謁見交渉(11)
早朝からベルは気怠げだった。昨日のアスマの様子を思い返し、今日も面倒なことになるのだろうと想像する。
ベッドの脇にあるテーブルの上には、昨日、パロールから借りた本が置いてある。昨晩の内に、中は一通り見たのだが、まだ読み込むという領域には至っていない。
もう少し読みたい気持ちがある一方、アスマの厄介さを考えたら、取り敢えず、これを押しつけることで、一度、頭を冷静にさせようかとも思う。
そうしないとイリスが困るだろうと考えたところで、ベルはアスマに話したことをシドラスにも報告しないといけないと思った。シドラスと情報を共有し、今後のアスマの対応について話し合わなければ、アスマを納得させるまで言い包めることは難しい。
さて、何から手をつけようかと考えている間に、ベルのメイドとしての一日は自然といつもの始まりを迎えていた。
いつものように集まり、いつものように仕事に移っていく。いつものようにベルは忙しくなり、アスマのことも頭から抜け落ちそうになるが、厄介さに対する解決は偶然にも逢っていないだけだと理解できていた。
シドラスに対する報告は難しく、アスマはハイネセンに突撃している可能性がある。それをイリスが止めていることを考えたら、現在のベルにできることくらいはしておいた方がいいように思えてくる。
そう思ったベルは仕事の隙間に部屋へと戻り、一応はアスマに貸すかもしれないと約束した本を手に持ち、アスマと鉢合わせた時に渡そうと考えた。アスマがどう思っているかは分からないが、これで一先ずは納得してもらおうという算段なのだが、そこまでアスマがうまく動いてくれるかは分からない。
アスマだから行けそうであり、アスマだから難しい。それくらいに分からないとベルは思いながら、本を脇に置いての掃除を続けている最中のことだった。
偶然にも、ベルが一人で廊下を移動している途中、廊下の途中にアスマの姿を発見する。イリスを引き連れ、誰かと立ち話に興じているようだ。
話をしているなら、今は声をかけないでいるべきかと思っていると、アスマの視線が僅かに動いて、ベルの立っている方に向けられる。
見つかった、とベルが思った時には遅く、アスマが笑顔で片手を振ってくる。
「ベル~!」
と、声までかけられたら、ベルとしては無視もできない。アスマに呼ばれるまま近づき、そこにできている輪の中に足を踏み入れた。
そこで気づいたのだが、アスマと話している相手はギルバートとタリアの二名だった。
「ギルバート卿? どうして、ここに?」
王城を訪れないわけではないが、ギルバートは何もなく王城を訪れるほどに暇な人ではない。それなりの理由があるはずだと考えていたら、ギルバートは僅かに身を屈め、他に聞こえない程度の声量で話し始める。
「実は、ウルカヌス王国との間で進めているという外交に、私の用意した殿下へのプレゼントが使用されるそうで、そちらの様子を見に来たのですよ」
「ギルバート卿のプレゼントが? というか、その話を聞いて?」
ベルが驚きながら聞くと、ギルバートは笑顔で首肯した。どこまで聞いているのか分からないが、極秘でありながらもベルに話したところを見るに、ベルの要望も耳にしているのだろう。
それなら、仮に口を滑らせたとしても安心だと、ベルは愚かにも失敗した時のことを考えた。
「ベルは仕事中?」
「ああ、そうだが、お前に逢ったら、これを渡しておこうと思ったんだ」
そう言いながら、ベルはずっと持ち歩いていた本を取り出し、アスマの前に突き出した。
「えっ? いいの!?」
「先に読んでいいから、大人しくしておけよ」
ベルがそう言いながらイリスに目を向けると、イリスが心の底から安堵した目でベルに小さく頷いてくる。
どうやら、まだハイネセンのところに突撃はしていないらしい。
「本の貸し借りですか?」
「うん。今の竜が住んでる場所のことが書いてあるんだって」
アスマがギルバートやタリアに本を見せるように開いて、その本の説明を始める。サラディエという土地について書かれた本で、昨晩、ベルが軽く見た程度でも、自分の足で向かうなら、知っておいた方がいい情報が散見された。
「挿絵もあって、分かりやすくなってるね」
そう言いながら、アスマがページを捲ろうとした瞬間、不意に手が伸びてきて、アスマの手を掴んだ。見れば、それはタリアの手で、ベルとイリスは思わず息を飲む。
まさか、大胆にもタリアが行動に移したのかと思ったが、タリアの表情は真剣そのもので、アスマの手に触れていることにも気づいていないのか、視線は本に注がれている。
どうやら、アスマの言った挿絵を見ているようだ。
「……ている……」
「えっ? どうかしたの?」
「これ……」
そう言って顔を上げたタリアがようやく自身の行動に気づいたのか、顔を真っ赤にしたかと思えば、慌ててアスマの手を掴んでいた手を上げて、誤魔化すように大きく振るっている。
「い、いえ!? この絵が気になってしまって!? 急にすみません!?」
「いや、大丈夫だけど、この絵がどうしたの?」
アスマが問いかけると、タリアは自身の気持ちを落ちつかせるように深呼吸を繰り返してから、再び本に手を伸ばし、そこに描かれた木の絵を指で示す。
「この高くて、枝の少ない木。この木の感じが似ているんです」
「似ている? 何に?」
「私がこの世界に連れてこられて、最初に目覚めた森です」
「えっ?」
タリアの思わぬ一言を耳にし、ベル達の視線は思わず本に集まる。
「ここ?」
そう告げたアスマの問いに、タリアはしっかりと頷き、ベル達はゆっくりと顔を見合わせていた。
☆ ★ ☆ ★
昨日の間にまとめ上げた親書に対して、ウルカヌス王国からの返答があったのは、昼を回ろうとしている頃のことだった。ハイネセンは届けられた親書を宰相室で受け取り、即座に中身を確認しようと封を開けた。
ハイネセンから送った内容について、ウルカヌス王国では国王の他、王女や王子も確認したそうだった。そうしてもらうようにお願いし、そこにベルからのお願いを書いたのだから、その対応をそのまま取ってくれたことはありがたかった。
それによって、こちらの要望の意図は汲み取ってくれたらしい。危惧していた不用意な争いも、警戒も、届けられた親書からは確認されない。
こちら側が交渉の条件として出した、国家魔術師の派遣に関する内容は、概ね受け入れられているようだった。
寧ろ、向こうとしては想定よりも待遇が良かったのか、不安になる旨も記されていたが、こちらとしては大きな損失はない。国家魔術師をそのまま派遣し、向こうに置くというなら話は変わってくるが、知識の流出は止めようと思って止められるものでもなければ、止めても利益を生むものではない。
もちろん、知識の秘匿性が大事になる場面もあるかもしれないが、学術に近い魔術の知識は共有し、様々な解釈を持つ人物が増えた方が更なる発展に繋がることは間違いない。その部分はハイネセンだけでなく、ラングやエルも思っているようだった。
国家魔術師の派遣による外交。それにベルを同行させて、竜と対面できるように手引きしてもらう。問題はこの後の部分だったのだが、ここについてもウルカヌス王国側はできる限りの協力を約束してくれるようだった。
竜との対面がどれほど危険か、ハイネセン達エアリエル王国の人間よりも、ウルカヌス王国の人間の方が良く分かっていることだろう。それでも、協力すると明言したからには、接触しても問題ないと判断したということのはずだ。
その部分は良かったが、問題はそこに付随する相手側からの条件だった。
竜との対面を手引きすること自体はいいが、そのために一つだけウルカヌス王国側が求める条件があるとそこには記され、その条件がその後に書かれていた。その一文を目にし、ハイネセンは思わず目を大きく見開き、親書を破りそうになるほど、手に力が籠ってしまう。
「正気か……?」
思わずそう口に出してしまうほどに、そこに書かれた条件はハイネセンからして信じられないものだった。
ゆっくりと息を飲み、親書をテーブルの上に置いてから、ハイネセンは頭を抱える。
「正気か……?」
再び呟いてしまいながら、ハイネセンはそこに書かれた条件が見間違いではないことを確認する。
「竜との接触に際して、第一王子が同行すること……」
ウルカヌス王国からの条件は、魔王と竜の対面を希望するものだった。
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