魔術大使(12)

 宿泊した宿のある町を後にすると、そこからは草原が広がっていた。一面の緑の中を二台の馬車が突き進んでいく。窓から見える光景は長閑なもので、とてもじゃないが、竜の住処に近づいている雰囲気はなかった。


「この先にサラディエが?」


 落ちついた田舎道という雰囲気に、シドラスが若干の不安を覚えながら聞いてみるが、エルは当然のように頷くだけだ。


 本当にこの先には竜の棲む森があるのだろうかと考えながら、馬車に揺られることしばらく、気づいた時には二台の馬車以外の人気が一切なくなっていた。

 長閑に思えた緑の景色はどこまでも広がっているが、その中には二台の馬車以外の動くものが見えない。


 単純に人がいなくなったわけではない。気づけば、見える範囲から動物も姿を消している。羊や牛などの家畜は当然のこと、空を飛ぶ小鳥すら草原の中からは消えていた。


 明らかにおかしいとシドラスが思い始めた頃、御者台に座るアレックスが手綱を引いていた。ゆっくりと馬車が停止し、何があったのかとシドラス達が顔を出す。


「どうしましたか?」

「見えてきました」


 ぽつりと零した視線の先、馬車から見て前方に、それまで草原には存在しなかった巨木の密集地帯が現れていた。森と呼ぶには禍々しく、僅かに見える木々の奥の雰囲気は薄暗い。


「あれが?」


 シドラスが聞きながら振り返ると、エルはゆっくりと頷いていた。心なしか、表情には緊張が宿っているように見える。


「このまま入ってもよろしいのですね?」


 改めて確認するようにアレックスがエルに聞くと、エルは端的に「お願いします」と答えていた。それを聞いたアレックスが再び馬を駆り、馬車がゆっくりと動き出す。それに続く形で、シドラス達の後ろを走っていたベル達の乗る馬車も動き出す。


「これから森に入っていくとして、その次はどうするのですか? 竜はどこに?」


 現代の竜であるアクシスはサラディエにいると言っても、そのサラディエは広大な森林地帯だ。巨大なドラゴンである竜であっても、その中に紛れていたら、見つかるとは限らない。


 せめて、目印の類でもあれば、とシドラスは考えるのだが、エルの返答はあまり好ましくないものだった。


「あの森の中のどこに竜がいるかは分かりません。中に入って探すしかありません」

「正気ですか? 流石にあの広さを一日やそこらで探せるとは思えませんよ?」

「安心してください。普通の生物を見つけることは困難ですが、あの森の中にいるのは竜です。世界を滅ぼすと言われるほどの力を有する存在ですから、その竜の持つ魔力は桁外れなものです」


 そう言いながら、エルは懐から一枚の紙を取り出す。何かと見れば、そこには術式が描かれている。どうやら、魔術道具の類のようだ。


「それは?」

「周辺の魔力を感知し、より強い魔力の方向を示します。これを利用すれば、あの森の中でも竜を見つけられるでしょう」

「どうやって利用するのですか?」


 シドラスが問いかけると、エルはお手本を見せると言って、取り出した紙を四つ折りにし始めた。紙の縦と横に折れ線を入れると、そのまま紙を開いて、今度は掌の上に乗せている。


「これで折って作った線と線の中心が強い魔力を感知すると、その方向に動き出します。その動いた方向に進めば、そこに竜がいるはずです」

「これはサラディエ全体に効果が?」

「ある程度の近さは必要なので、動き回る必要はありますが、竜ほどの魔力なら多少は離れていても感知できるはずです」


 エルが自信を持ってそう言う中、エルの掌の上では紙にできた線がゆっくりと移動を開始していた。


「あれ? もう動いていませんか?」

「あっ、本当ですね」


 不意にシドラスは窓の外を確認してみる。サラディエに近づいてはいるが、まだ窓の向こうには草原が見えている。サラディエの中には入っていないはずだ。


「まだサラディエに入っていないようですが?」

「そうですね。どういうことでしょうか?」


 エルも不思議そうに呟く中、移動し始めた線が紙の端に到達し、そこでピタリと停止する。その先を追うように視線を移動し、シドラスとエルは揃って、と目が合った。


「エルさん」

「はい」

「確認ですが、これはがあった際、その両方を感知しますか?」

「いえ、感知します」


 シドラスの質問に答えたエルが取り出した紙をポケットに仕舞う。その様子を見たアスマが不思議そうな顔をしている。


「あれ? それは使わないの?」

「殿下、使わないのではなく、使えないことが発覚しました」


 この馬車には竜と同等の存在が乗車していることを、今の今まで二人は完全に忘れていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 二台の馬車がサラディエに入っていく。窓の向こうの景色が一変し、さっきまで明るかった馬車の中が一気に薄暗く変化する。窓の外には頂点の見えない樹木が立ち並び、流れる景色は草原を走っていた時以上に変化しているようには見えない。

 その光景を眺めながら、ベルはタリアに目を向けた。


「どうだ?」


 ベルがそう聞く前には、タリアも窓の外を眺めており、その問いを聞いたタリアが窓の外から目を離すことなく、小さく頷いていた。


「ここで間違いないと思います。この森の外に草原が広がっているところまで同じでしたから」

「じゃあ、やっぱり、ここに……」


 もしかしたら、アスマの命を狙う存在がいるのかもしれない。そう思うベルやイリスとは対照的に、ベルとタリアの会話を聞いていたソフィアは眉を顰めていた。


「そう言えば、聞いていなかったんだけど、どうして彼女もここに?」

「ん? そう言えば、ソフィアに話してなかったか?」


 ベルが首を傾げながら聞くと、ソフィアはしっかりと首肯する。他の話題を優先し、肝心なことをソフィアに伝え忘れていたようだ。ソフィアが知らないとなると、エルも把握していないだろう。


 後で説明しないといけないと思いながら、ベルはタリアを見やる。視線だけで話しても大丈夫かと問いかけると、タリアはベルの視線に頷きを返し、ベルは何から話そうと考え始めた。


「えっと、順番に話すと、ソフィアも知っていると思うが、タリアはアスマの命を狙っていただろう?」

「そうね。その依頼を受けた側に私はいたからね」

「そう。アスマの命を狙って、アスマを殺害しようと、ソフィアのいた暗殺ギルドに依頼したんだが、そもそも、そのアスマの命を狙っていた理由が……」


 と、ベルが話し始めようとした時のことだった。


「立ち去れ」

「えっ……?」


 どこからともなく声が聞こえ、ベル達は思わず動きを止めていた。ゆっくりと辺りを見回してみるが、馬車の中には何もない。窓から外を眺めてみるが、見える景色は変わっていない。どこまでも高い樹木が後ろに流れていくばかりだ。


「今、誰か、何か言ったか?」


 ベルがそう聞いてみるが、その場にいる三人は揃って、かぶりを振るだけだった。御者台の方に目を向けて、そこに座るトーマスにも聞いてみるが、反応は同じだ。


 そもそも、聞こえてきた声は女の声だったとベルが思った直後、再び馬車の中に声が飛び込んでくる。


「今すぐ、立ち去れ」


 その声の聞こえる場所を探ろうと、ベルは辺りを見回してみるが、どこにも何もなければ、どこにも誰もいない。幻聴かと考えそうになるが、ベルと同じ動きを馬車の中の全員がやっているので、声が聞こえていることは事実だろう。


「こちらに来るな」

「……あれ?」


 再び声が聞こえ、ベル達が馬車の中を見回す中、ふとタリアが何かに気づいたのか、ハッとしたように動きを止めている。


「どうした?」

「いえ、この声……」


 そう言ってタリアが何かを伝えようとした瞬間のことだった。


「これ以上、この森に踏み入るなら、貴方達を排除する」


 その声が馬車の中に響き渡り、直後、馬車の外から重い何かが落ちたような、低く響く音が鳴り響いた。同時にトーマスが慌てて手綱を引いて、馬車を止めている。


「どうしました!?」


 揺れる馬車の中で体勢を崩しながら、イリスは咄嗟に状況を確認しようと、トーマスに聞いていた。


「分かりませんが、殿下の馬車が!」


 その声にベル達が馬車から身を乗り出し、外の状況を確認しようと、先を行くアスマ達の乗っている馬車を見た。


 その瞬間、周囲の木々の隙間から何かが飛び出し、ベル達の近くに落下する。それは光を放つ角材のようなものだ。

 これは何かと思っていると、ソフィアが何かに気づいたらしく、慌ててベル達に声をかけていた。


「馬車の中に戻って、馬車を早く動かして! あの光る柱はよ!」


 その声にベル達は驚愕し、急いで馬車の中に身体を引っ込めていた。

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