魔術大使(11)
サラディエに向かう途中、立ち寄った街の宿屋で馬車は停止した。今日はここで一泊し、翌日の到着を目標に走ることを改めて説明されながら、シドラス達は馬車を降りる。
そこで対面したもう一台の馬車の様子を目にし、誰よりもエルが驚いた顔をしていた。もう一台の馬車の傍らでは、ソフィアがぐったりと項垂れるように座り込んでいる。
「殿下? どうされたのですか?」
驚き半分、心配半分という様子でエルがソフィアに近づいて、ゆっくりと顔を上げたソフィアが乾いた笑いを零す。
「師匠……私はもう、ここまでかもしれない……」
「何があったのですか?」
諦めたように呟くソフィアの傍らにエルが膝を突いて、不安そうな表情で同じ馬車から降りてきた三人に目を向けている。
「ちょっと、そうだな……身包みを剥がされた感じだ」
「いや、ベルさん!? それだと犯罪みたいじゃないですか!? ち、違いますよ!? ちょっと王女殿下とお話ししていただけです!」
ベルの一言を誤魔化すように、イリスは必死に説明をしていたが、その必死さが余計に怪しさを増していた。ソフィアは更に力尽きたように項垂れ、宿屋に入る前に気絶しそうな雰囲気だ。
「どうしたんだろうね、ソフィア」
不思議そうに呟くアスマの一方、シドラスはベルやイリスの表情から、恐らく、大したことではないと察していた。具体的にどういう話かは分からないが、大方、イリスが何らかの形でソフィアを振り回し、それによってソフィアが疲弊したというところだろう。そこまでは予想がついた。
一つ気になるのは、同行しているタリアにも疲労の色が見える点だが、その辺りについてシドラスには思い当たる節がなく、ここは考察しても答えが分かりそうになかった。
「取り敢えず、宿に入った方がいいんじゃないか? このままだと嫌に目立つぞ?」
ベルがぐったりと座り込むソフィアにそう告げて、ソフィアはゆっくりと顔を上げた。辺りを見回し、人の目がないことを確認し始めるが、その途中、そこにいたアスマとバッチリ目が合って、不意に動かなくなる。
「ソフィア? どうかした?」
アスマがそう聞いた途端、ソフィアはそれまでの様子が嘘だったかのように勢い良く立ち上がって、エルの手を掴んでいた。
「よし、師匠! 早速、チェックインしましょう!」
ソフィアはエルを連れて、どんどんと宿屋に入っていく。その姿をシドラスとアスマは不思議そうな顔で見送っていた。
「ねえ、ベル。何があったの?」
アスマがベルにそう聞くと、ベルは冷ややかな目をアスマに向けてから、何かに呆れたような溜め息を漏らす。
「え? 何かあった?」
「いや、何もなかった。だからだ」
そう答えるベルがイリスとタリアに声をかけ、二人もソフィアの後を追うように、宿に入っていってしまう。それを見送ってから、アスマは不思議そうな顔でシドラスを見てくるが、シドラスにもベルの言いたいことは見当がつかず、アスマの視線に対しては首を傾げることしかできなかった。
☆ ★ ☆ ★
「意外といい部屋ね」
与えられた部屋に足を踏み入れ、二秒でベッドに飛び込みながら、ソフィアはそう告げていた。その姿にベルは呆れながら、持ち込んだ荷物を部屋に片隅に置いていく。
部屋は三部屋与えられ、ベル達はそれらに分かれることになった。一つはアスマやシドラス、エルを詰め込んだ男部屋とすると決まり、もう二部屋を女性陣で分けることになったが、そこで問題となったのが、ソフィアと同室になる人だった。
イリスやタリアからすれば、ある程度は打ち解けたと言っても、他国の王女と一対一になるのは気まずい。ソフィアからすれば、ある程度は打ち解けたと言っても、それを起因とする質問攻めをこれ以上は受けたくない。
それぞれがそれぞれに対して、同室は困るという理由を抱え、そうなった時にソフィアと一緒の部屋に気兼ねなくいられるのは、ベルだけだった。
ソフィアからしても、馬車の中で質問することなく、イリスの勢いを生温かい目で見守っていただけのベルは相手として良かったようだ。即座に部屋割りが決定し、現在に至る。
「行儀が悪いぞ。アスマが飛び込んできたら、どうするんだ?」
ベルがそう問いかけると、ソフィアは不快そうに眉を顰めて、きっとベルを睨んでくる。
「ちょっと。貴女まで、そういうことを言い出すの?」
「別に深い意味はない。他の人にそういう姿を見られて大丈夫なのかと聞きたいだけだ」
「別に、ちょっとくらい気を緩めてもいいでしょう? どうせ、明日には気を引き締めないといけないのだから」
ベッドに身を委ねながら、そう告げるソフィアの言葉を聞いて、ベルは明日に控えた竜との対面のことを思い出す。
「確かに。そう言われたら、それもそうだな」
ベルがそう答えると、ソフィアは途端に表情を緩めて、満足そうに笑顔を見せていた。その笑顔にベルも思わず笑みを零しながら、宿泊のために荷物を広げる。
「何か分かるといいわね」
そこでソフィアがそう呟いて、ベルは思わず手を止めていた。ソフィアの方に目を向ければ、ソフィアがベルを温かい目で見てきている。
「期待は……していない」
「本当に?」
「うん……いや、そう思うようにしているだけかもしれない……」
ベルは既に小人としては考えられないほどに生きてきて、その過程で数え切れないほどの期待と、数え切れないほどの失望を経験してきた。無意識の裡に期待しないようにすることで、自分の心を保とうとしている可能性は、ベル自身にも否定できなかった。
「可能性はあるのよね?」
「一応は……だが、先々代の竜の話を持ち出されて、今の竜が答えを返してくれるとは考えづらい」
「じゃあ、手がかりだけでも、みたいな感じか……」
「そうなるな」
「それでも、何も分からないよりはマシかもしれない」
「いっそのこと、もう元には戻れないという答えがあってもいいとは思っている」
この身体と未来永劫、付き合っていかないといけない。それは様々な地獄を齎し、ベルを十分に苦しめる結果だが、そうだと分からずに希望を探し続けるより、そうだと知って諦める方がマシかもしれない、とベルは考え始めていた。
「でも、彼は元に戻す方法を見つけると約束してくれたのでしょう?」
「彼……ああ、アスマか……そうだな」
「なら、きっと見つけてくれるわね」
さも当然のようにソフィアがそう口にしたことよりも、さも当然のように口にされた言葉に一切の疑問を懐かなかった自分自身に、ベルはひっそりと驚いていた。まるでアスマが本当に手段を見つけてくれると思っているような気持ちに、ベルはそうなのかと自問してしまう。
「さっきの仕返しに一つ質問してもいい?」
ソフィアが律義にそう聞いてきたことで、ベルは自問から現実に帰ってくる。ソフィアの方を向いて、「いいぞ」と答えながら頷く。
「貴女は彼のことをどう思っているの?」
不意な質問にベルは思わず、きょとんとしていた。ソフィアはベッドの上で身を起こし、真剣な目でベルを見つめている。
その瞳をじっと見つめて、ソフィアが抱えている不安などに気づき、ベルは静かに笑みを零していた。
「そんな風に質問されると思っていなかった」
「何よ、その答え」
「いや、私の中だとアスマは、そうだな……家族に近いのかもしれない」
「家、族……? えっ……? もしかして、夫婦的な……?」
「いや、違う。どちらかと言えば、親と子……年齢的には孫の方が近いのか?」
どちらなのだろうかと首を傾げるベルを見つめたまま、ソフィアはきょとんとした顔をしていた。
「本当にいたんだ、息子が。もう逢えない、どのように育ち、どのように死んだかも分からない息子だ。アスマを見ていると、その息子の影が重なることがある。もしかしたら、と考えてしまう」
「…………ごめんなさい」
小さく謝罪の言葉を漏らすソフィアを目にし、ベルは微笑んだ。
「何で、謝るんだ? 別に大丈夫だ。もう何十年も昔の話だ。今はもうあの時ほどに深く悲しんではいない」
「でも……いえ、変なことを聞いてしまって、ごめんなさい」
再び謝罪の言葉を口にするソフィアに戸惑いながら、ベルは頭を掻いた。そういうつもりはなかったのだが、と思いながら、ふとソフィアに聞こうとして、未だにはぐらかされていることがあると思い出す。
それなら、せっかくだから、今の状況を使って聞こうと考え、ベルは口を開いた。
「なら、一つ。私からも聞いていいか?」
「ええ、何かしら?」
「どうして、今回、急についてこようと思ったんだ?」
ベルがそう聞くと、ソフィアは分かりやすく表情を強張らせた。すぐにはぐらかそうと思ったのか、口を開きかけるが、さっきの謝罪を思い出したのか、開いた口から言葉は出てこなかった。
「…………何を話せばいいのか、分からないのよ」
「ん? 何のことだ?」
「あの国家魔術師様と、何を、どう話せばいいのか、考えても分からないのよ」
ベッドに顔を埋めて、困ったようにソフィアはそう説明する。言っている相手はパロールだろうと分かるが、まさか、それが理由なのかとベルは驚いてしまう。
「あれか? 竜王祭の件があってか?」
「ええ」
「それでついてきたのか?」
「そうよ」
ソフィアは視線だけで悪いかと訴えかけてくる。それにどのように答えればいいのか迷いながら、ベルは気になることを質問する。
「でも、タリアもいるだろう?」
「彼女は依頼主で、こっち側の味方だったから。それに一番気を遣う相手は、そういう性格じゃないし」
タリアは魔王を殺害するために、ソフィアを含む暗殺ギルドに依頼を出した。そのターゲットは魔王であるアスマであり、この場合、最も気にする人物はアスマのはずだが、ソフィアの言うようにアスマはそういう性格ではない。
「そう言われたら、そうなのか……?」
納得できるのか疑問に思いながらも、一応は分かったことにする。
「だけど、あの人は違う。直接、当時の私と対面して、結果的に私を捕まえた」
「それに恨みが?」
「いいえ、一切ないわ」
「……ん? え? ないのか?」
「ないわ。だけど、そういうのって向こうが気にしそうじゃない?」
ソフィアが不安そうにベルを見つめて、ソフィアの気まずさの理由が思っていた場所とは違うところにあるとベルは察する。
要するに、ソフィアは気を遣っているらしい。王女である自身を捕まえたパロールが自身との関係に悩まないかと不安に思っているらしい。
何とも優しい理由だと、改めて暗殺ギルドに身を置いていたことを不思議に思いながら、ベルは笑う。
「そういうことなら、ちゃんと話せばいい。大丈夫だ。パロールはそんなことは気にしない」
「……それはそれでどうなの?」
「別に何とも思っていないって意味ではない。ソフィアがちゃんと話すなら、それと向き合うだけの強さも優しさも持っている子だ。悩んで気にするくらいなら、ちゃんと話せばいい」
「簡単に言うわね」
「簡単に言うぞ。だって、お前はもうそれをやったことがあるだろう?」
自分の兄であるハムレットが、自分の命を狙っているかもしれないとソフィアは思い込んでいた。その疑惑を晴らすために、最終的にソフィアが取った行動は、ハムレットと直接話すということだった。
それと比べたら、パロールに対する不安など大したことではない。ベルがそう伝えると、ソフィアは納得したように小さく笑みを零していた。
「確かに言われたら、そうだった。一人で勝手に憶病になって、馬鹿みたいね」
「次逢ったら、ちゃんと話すんだな。きっと魔術師としても、気になる話を聞かせてくれる」
頷くソフィアの様子を見ながら、ベルはソフィアとパロールが話せる場があるように、竜との対面が無事に終わることを祈るのだった。
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