謁見交渉(10)

 アサゴの元で頼んでいたことの後始末を終え、道中でギルバートと遭遇するなどのこともありながら、イリスとアスマはそれ以外に大きな問題もなく、無事に王城に帰還した。


 アスマ自体にアサゴの件で話をする必要はあったのだが、それ以外にもガゼルを発見したことで、判明した新たな可能性を調べるために、シドラスがあれこれ動く時間も必要ということから、今日一日のアスマの基本的な用事は全て白紙になっていた。

 なので、アサゴに話をつけてから王城に戻ってきても、アスマがこなさなければならない日課は存在しない。


 言ってしまえば、宙に浮いた時間が発生し、アスマは王城に到着したまま、これから何をしようかと頭を悩ませ始めていた。同行するイリスは当然のように休むことを勧めるが、アスマの耳には入っていないのか、入っているが通り過ぎているのか、聞いてくれる気配がない。


「これなら、ギルバートの仕事を手伝えば良かったかな?」


 と、アスマが言い出す姿を目にし、イリスはアスマがギルバート達の仕事を手伝う様を想像してみる。当然のようにアスマがうまく手伝える光景は思い浮かばず、心配したアスマをギルバートが必死にフォローしたり、ただアスマがいるという事実にタリアが大きく動揺したりして、ハチャメチャになるイメージしか湧かなかった。


「それはしなくて正解ですね」

「えっ?」


 イリスの辛辣な一言にアスマは思わず顔を上げ、驚いた顔でイリスを見てくるが、イリスの返答は変わらなかった。申し訳ないが、ギルバートの仕事をアスマが手伝っても助けになる要素は微塵もない。


 強いて言えば、アスマの立場があるので、商人同士の交渉は円滑に進むかもしれないが、権力を振りかざした交渉をギルバートが良しと思うとは思えず、きっとそういう諸々の仕事を後回しにしてでも、アスマの影響が出ない仕事だけを選び始めると考えたら、その部分も迷惑をかけてしまうとイリスは思った。


「でも、本当にどうしよう? パンテラに行こうかな?」


 当たり前のようにアスマが外出を考え始めるので、イリスはもう一度だけと思いながら、一応は提案してみる。


「今日はお休みになられたらどうですか?」

「ん? あれは……?」


 そこでアスマは廊下の先に何かを発見したように首を伸ばし、そそくさと歩き始めてしまった。一見すると、無視をしているような対応だが、アスマが誤魔化すように無視する際はもっと分かりやすいので、今の行動は本当に聞こえていないが故の行動だろう。その点は心配していないのだが、当然のように耳に入っていない部分に関しては心配しかない。


 休む、という行為がアスマの中でどのような立ち位置になっているのかしらないが、決して不要な行為ではない。アスマは休むことに良い印象を持っていないのかもしれないが、人間の行動として休息は絶対に必要なはずだ。蔑ろにした対応は他のことにも支障が出る。


 そうイリスは思うのだが、それを聞いて欲しいアスマは廊下を歩き、気づいた時にはかなりの前方に到達していた。

 待つことも知らないと思いながら、勝手に立ち止まった自分が悪いと思い直し、イリスは先を行くアスマの背中を追いかけるように歩き始める。


 その時になって、アスマの前方にまでようやく意識を向けたのだが、アスマが発見したと思われる人物が目に入り、イリスはアスマがイリスの言葉を聞かなかった理由を納得した。


「ベル~」


 歩きながらアスマが手を振ると、廊下の先にいたベルがこちらの声に気づいて振り返った。仕事中なのだろう、メイドの格好をしたベルがアスマの姿に気づくと、どこか複雑な表情を浮かべて、手に持っていた何かをそっと隠している。


「ベル~。何してるの?」


 ベルに近づいたアスマが早速、そのように質問を投げかけていた。仕事中だろうと思いながら近づいたイリスも、アスマと同じようにベルの近くまで来てから、同様の疑問を浮かべる。


 もしも仕事中であるなら、ベルは普段持っているような仕事道具を携えているはずだが、今はそういう物が周囲に見当たらなかった。他のメイドがいるなら、そちらが持っているのかと思うが、他のメイドの姿もそこにはない。


「ちょっと荷物を置きに行くところだ」


 ベルが言いづらそうに答えると、アスマは荷物とは何なのかと疑問に思ったらしく、ベルの隠している物を覗き込むように首を伸ばした。


「荷物?」

「あっ、こら! 勝手に見るな!」


 そうベルが怒った時には遅く、アスマはベルの抱えている物をバッチリと見つめていた。


「あれ? その本って……?」


 そう言いながら、キラキラと輝く目を向けるアスマの姿に、ベルは観念したのか、ゆっくりと隠していた物を目の前に出してくる。

 見れば、それはアスマが言ったように本のようだ。


「本……?」


 そう呟いてから、イリスは表紙に書かれた文字を読み、その本の大まかな内容を理解した。同時にアスマが目を輝かせた理由も、ベルがそれを隠そうとした理由も、何となく察する。


「こんな本があったんだ……!」

「パロールから借りたんだ。先に情報くらいは持っておこうと思って」


 ベルの持っていた本は、サラディエ、という場所に関する本だった。イリスの知識が正しければ、そこは現代の竜が住まう場所のはずなので、竜との接触を求めているベルは事前に調べておこうと考えたのだろう。


 それはつまり、ベルの求めた竜との接触が話として進行中であることも示し、それがアスマの好奇心を刺激しているとイリスは分かっていた。


「ねえ、俺にも見せてよ」

「待て。まだ私が読んでいない」

「え? でも、ベルって仕事中だよね? その間くらい、ダメ?」

「いや、確かにそうだが……第一、私が仕事を終わった時に読み終わってなかったら、お前はそれで返そうと思えるか?」

「それは……」


 アスマは口籠る。ベルもそう思っているだろうが、イリスもきっとごねるだろうと予想がついた。


「なら、ベルが読み終わったら貸してよ。パロールには俺から話すからさ」

「いや、まあ、確かにそれならいいが……」


 そう言いつつ、ベルは困ったような顔を見せていた。何に困っているのか、イリスはベルの知っている話を知らないが、何となく想像はついている。アスマの立場等を考えれば、元からそういう可能性は高いと、恐らくはアスマ以外全員が思っていたことだ。


「アスマ。先に言っておくが、お前はここには行けないぞ?」

「えっ……?」


 ベルからの指摘を受けて、アスマは愕然とした様子で固まった。イリスも分かり切っていたことだが、アスマからしたら、やはり衝撃だったようだ。


 アスマはエアリエル王国の王子であり、魔王である。対面する相手が竜である以上、そこに何かしらの問題が発生する可能性は非常に高い。


 特にアスマはただの魔王ではなく、竜殺しの魔王だ。竜との対面を起因として、再び竜殺しが起きたり、反対に竜による魔王殺しが発生したりすれば、それだけで世界が傾く変化となる。


 大国同士の戦争か、ドラゴン同士の争いか、どちらにしても、地図も勢力図も大きく変わるような出来事だ。それを一個人の願望から引き起こす決断は、決定権がイリスにあっても下さない。


「ま、待って待って……! 嘘だよね……?」

「お前は魔王だ。竜のところに行くなら、確実に連れていくことはない。この国もそうだが、ウルカヌス王国も拒否するだろう」

「そ、そんなのって……!? 俺だけハブられるってこと……!?」

「ハブる……というか、普通の決断だと思うぞ?」

「い、嫌だよ……!? 俺も行きたいよ……!」


 愕然とするアスマが駄々を捏ねるように慌て始め、ベルは空気が変わるほどに大きな溜め息をついていた。きっとこの姿を想像し、こうならないためにも本を隠していたのだろう。見つかったら、必然的に話題はここに行きつくと、確かに想像に容易いことだ。


「私に言われても困る。言うなら、上に言ってくれ」

「そう、だね……うん! 分かった! ハイネセンに言ってくる!」

「ちょっ……!? 殿下!?」


 アスマの急な決断に、今度はイリスの方が慌てることになる。流石に無謀にも程がある行動を何とか諫めようとするが、アスマの態度は変わらない。


 とにかく、アスマを落ちつかせようと考え、イリスは条件をつけることで無理矢理アスマに納得させようと考える。


「きょ、今日は……!? 今日はやめましょう! 急に伺っても迷惑なだけですから!」

「あー、確かに……? じゃあ、明日にする」


 何とかアスマは納得した様子を見せてくれるが、ただその時を引き延ばしただけで、根本的な解決には至っていない。


 明日になったら、綺麗さっぱりと忘れていてくれないだろうか? イリスは頭の中でそう願ってみるが、あまり期待はできなさそうだった。

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