魔術大使(2)
シドラスがブラゴと共にハイネセンからの呼び出しを受けたのは、夕方に差しかかろうとしている頃のことだった。
ベルの要望である竜との対面を叶えるために、シドラスがハイネセンに話を持ち込んだ後の呼び出しだ。恐らく、話の内容はそこにあるのだろうと思いながら、シドラスはブラゴと共に宰相室を訪れていた。
宰相室で待っていたハイネセンの表情はやや険しいものだった。ウルカヌス王国との交渉がいかに進んでいるかは分からないが、竜との対面は望んで叶うことではない。相手側にいくらベルの事情を知っている人物がいたとして、苦しい交渉になることは間違いないだろうと分かっていた。
負担をかけてしまって申し訳ないと思う一方、ベルの要望を叶えるためにハイネセンが尽力してくれている事実が伝わり、シドラスは若干の安心感に包まれる。
「どうされましたか?」
呼び出されたことを問うブラゴの一言によって、ハイネセンは一枚の紙を取り出した。シドラスとブラゴの前に置いて、二人に見るように促してくる。
「これは今日、届いたウルカヌス王国からの親書だ。内容はこちらから提案した、今回の交渉に対する返答となっている」
昨日の今日で国家間の話し合いがそこまで進んでいることに驚きながら、シドラスはブラゴと共にそこに置かれた親書を読み始めた。前半はエアリエル王国側からの提案に対してのウルカヌス王国からの返答のようで、概ね好意的な内容が書かれている。
「こちらからの提案は受け入れるということですか?」
「魔術交流に関してはそういうことらしい。こちらから出した提案が提案だからな。向こうとしては、思っていた以上の内容が来たと驚いているようだ」
ハイネセンがまとめ上げた外交条件はシドラスの耳にも入っていた。それは魔術大国と言われるエアリエル王国からしても、肉の一部を切り取るような行為で、ウルカヌス王国が想定していたよりも破格の条件と言えるだろう。向こうとしても飲まない手はないはずだ。
そう思う一方、質問に対するハイネセンの返答がシドラスは少し気になっていた。「魔術交流に関しては」という言い方では、それ以外に違う返答があるようだ。
そのように思った直後、シドラスとブラゴの視線は親書の後半に書かれた内容へと進んでいた。そこに問題と思われる一文を発見し、二人の表情は固まり、シドラスの両目は自然と見開かれた。
「竜との対面に対する、この条件は何ですか?」
「そのままの意味だ。向こう側は竜と対面するに当たって、アスマ殿下の同行を求めてきた」
この世には、世界を滅ぼすと表現されるほどの力を持った存在が二ついる。一つはベルが対面を求めている、ドラゴンと呼ばれる生物の中で最も強い力を持った個体、竜。
そして、もう一つが絶対的な魔力を有して生まれてきた人間、魔王だ。
アスマはその魔王として生まれてきた人物であり、誕生の際には、魔王が起こすと呼ばれている暴走から、エアリエル王国の王都を訪れた当時の竜を殺害している関係性にある。
竜殺しの魔王と呼ばれるアスマが竜と対面する場に同行する。そこに何も問題がないとは、どう考えても思えなかった。
「これは実質的な拒絶では?」
ブラゴが向こう側の提示した条件に、婉曲な拒否を感じ取ったようだった。確かにそう思った方が腑に落ちるくらいに条件としてはあり得ない。
「流石にこちら側も馬鹿ではない。竜との対面がどれほど無茶を言っているかは分かっている。素直に無理だと言われたら、こちら側も飲むしかない。殿下を引き合いに出すような、場合によっては侮辱に取りかねない条件を出してまで、断ろうとは思わないはずだ」
確かに、言い方を変えれば、こちら側の化け物に逢いたければ、そちら側の化け物を連れてこい、と書いている風にも取れてしまう。エアリエル王国との関係性を考えたら、そこまで危険な書き方をせずに、素直に断った方が幾分マシだろう。
「ということは、これは向こう側が提示した本気の条件ということですか?」
「恐らくはそうなるだろうな」
「向こうには何か考えが?」
ブラゴの問いにハイネセンは力なく、かぶりを振る。いくらハイネセンでもウルカヌス王国の考えは読み取れないようだ。
「この手紙を受けて、早急にラング殿とエルを呼び出し、二人の意見を求めた。当然のように無謀と言われ、殿下の同行は勧められないと言われた」
「つまり、断るつもりですか?」
シドラスは一瞬、焦りを覚える。確かに向こう側からの条件は理解できないものだ。シドラスとしても、アスマの同行は認めてはいけないことに思える。
だが、ここでウルカヌス王国からの条件を破棄すれば、同時にベルが竜と対面する機会も失われる。それをここで望んではいけないとシドラスは思う。
「結論から言おう。二人を交えての話し合いの結果、この条件を飲むことが決定した」
「え? ちょ、ちょっと待ってください……!? それはつまり、殿下もご一緒に竜と対面するという意味ですか?」
「ああ、そうだ」
「い、いや、それは……」
ハイネセンが下したという結論を聞き、シドラスは大きく狼狽えた。確かにベルの要望を通すために、向こうの条件を破棄できないとは思ったが、だからと言って、その条件を飲む必要もない。
こちらからは向こう側が驚くほどの好条件で、魔術交流を行おうと提案しているのだから、別の条件に変更するように交渉するべきだ。
そうシドラスは思うのだが、ハイネセンがその程度のことを理解できないはずもないことは分かり切っていた。
「話し合いを進めての決定ということは、殿下の同行に問題ないと思えるほどの理由が見つかったということですか?」
シドラスが言葉に迷い、どのように言おうかと悩んでいる中、隣に立つブラゴがハイネセンにそのように質問していた。シドラスが思わずハイネセンの表情を窺っていると、ハイネセンはしっかりとその問いに頷く。
「その理由とは?」
「それは……」
前のめりになって理由を問うシドラスに向かって、ハイネセンは真剣な表情と口調で、辿りついた結論を口にする。
「人柄だ」
「…………はい?」
ハイネセンの一言にシドラスは唖然とし、完全に言葉を失っていた。流石のブラゴも想定外だったのか、一瞬、驚きで目を丸くしてから、取り繕うように咳をしている。
「人柄……?」
「正確に言うと、殿下の人柄に対する信頼感からの行動ではないかという結論に至った。竜と対面しても問題が起きないという結論に達し、そこからの条件ではないかと」
「ちょ、ちょっと待ってください。それを本気で仰っているのですか?」
「言っておくが、この場合の問題は殿下と竜が逢った時に発生する問題だけではない。竜という存在自体と対面した時に発生する問題全てを指している」
「つまり、殿下が同行したら、起きるかもしれなかった問題も潰せる、と?」
ブラゴの問いにハイネセンが首肯し、シドラスは完全に言葉を失っていた。
机上の空論にも程がある、あり得ない決定だ。そうシドラスは思ってしまうのだが、そのことをどのように伝えれば角が立つことなく、ハイネセンの結論を覆せるのか、シドラスには言葉が出てこない。
「はっきり言って、無茶と思える結論ですが、実は一つ、気にかかっていたことがありまして」
ハイネセンの結論に率直な感想を述べながら、ブラゴは自分の中に絡まっていた蟠りを吐き出すように、疑問を言葉に変えていた。
「竜という未知なる存在と対面して、こちら側の話を向こうが聞いてくれるのか、という疑問はありました。何の条件もなく、訪れた人間の話を聞いてくれるような存在なのか、と」
「竜に耳を貸させるためには、魔王という理由は確かに最適か……そういう考えもできるのか……」
シドラスが言葉に迷っている間に、ブラゴの発言から、ハイネセンの中の結論が更に固まった気がした。これを少しずつ柔らかくして、完全に落とすにはシドラスの言葉では足りない。
「ところで宰相閣下はそれを私達に伝えるためにお呼びになったのですか?」
シドラスがゆっくりと諦める気持ちを飲み込む中、ブラゴがハイネセンの話から疑問に思っていたのか、そのように質問していた。
「いや、それを決めたことで、同行する護衛を増員させようかと思ってな。騎士から誰かを手配できないかと考えたのだが」
その質問の段階で、シドラスは自身も一緒に呼び出された理由を察する。アスマも同行するということはそういうことになるだろう。その部分は何も問題がなかった。
シドラスが問題に思っているのはその手前であり、その手前はもう既にこの部屋を訪れた段階で手遅れだった。
「分かりました……私が護衛を務めます……それから、もう一つ」
シドラスはそこで最後の可能性に賭けようと考え、辛うじて通せそうな要望を一つ口にする。
「殿下に伝える役目は私にお任せください」
これによって、シドラスはアスマ本人の口という、下された決定を辛うじて覆せるカードを手に入れることに成功した。
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