魔術大使(10)
長旅の疲れを癒やすべく、王城で賑やかな一夜を過ごした翌朝、ベル達はサラディエに出発するために、馬車に乗り込むことになった。
サラディエに向かうまでの馬車は来る時と同じく二台。来る時と違って、王城にパロールとライトは残ることから、この二名分のスペースが空き、そこにそのままソフィアとエルが入ることになった。
「じゃあ、行ってくるね」
アスマがパロールとライトにそう言って、ベル達を乗せた馬車は王城を出発する。目的のサラディエまではエアリエル王国からプロミネンスを訪れた時と同じく、途中で一泊挟むことになるらしい。
「さて、じゃあ、改めてよろしく」
乗り込んだ馬車の中、ソフィアが同席するイリスとタリアにそう言いながら握手を求めていた。イリスは戸惑いながらも握手に応じ、タリアは困惑しながらも手を握っている。
「ベルさんも」
「ああ、よろしく……と言いたいところだが、何でソフィアも行くことになったんだ?」
ソフィアの手を握りながらベルが聞くと、ソフィアは笑顔を浮かべたまま固まり、その手前の挨拶が嘘のように黙りこくった。
元からソフィアが行く予定であるなら、最初の出迎えの時点でそう説明していたはずだ。その説明がなかったところを見るに、急遽、ソフィアはベル達に同行すると言い出し、それを国王が許可したというところだろう。どういう理由で許可を出したのかは分からないが、到底賢い選択とは思えない。
何より、シドラスやイリスにかかる負担が増えるというものだ。
「まあ、安心して。迷惑はかけないから」
「いや、そういうことじゃなく……」
「自分の身くらいは自分で守れるし、ほら、テンペストでも……」
と言いかけ、ソフィアは何かに気づいたのか、途中で言葉を噤んでいた。一瞬のことだが視線をタリアに向けていたので、恐らくは暗殺ギルドに身を預けていた時のことを思い出したのだろう。それを口にしようと思って中断したというところだろうか。
隠すところまで含めて、これは絶対何か裏がある。それは分かるのだが、今のソフィアに聞いたところで、正直に全部を話してくれる雰囲気はない。
聞き方か、聞く場所か、どちらにしても、もう少し工夫がなければソフィアから情報は聞き出せなさそうだ。
そう考えるベルの前で、ソフィアが何かを思い出したように手を叩く。急な音にタリアが驚き、ソフィアの顔をじっと見つめている。
「せっかくだから、サラディエに向かう前に知識の確認を……」
「いえ」
ソフィアが何か提案し、持ち込んだ荷物を探ろうとしたところで、その動きを制するようにイリスがそう口にした。
「ちゃんと聞いておかなければならないことがありますので、そちらの方から答えてください」
「えっ?」
イリスの真剣な表情から察したのか、ソフィアはどう誤魔化そうかと考えるように視線を宙に彷徨わせていた。ベルもイリスが切り込むのかと思い、その手腕を見させてもらおうと、やや緊張しながら見守る。
「そんな畏まった雰囲気は後にして、先に……」
「王女殿下」
ソフィアの言葉を遮って、イリスが聞いておかなければならないということを口にする。
「王女殿下はアスマ殿下をどうお思いなのですか?」
「はひっ?」
「えっ!?」
思わぬ角度からの質問にソフィアは情けない声を漏らし、そのような質問が出るとは思っていなかったのだろうタリアが驚きの声を上げた。それらの光景を眺め、固唾を飲んでいたベルは座席から滑り落ちそうになる。
(今か……?)
その疑問は辛うじて喉から出るほどの元気さがなかった。
☆ ★ ☆ ★
「では、時間がありますので、一つ確認をしておきましょうか」
イリスの一言から思わぬ状況に発展した、もう一つの馬車のことなど露知らず、シドラス達を乗せた馬車では、エルが恐らく、ソフィアの行おうとしていた確認を始めていた。
「サラディエの地形のことなら学んできたよ」
「現代の竜であるアクシスが姿を隠せるほどの高木が生えているとか」
「ええ、その通りです。大変素晴らしいですね。ですが、私の確認しようとしたことはそちらではなく、サラディエに住まう竜そのものについてのことです」
エルが一冊の本を取り出し、シドラス達の前で開いた。そこには綺麗な青い鱗を持ったドラゴンの絵が描かれている。
「うわぁ……綺麗だね……」
「これが現代の竜、アクシスの姿と言われています。あくまで再現して描かれたものなので、細部は分かりませんが、青いドラゴンであることは間違いないそうです」
エルが更にページを捲ると、そこには青いドラゴンと戯れる子供の絵が描かれている。子供は三人いて、一人が男の子で、後の二人が女の子のようだ。
「これはアクシスが育てているという?」
「はい。これもイメージなので、実際にどのような子達か分かっていませんが、男の子が一人、女の子が二人いることは間違いないそうです」
「どうして、それがお分かりに?」
「アクシスの根城を漁ろうとした盗賊が証言したそうです。アクシスを見つけるよりも、その子供達に襲われ、逃げ帰ってきた、と」
「子供達に襲われ……?」
思わぬエルからの一言にシドラスとアスマは思わず顔を見合わせていた。
「正直なところ、アクシスよりもアクシスに育てられた、これら三人の子達の方が何をしてくるか分かっていない状況です。サラディエに到着した際は、こちらの方を警戒してください」
エルからそのように説明を受けながら、シドラスはタリアやアサゴの証言から浮上した可能性について考えていた。
魔王を殺害するように依頼し、二人をこの世界に連れてきた人物はその後、二人をサラディエと思われる地で解放した。それが本当であるなら、アスマの殺害を依頼した人物はサラディエに住む人間である可能性が高い。
必然的にその人物はアクシスが育てたという三人の子供の誰かという可能性が高くなる。
もしくは全員か、とシドラスが考えていると、不意にアスマがシドラスに口を近づけて、囁くように言ってくる。
「もしかして、東の魔術師も関係しているのかな……?」
そう言われ、シドラスは確かにその可能性もあると思い出す。正体不明の東の魔術師も、実はアクシスに育てられた子供の一人であるとなれば、その不可思議な魔術についても理解できる領域に達する。
同時にそれはベルの身体を元に戻す手段が、竜にあるかもしれない可能性も高めてくれる。
それがいいことなのは間違いないが、そうなってくると、今度は魔王殺害を依頼した人物と、その犯行が行われた近くでキナに治療を施した人物に、関連性が出てくる可能性が浮上する。
もしかしたら、アスマの命を狙って王都を訪れたのかと邪推してしまうが、そうだとしたら、アスマの周りに姿を現していないことが不思議になってくる。
どちらにしても、この辺りは警戒しておかなければいけない。
シドラスがそう考える前で、エルが更にページを捲った。そこでは青いドラゴンと黄色いドラゴンが山に囲まれた森の上空で、絡まり合うように暴れ回っている絵が描かれている。
「これは?」
「これは現代の竜、アクシスと、そのアクシスに次ぐ実力を備え、竜の座を狙ったドラゴン、レックスが争った、所謂、ドラゴン抗争の絵です」
アスマ誕生の翌年に起こったというドラゴン抗争は、サラディエという地の形を大きく変えるほどの激しさで繰り広げられたらしい。
「このドラゴン抗争がアクシスの活動を記録した唯一にして、最大の事件となりました」
「これ以外では目立った行動は起こしていない、と」
「そういうことになりますね」
その説明を聞きながら、シドラスはふと気になった疑問を口にする。
「この争ったレックスというドラゴンはどうなったのですか?」
「アクシスに敗北し、大きな傷を負った状態で逃走したと言われています。その後の状態は分かっていませんが、翼の一部を欠損するほどの怪我でしたので、他のドラゴンに襲われないように、ひっそりと暮らしているのではないでしょうか?」
「そうなのですか……」
重傷を負いながらもレックスは生きている。それは即ち、アクシスに慈悲の気持ちがあったからだろう。それほどの傷をレックスが負ったのなら、十分に止めは刺せたはずだが、そうはしなかった。
そこに優しさが存在するなら、或いはアスマと同じように、とシドラスは期待してしまうが、それもどこまで正しい考えか分からない以上、心の内に残った不安は消えなかった。
☆ ★ ☆ ★
シドラスが馬車の中で抱えている以上の不安を、ひっそりと抱えている人物がいた。アスマ達を見送って、王城に残ることになったパロールである。
パロールはこの後、議事堂に向かって、そこに集まっているという国家魔術師の前で、自身の魔術に関する研究や知識を披露することになっている。
エアリエル王国の代表としての演説だ。失敗したら、他の国家魔術師の顔に泥を塗ることになる。それだけは避けなければならない。
そう思えば思うほどに、パロールの緊張は高まっていた。掌に人という図形を描いて、何度も啜ってみるが、緊張が晴れる気配はない。
「パロール様? 準備はできましたか?」
部屋の扉がノックされ、ライトがそのように声をかけてきた。パロールは何とか緊張を噛み殺し、その声に返事をしながら立ち上がる。
「今、行きます!」
そう告げたパロールが部屋を出て、ライトに待たせたことを謝罪すると、その様子を見たライトがどこかきょとんとした表情で、パロールの顔をじっと見つめてくる。
「どうか、されましたか……?」
あまりにまっすぐとした視線に戸惑っていると、ライトはゆっくりと首を傾げた。
「いや、パロール様こそ、表情がおかしいですよ? いつもよりぎこちなくて、口周りとか、石膏みたいに固まってます」
「えっ!?」
ライトの指摘にパロールは慌てて口元に手を伸ばし、無理矢理自身の頬を引き上げようとする。その動きを見たライトが何に納得したのか手を叩き、少し微笑むような表情で質問してきた。
「あれですね。パロール様、かなり緊張してますね」
「えっ……? い、いや、それはまあ、はい……」
エアリエル王国の国家魔術師の代表として、これからウルカヌス王国の国家魔術師の前で演説をするのだ。全く緊張せずに頑張れと言う方が無理あるだろう。そうパロールは思うのだが、ライトはそんな様子のパロールに小さく頷くだけだった。
「パロール様の性格だったら、そうでしょう。では、僭越ながら私がパロール様に大切な考えをお伝えしましょう」
「大切な考え?」
「はい。私の言う通りに思い浮かべてください」
パロールはライトが何を言うのか不思議に思いながらも、言われるままライトの言葉に耳を傾ける。
「パロール様に今回の御役目を与えたのは誰ですか?」
「宰相閣下です」
「それは宰相閣下がお決めになったのですか?」
「そうですが、それ以外にも師匠やエルさ……こちらではなく、向こうのエルさんの推薦があったそうです」
「なるほど、なるほど。では、今回、仮にパロール様が失敗してしまったら、それは誰の責任ですか?」
「それは、私です……」
「いいえ!」
パロールが再確認した事実に不安を覚えた瞬間、ライトがはっきりとした口調でそう否定した。
「この場合、パロール様が失敗したら、それはパロール様を選んだ宰相閣下やラング様、エル様の責任です!」
「えっ? ええ!? い、いや、そうはならないと思いますよ……?」
「いいえ、そうなのです。少なくとも、私はそう思って、この場に立っています」
「えっ……?」
「私がもしも護衛に失敗したり、エアリエル王国の恥を晒すことになったりした場合は、私を選んだ宰相閣下や騎士団長の責任です。ですので、私が気にする理由はありません」
堂々とそう宣言するライトを前にして、パロールは唖然としていた。
「ですので、パロール様も同じように思ってください。失敗した際の責任は選んだ人達が取ってくれます。気楽にやりましょう」
ライトの一切、中身が詰まっていないように思える軽い言葉を受けて、パロールは完全に言葉を失っていた。
いや、そうはならないだろうと呆れた気持ちすら芽生えるが、それに適した言葉は一つも思い浮かばない。
「ああ、いい感じですね。表情が柔らかくなりました」
そこでライトにそう指摘され、パロールは思わず自分の顔に触れていた。思えば、ライトに対する呆れの気持ちすら浮かび、パロールの気持ちの大半を埋めつくしていた緊張が、気づけば完全に姿を消していた。
「もしかして、このために適当なことを?」
「パロール様? 私はいつだって真剣ですよ? 適当なことなど、一つも言っていません」
「では、本気ですか……」
だとしたら問題だと思いながらも、その言葉があったことで気持ちが軽くなったことは事実であり、パロールは小さく笑みを零しながら、ライトに目を向けていた。
「ありがとうございます」
「お礼を言われるほどのことは何も」
「……それもそうですね」
「えっ……?」
納得したパロールに愕然とするライトの姿に笑いながら、パロールは明るくなった気持ちで、これから自身が主役となる議事堂に向かうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます