竜と寵児(2)

 シドラス達が呆然と見上げる目の前で、青いドラゴンはゆっくりと身を起こした。背筋を伸ばすように頭を擡げてから、眼下に立つシドラス達に目を向けてくる。


「ふぅ、良く寝たぁ」


 欠伸するように口を開けながら、青いドラゴンは地を這うように低く響く声を発した。喉から発せられた振動が実際に地面を震わすように伝わり、シドラスの足は思わず竦む。


 それから、ゆっくりと青いドラゴンの視線がアスマに向く。重たそうな瞼の隙間から、金色に光る瞳がアスマを見つめ、シドラスの中で緊張感が高まる。


「良く来たな、魔王」


 再び開かれた口から低く響くような声が放たれ、シドラスはアスマの近くに歩み寄るどころか、声すらも出なかった。それはエルも同じようで、僅かにアスマに目を向けてはいるが、そこから動こうにも動けていない。


「君がアクシス?」


 ただ一人、アスマだけは青いドラゴンの威圧感の前でも狼狽えることなく、驚く様子だけは見せながらも、そのように聞いていた。


「もち」


 アクシスが頷くように頭を動かした。一瞬、脳が食われるのかと錯覚し、シドラスは咄嗟に剣を握りかけるが、それをしたら本当に死が訪れると寸前のところで踏み止まる。


「俺が来るって分かってたの?」


 アクシスが一目でアスマを魔王と称し、その来訪に驚く素振りを見せなかったからか、アスマはそのように聞いていた。その問いに再びアクシスは頷くように頭を動かしている。


「それほどの魔力であれば、この森に近づいた時点で気づくというものだ。せっかく眠っていたのに、一瞬、目覚めてしまったくらいだ」


 迷惑そうに大きく欠伸をするアクシスを前にして、アスマは困ったように笑いながら頭を掻いていた。


「それはごめんね」

「いや、構わない。こちらが勝手に目覚めただけだ。魔王の来訪自体は非常に喜ばしいことだ」


 アクシスが笑っているのか、口元を僅かに持ち上げて、興味深そうに頭をアスマに近づける。近くで観察するような視線にアスマは不思議そうに自身の顔を指差している。


「俺が来て嬉しいの?」

「もち」

「どうして?」

「そんなこと決まっているだろう」


 アスマからの当然の疑問を耳にして、アクシスは身を起こしながら、さも当然のように口にする。


だ」

「……えっ?」

「……はっ?」


 アクシスの口にした想定外の返答に、思わずシドラスとエルも声を発していた。アスマも驚いたのか、アクシスの前できょとんとしている。


「面白い? 俺が?」

「先代の竜を殺した魔王と聞けば、面白い、逢ってみたいと思うだろう? 魔王。貴公は違うのか?」


 アクシスの不思議そうな問いに、アスマは素直にかぶりを振っていた。


「俺も人間の子供を育てている竜って聞いてたから、逢ってみたいって思ってたよ」

「やはり、そうか。そういう男だと思った」


 世界を滅ぼす力を有していると言われる二つの存在、竜と魔王。その二つがここで初めて顔を合わせ、最初にする会話が互いの存在を面白いと評することなのかと思ったら、シドラスの身体に巣くっていた緊張はいつの間にか消えていた。


「アクシス様、一つお聞きしても?」

「ん? 貴公は?」

「アスマ殿下の……魔王の騎士をしています、シドラスです」

「おお、魔王の騎士か。様などいらん。堅苦しい呼び名はいい。アクシスでも、竜でも、ドラゴンでも、好きに呼べ」

「それでは失礼して。アクシスは以前から、アスマ殿下のことをご存知で? まるで見知っているかのようなことを仰っていましたが」


 そういう男だと思った。アクシスはアスマからの返答を聞いて、そのように言った。それはまるで、以前からアスマの人となりを聞いて、アスマがどういう性格か把握していたかのような発言だ。


「もち。魔王の噂はいろいろと聞いてきた。いろいろと教えてくれる奴らがいるからな」

「教えてくれる奴ら?」


 まさか、それがアクシスの育てているという人間の子供かとシドラスは思ったが、アクシスの答えは違った。


「ああ、この森に棲む様々な動物達だ。鳥などは出先で見たことをすぐに言ってくる。いらない話までな」

「ああ、動物……えっ?」


 不意にシドラスは疑問に思って、森の中を見回す。サラディエの中どころか、この付近にすら動物の姿は一匹もなかったはずだ。

 それがどこかに動物がいるのかと、シドラスが思った直後、アクシスは不思議そうに周囲を見回していた。


「おかしい……今日はやけに静かだな……」


 そう呟いたアクシスの言葉を聞いて、シドラスの中で一つの仮説が浮かび上がる。


「もしかして、普段はこの付近にも動物の姿が?」

「ん? 当然だ。私の威光を頼りに足元まで擦り寄ってくる小動物もいるくらいだ。普段はもっと騒がしい」

「その静かな原因ですが……」


 そう言いながら、シドラスは隣に立つエルを見ていた。エルはシドラスと違って、まだ緊張が完全に解けていない様子だが、ここまでのアスマやシドラスと会話するアクシスの姿を見て、最初の頃ほどの恐怖心は懐いていないようだ。

 少し大袈裟に深呼吸をしてから、エルはシドラスに小さく頷きを返してくる。


「実は、ここに来るまでに私達は襲われたのです」

「貴公は?」

「私はこの国で国家魔術師をしています、エルドラドと言います。ここまでアスマ殿下……魔王の……友人として案内をしに来ました」

「おお、そうか。魔王の友人か」


 エルの言い方に迷いがあったためか、アクシスはちらりと僅かにアスマの表情を覗き見ているようだった。嘘かどうかの確認をしようとしているようだが、当のアスマはエルの説明を不思議に思うことなく、いつもの笑顔で聞いている。その姿にアクシスも納得したのか、エルのことを受け入れ、その発言に疑問を持ったようだった。


「襲われた? 獣にか?」

「いえ、魔術です」


 エルがそのように返答すると、アクシスは分かりやすく眉を顰めていた。


「魔術、というと?」

「私の見立てでは二式魔術の一種だと思うのですが、これくらいの大きさをした光る柱が降ってきたのです」

「それと影も襲ってきたよね。こうバッて」


 アスマが地面から勢い良く何かが迫ってくるようなジェスチャーを見せて、アクシスは小さく納得するように頷いていた。


「そうか……」


 小さく呟いたかと思えば、アクシスは足元に擦り寄ってくるという小動物であれば吹き飛びそうな勢いで、深い溜め息をつく。その息の深さと強さにシドラス達は面食らい、すぐに口を開けなかった。


「……にか……何か、心当たりでも……?」


 シドラスが早まる鼓動を押さえながら聞くと、アクシスは頷くように頭を動かした。


「私の魔術ではないが、私の子供が扱う魔術かもしれない」

「子供……? それはアクシスが育てているという例の子供ですか?」

「そうだ」


 その発言にアスマが興味深そうに目を輝かせていた。


「その子供って、どんな子なの?」


 アクシスの前に踏み込んで、アスマがシドラスとアクシスの会話に割って入るように聞いてくる。


「殿下、今は先に……」

「子と言っても、三人いるのだが……」


 そうアスマの質問にアクシスが答えようとした時のことだった。


「捕まえた!」


 不意に高木の隙間から誰かが飛び出し、叫び声を上げながら、シドラス達の前に飛び出してきた。


「はい、観念しなさい! もう逃げられないわ!」


 何かを抱きかかえながら、そのように告げる姿を目にして、シドラス達は思わず目を丸くする。


「おい、捕まえるのはいいが、気をつけて……」


 更に後ろから続いて現れた人物とシドラス達は目が合って、時間が止まったかのように全員が動きを止めた。


「ベル! ソフィア!」


 やがて、アスマがそう二人に呼びかけ、そこでようやくソフィアの視線がシドラス達に向く。


「あれ? アスマに師匠も、無事だった!?」

「で、殿下!」


 心配していたという様子でソフィアが聞いてくる中、同じくらいか、それ以上に心配していた様子のエルが取り乱したようにソフィアへ駆け寄ろうとする。


 その時、ソフィアの腕の中から、ソフィアが抱きかかえていた何かが飛び出した。


「ぷっはー! へっへ、捕まっちゃったぁ」


 そう楽しそうに口にした声を聞いて、シドラス達の動きが止まり、視線は自然とソフィアの腕の中に向く。


 そこにいたのは、ベルと同じくらいの年齢に見える、まだ幼さの残った女の子だった。

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