魔術大使(1)

 ウルカヌス王国からの提示された、ベルを竜と引き合わせるための条件。その内容の理解不能さにハイネセンは混乱していた。


 場合によっては、向こう側が求めている魔術交流でさえ、流れる可能性のある、無謀とも言える条件だ。ハイネセンはウルカヌス王国の思惑を想像しようと努めたが、ハイネセンの知識や発想では、ウルカヌス王国の考えまで至ることは不可能だった。


 ハイネセンは混乱した思考を整理し、現状で必要な判断は何かと、自身の行える範囲での考えにまとめ上げようとする。ウルカヌス王国の思惑は分からないが、ハイネセンは分からないという答えを向こうに返すわけにはいかない。ウルカヌス王国の思惑が分からないとしても、条件を受け入れるかどうかの返答はしなければならない。


 そもそも、竜と対面する場に、魔王であるアスマが同行してもいいものなのかと、ハイネセンは考えてみようとする。専門的な知識はないが、魔王と竜の対面を過去に一度、経験した身からすれば、それはあまり好ましい結果を生まないだろう。


 どのような形に収まるにしても、生まれる結果は何かが失われる悲しいものだ。アスマの同行でそれが起きると分かっているなら、ハイネセンは止めなければならない。


 しかし、ハイネセンの知っている事例と、今回の事例の間には、決定的な違いが存在する。


 それはアスマのあり方だ。前回は誕生したばかりの魔王だった。誕生したばかりの魔王は、抱えた力を暴走させて、生まれたその地を滅ぼすと言われている。その力が偶然にも、その場を訪れた竜に反応し、竜に向かって放たれたことで、エアリエル王国は滅びることなく、そこに押し寄せた竜という脅威を討ったことになる。


 そこから年月が経って、今のアスマは力のコントロールができない赤子ではない。力が暴走することも、不用意に竜を攻撃することもないだろう。

 それだけ並べれば、前回と同じ結果は招かないように思えてくる。穏便に済む未来もあるかもしれない。


 ただ、この場合に危惧するべきはアスマの振る舞いではなく、竜側の振る舞いだ。そちらが来訪したアスマという、自身と同等の力を持つ存在を前にして、どのように考え、どのように行動するかは分からない。そこが分からない以上、ハイネセンが安全という結論を出すことはできない。


 これはやはり、竜の行動まで含めた、専門的な知識を持つ人物からの助言を貰うしかない。そう判断したハイネセンは即座に衛兵を呼び、宰相室に今回の一件について、一定の考えを与えてくれそうな人物を呼ぶことにした。


 ラングとエルの二名だ。


「どうかされましたか?」


 緊急とも言える呼びつけであり、実際に緊急と伝えるように言ったからだろう。宰相室を訪れたラングとエルはやや険しい表情をしていた。


「昨日、話していたウルカヌス王国との交流だが、向こうから返答が送られてきた」

「断られた?」


 エルの先を急ぐ問いにハイネセンはかぶりを振り、送られてきた親書を開示する。


「魔術に関する交流について、大凡、こちらから提示した案が通った。向こう側は受け入れてくれる考えのようだ」

「なら、緊急の用件って一体……?」


 そう言いながら、エルの視線が親書の上を滑り、問題の一文を発見したようだった。表情が更に険しくなったタイミングで、ラングも同じ一文を発見したのか、表情が曇っていく。


「問題は、こちら側の要望である竜との接触に際して、向こう側の提示してきた条件だ」

「第一王子の同行……つまりはアスマ殿下も一緒に来いってことだよね?」


 エルの言葉にハイネセンが首肯すると、二人は曇った表情のまま、ゆっくりと目を合わせていた。


「どう思われますか?」

「どう、と言われましても……これは無謀と言いますか……無茶な条件だと思います」

「俺も同感だね。魔王と竜の接触なんて、悪い結果は生んでも、良い結果を生むとは思えない。流石に避けるべきだ」

「やはり、そうか……」


 ハイネセンはラングとエルの考えを聞き、深く考え込むように俯いた。ハイネセンが思っていたように、ラングもエルもアスマの同行に関しては反対であるらしい。


 それなら、ハイネセンは断りの文を書く必要があるのだが、それは即ち、こちらからの要望も破棄することを意味している。

 それはラングとエルも分かっているのだろう。すぐに二人は別の可能性を生もうと、様々な考えを提案してきた。


「他の条件に変えさせるとか、そういうことは無理?」

「国家魔術師を多く出せば、この条件でなくとも、要望は通るかもしれません」

「本当にそう思うか?」


 ハイネセンの問いかけに、ラングとエルは唇を閉じたまま、開こうとしなかった。二人もハイネセンと同じ考えに至って、別の可能性をどれだけ導き出そうとも、そこに躓いているのだろう。


 ハイネセンも誰も、ウルカヌス王国の思惑を理解できていない。ウルカヌス王国の思惑が理解できない以上、今回の条件がどれほどのものなのか、正確に判断できない。


 これは絶対的な条件である。この条件が飲めないなら、竜との接触は疎か、魔術による交流も白紙に戻そう。更には同盟関係も破棄する。そうならないとも言えない状況である。


「竜に関する知識は、こちらと向こうのどちらが多いと思われる?」

「それはまあ……」

「ウルカヌス王国でしょう」

「だとしたら、向こうは竜のいる場に殿下がいても、問題はないという結論に至った、があるということだろうか?」


 ハイネセンの疑問にラングとエルは頭を悩ませ、エルはゆっくりと首を傾げる。


「もしそうだとしても、こちらからは何も分からない。向こうにしかない知識なら、その理由を言い当てることなんて不可能だ」

「それはそうだが……その有無が分からないと、この決断は簡単に下せない」


 ハイネセンは再び項垂れ、事態の重さに頭を抱え始めた。簡単に結論を出せることではない。あらゆる関係性を加味すればするほどに、ハイネセンの決定の重さは増していく。


「いや、でも……に考えたら、向こうにもあるとは言えないよね……?」


 不意にエルが呟いたその言葉にハイネセンは思わず顔を上げていた。


「逆とは、何だ?」

「いや、知識の有無の話なんだけど、確かに竜に関する知識は向こうの方が多いはずだけど、こっちの方が多い知識も、この一件には絡んでいるはずなんだよ」

「こっちの方が多い知識?」

だよ」


 エルの指摘した疑問点を耳にし、ハイネセンは少し前に考えていた可能性について、違和感があることにようやく気がついた。


「確かにそうか……こちらが竜について理解できず、問題ないと判断できないように、向こうも魔王について理解できず、問題ないと判断できない事柄があるはずだ」

「でも、実際はそうなっていない。何でなんだろうね……?」

「お人柄、でしょうか……?」


 ふとラングがそう呟いて、ハイネセンとエルは驚きの目を向ける。


「ラング殿、今、何と?」

「いえ、相手のことに目を瞑り、殿下が同行した際の問題点を考えましたが、殿下なら、多少の問題はなかったことにされるだろうと、そう思いまして。もしかしたら、向こうもそれに似た考えをお持ちなのかもしれないと」

「それはつまり、殿下に対する信頼ということですか?」


 ハイネセンの問いにラングは首肯し、エルは耐え切れなかったように小さく吹き出した。


「そんなことに国家の存亡をかけるなんて、もしそうだとしたら、その決断を下した人は相当だね」

「相当な馬鹿か?」

「ううん。俺は嫌いじゃない」


 エルの発言に引かれ、ハイネセンはラングの想像した考えが正しいかもしれない可能性について考え始める。それはそれまでに想定した、どの可能性よりも軽薄だが、どの可能性よりも信頼できる根拠があった。


「そこに私もかけると言ったら、どう思う?」

「悪くない」

「私も同じ考えです」


 ハイネセンの問いにエルとラングは即座に返答し、ハイネセンは脇に置いていた紙とペンを手に取った。


「なら、そうしよう」


 そう告げると同時に、ハイネセンはウルカヌス王国に送る返事を書き始める。これでいいのかという迷いは若干残っているが、これ以外に決める根拠もないと諦める部分もある。


 これによって少し予定は変更となり、当初の決定よりも人員を増やす必要があると考えながら、ハイネセンは増やすべき役割を頭の中に思い浮かべていた。


(護衛……やはり、騎士か……)


 ハイネセンの次なる悩みが始まろうとしていた。

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