魔術大使(3)

 タリアの思わぬ発言はアスマの中の何かを押したようだった。どこかに伝えに行くと告げて、イリスと共に立ち去ってから、ベルはいつものようにメイドとしての仕事に戻っていた。


 その後、アスマとイリスがどうなったのか分からないが、大丈夫なのだろうかとベルが思っていると、ベルが仕事をしている場に、今日も珍しい来客があった。


 昨日と同じようにシドラスである。


「シドラス? どうかしたのか?」


 掃除途中のベルの前に現れたシドラスにベルが驚いていると、シドラスは昨日よりも強張った表情で、ベルに今、時間はあるかと聞いてきた。


 何かあった。それもあまり良いことではないらしい。それを察したベルがシドラスに頷き、近くで同じくメイドの仕事中だったキャロルとスージーに声をかける。二人はベルからの話とシドラスの様子に異変を察知したのか、即座に了承し、ベルを送り出してくれる。


 ベルはシドラスと共に王城内を移動し、向かった先はアスマの部屋だった。その中ではアスマとイリスがベルの到着を待っていたようだ。

 ベルの到着をきっかけに、シドラスは三人をここに呼び寄せた理由を説明するように話を始める。


「では、この場に皆さんを集めた理由ですが、ベルさんが希望されていた竜との対面に関して、既に宰相閣下の方が動いてくださり、ウルカヌス王国との間で話がまとまってきました。その報告です」

「もうまとまってきたのか? 早いな」


 驚くベルに対して、アスマはシドラスの持ち出した話に興味なさげに相槌を打っていた。事前にベルがアスマは連れていかれない事実を伝え、結論を知ってしまっているからだろう。急かすことも、立ち去ることもないが、話自体は右から左に聞き流していそうだ。


「まず、ウルカヌス王国とは魔術交流を図るという名目で、こちらから国家魔術師を派遣するそうです。ベルさんはそこに同行していただき、派遣した国家魔術師と別れる形で、竜の棲むサラディエに向かいます」

「その国家魔術師は誰に決まったんだ?」

「パロール様です」

「ああ、そうなのか」

「ですので、女性二人が向かうということから、その護衛を担当する騎士には一人女性を含めることになり、その人物として、イリスの同行が決定しました」

「えっ?」


 イリスは自身がそこに加わると思っていなかったのだろう。説明を続けるシドラスの視線が自身に向いたことに、イリスは驚きの表情を浮かべていた。


「私、ですか……?」

「そう。予定では、イリスとライトの二人が護衛として派遣されるそうだ」

「私……」


 思わぬ役目にイリスは戸惑っている様子だった。上の空で何度も「私」と繰り返し、イリスはシドラスの話が半分以上しか耳に入っていない様子だ。


「そこまでがこちら側からの提案でした。その大半は通ったのですが、一つだけ、向こうから新たな条件を提示されたものがありました。それが竜との対面に関することです」

「ん? 条件? それはつまり、その条件が飲めないと、竜とは逢わせられないという意味か?」


 ベルの問いにシドラスが首肯し、ベルはその条件を想像する。竜という未知なる相手を前にするくらいなのだから、その条件は厳しいものかもしれない。


 場合によっては、自身一人だけで竜と逢いに行かなければいけない可能性まで考え、ベルが身構える中、シドラスは声のトーンを落としながら、その条件を口にする。


「その条件とは、殿、です」


『えっ……?』


 ネガとポジがそうするように、ベル達三人は思わず声を揃えていた。それくらいにシドラスの口にした条件は衝撃的だった。


「ていうことは……俺も行けるってこと!?」


 そう叫んだかと思えば、アスマはそれまで見せていた態度が嘘かのように喜び始める。一方、ベルとイリスは聞き間違いではないかと思い、もう一度、シドラスに条件を確認していた。


「アスマの同行で本当に間違いないのか?」

「はい。正確には、第一王子の同行を求めてきたようなのですが、間違いなく、それは殿下ですので」

「竜との対面だよな? そこにアスマを連れていって大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ!?」


 アスマは間髪入れずにそう答えているが、シドラスの表情は曇ったままだった。ベルの問いにすぐには答えず、アスマの方を向いたかと思えば、シドラスはゆっくりと頭を下げる。


「そのことで殿下、一つお願いがあります」

「え? 急にどうしたの?」

「殿下の方から、この条件は飲めないことをお伝えいただけませんか?」

「えーと、つまり?」

「殿下の方から、行かないと言っていただきたいのです」

「嫌だ!」


 一切、迷う素振りもなく、アスマはそう答えていた。シドラスは慌ててアスマに詰め寄り、アスマの考えを変えさせようと説得を開始する。


「そこを何とかお願いします。これは非常に危険なことなのです」

「嫌だ! せっかく行けるんだから、断る理由なんてないよ」

「アスマ、私はシドラスの言う通りにした方がいいと思うぞ? 流石に竜の前にお前を連れていくのは危険だろう?」

「私も同感ですよ、殿下。ここは大人になりましょう」


 普段は見ないほど、積極的にアスマを止めるシドラスを目にし、ベルとイリスは相当なことだと理解していた。これはアスマを止めた方がいいと判断し、二人共、シドラスの加勢に入るが、アスマは珍しく鋭い視線をベルに向けてきた。


「いいの? 俺が行かないって言ったら、竜と逢えなくなるかもよ」

「そっ……!? それは……」


 アスマからの思わぬ反撃にベルは口籠り、アスマを説得する言葉が言えなくなる。


「安心してください、ベルさん。ちゃんと他の条件を提示してもらうという手段があるので、大丈夫なはずです」

「そういうことなら、やっぱり、アスマが行くべきじゃないな。他の条件に変えてもらおう」


 シドラスからの増援に乗っかる形で、ベルは再び勢いを取り戻すが、アスマは引く様子が全くなかった。

 それどころか、更なる攻勢のために燃料を投下してきた。


「それにもう一人、サラディエに興味がある人も出てきたんだよ」

「もう一人、興味がある人?」


 シドラスが思わぬアスマからの反論に驚く中、既に知っているベルとイリスはその話があったと思い出していた。二人の様子に気づいたシドラスが怪訝げに二人を見てくる。


「二人も知っているのですか?」

「ああ、朝のことなんだがな。偶然、ギルバート卿と逢って」

「そこでベルさんの持っていたサラディエの本を見たタリアさんが、、と」


 ベルとイリスの口から語られた新たな事実にシドラスは驚愕しているようだった。


「だから、俺も行けるなら行くよ。タリアちゃんと約束したから。タリアちゃんのお兄さんを救うって」

「ちょ、ちょっと待ってください……!? それはつまり、タリアさんに殿下を殺害するように言った人物が、サラディエにいる可能性もあるということですか?」


 その問いにベル達は揃って首を傾げる。


「タリアの話から察するに、魔王を殺すように命令した人物がサラディエにいるのか、最初に送られた場所が偶然、サラディエだっただけなのかは分からないな」

「でも、可能性はあるってことですよね? だったら、尚更、殿下を連れていけませんよ」


 シドラスがはっきりと否定の言葉を口にする中、アスマは当然のようにかぶりを振り、シドラスの言葉を真っ向から否定する。


「違うよ、シドラス。俺の命を狙っている人がもしいるなら、その人とはちゃんと話し合って、何で俺を殺そうとするのか、その理由を知らないといけないんだよ」

「話し合うだけなら、その場に殿下がいる必要はありませんよね?」

「でも、俺がいないと誰が狙っているか分からないかもしれないよ?」

「いや、そうだとしても、殿下を囮にするような、危険なことはできません」

「大丈夫だよ」

「どうして、そう言い切れるんですか?」

「だって、皆が守ってくれるから。その場にイリスがいるんだよね? ライトも。それにもし、シドラスもついてきてくれるなら、絶対に大丈夫だよ」


 アスマに真正面から笑顔を向けられ、シドラスは完全に言葉を失っているようだった。呆れなのか、喜びなのかは分からない。

 が、その時のシドラスの表情を見たベルとイリスは察した。


 これはシドラスの負けだ。


「……分かりました。実は、殿下が同行するに当たって、私もついていくことになっているので、それで問題ないと宰相閣下にはお伝えしておきます」

「やったー!」

「ですが、殿下。一つだけ約束してください」

「えっ? 何?」

「何が起きても私達を信頼して、危険なことはしないでください。分かりましたね?」

「うん。ちゃんと皆を頼るから」


 元気良く返事するアスマに、シドラスは諦めたように溜め息をつく。これでアスマの同行は確定したらしい。


「シドラス。他の人はもう知っているのか?」

「恐らく、同様の話が既に回っていることかと思いますよ。もし行くとしたら、事前に準備が必要ですからね」


 疲れたようにそう語るシドラスを見ながら、ベルは自身も準備を進めないといけないことを思い出していた。

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