが、そこにあったはずのテーブルも椅子も消え、掴めるものは何もなくなり、二人の身体は抵抗する余裕もなく落下を開始した。


「待っ……!?」


 イリスは慌ててハクに声をかけようとしたが、自身を見下ろすハクの表情を目にした途端、その声が引っ込み、イリスとタリアは何も言えないまま、黒い底に落ちていく。


 その時のハクの表情はどこか申し訳なさそうなもので、その表情にイリスは若干の後悔の色を感じ取っていた。

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