謁見交渉(9)

 椅子だけが並べられた、何もない無機質な部屋だった。片方の椅子には既に人が座り、石像のように俯いたまま、動く気配がなかった。だらりとぶら下げられた両手には枷が嵌まり、両足は椅子の足と一つになったように鎖で繋がれている。


 その対面に位置する椅子の前に移動し、ラングは視線を下げた。その視線に反応したように、ゆっくりと目の前の椅子に座る人物が顔を上げる。特徴的な眼光は今になっても衰えがない。


「意外と元気そうで良かったよ」

「節度のある生活を送っているからな」


 椅子に腰を下ろしながら、ラングがそのように声をかけると、ガゼルは冗談交じりにそう答えた。こういうことを言いながら、表情には一つの笑みも見えないところなども、ガゼルの変わっていないところだ。


「意外と遅かったな」


 椅子に座ったラングを確認し、ガゼルがそのように言う。


「すぐに逢いに来るものだと思っていた」

「それは……」


 冗談の一つでも返そうかとラングは考えたが、そこで言葉は詰まった。不意にガゼルが顔を上げ、何も変わらない鋭い眼光を向けてくる。その視線を見るだけで、茶化す気持ちは萎えていく。


「正直に言うと、怖かった」

「俺が?」

「そうではないよ。私が……何を思うのかと考えて、ね……」


 ラングはゆっくりと自分の中の気持ちを整理するように俯く。ガゼルは何も言うことなく、僅かに俯いたラングをじっと見つめている。一瞬も視線を逃がそうとしない。それだけの意思がそこにあるということだ。


「全て聞いたよ。君の若気の至りも」

「若気の至りで片づけられることではない。それくらいは自覚している」

「そうか。なら、良かった」


 その返答に耐え切れなかったのか、ガゼルが僅かに笑みを零した。息を漏らすように鼻で笑い、「何が良かったのだ?」とラングに聞いてくる。


「いや、良くはないけれどね。それは分かっているけど、最悪の対応はしないで済みそうだと思って」


 そう言いながら、ラングは冗談のように握った手を膝の上に乗せる。それに気づいたガゼルが小さく「そうか」と言っている。

 もちろん、冗談のような振る舞いだが、ラングは一切、冗談を言っているつもりがない。


「研究資料を見たよ。エル殿が見せてくれた。私とパロールにも、調べるのを手伝って欲しいと言ってきてね」

「逃げたか……」

「逃げではないよ。少なくとも、私は嬉しかった。君が一人で抱えていた苦悩も、ほんの少しだけど知れた気分だ」

「……どう思った?」


 ガゼルの問いにラングは一瞬、言葉に詰まったが、すぐに最適と言える言葉を引き摺り出し、ガゼルに叩きつけることにする。


「馬鹿だと思ったよ。大馬鹿者だとね」

「そう……だろうな……」

「間違いを認める時間も、それを受け止めてくれる相手もいたはずなのに、何も言わずに一人で抱え込んで……それこそ、逃げと言うんじゃないかな?」


 ラングの問いかけにガゼルは目を瞑り、静かに首肯する。分かっていると言わないのは、それがラングを怒らせる返答だと分かっているからだろう。


「どうして頼ってくれなかった? 何も言おうとしなかったんだ?」

「軽蔑されたくない。今の環境を壊したくない。そういう子供染みた考えの結果だ。この年になって、こう言うことも情けないが、全ては俺の青さ故の過ちだった」


 ガゼルがこれまで一切話してこなかった、本音の部分を直接本人から聞き、ラングは複雑な気持ちになる。

 それをもっと早く教えてくれれば、と思う一方、それを聞き出せなかった自分にも落ち度があると、ラングは後悔する。


「だが、その青さ故に全てを失った」


 ガゼルは今の自分を噛み締めるように呟き、ゆっくりと俯いた。憂いを帯びた表情には、一人となった寂しさが透けて見える。


「本当に全てを失ったのなら、私はここにはいない」


 その姿を否定するようにラングはそう告げてから、この場を訪れるに当たって、ちゃんと効かないといけないと思っていた質問を頭の底から引っ張ってくる。

 それに伴って、ラングの中で仕舞っていた気持ちが膨らみ、ラングの表情は自然と険しいものになった。


「君の罪をとやかく言う権利は私にはない。それは全てベル殿のみに与えられた権利だ。それ故、彼女が君を許したのなら、私は何もかもを許すつもりだった」


 そう告げるラングの言葉が次第に震え始めて、ガゼルもラングの抱える怒りに気づいた様子だった。ラングは自分を見失わないように、必死に自制しながら、抱えた怒りをガゼルにぶつけていく。


「だが、一つだけ、どうしても許せないことがある……!?」


 ラングは聞き及んだガゼルの所業を思い出し、それを指摘する。


「どうして、殿下の血を利用するなどという方法を彼女に伝えた……!?」


 静かに怒りの籠ったラングの一言を耳にし、ガゼルはついに表情を変えていた。それまで憂いを帯びながらも、いつもと変わらぬ眼光を見せていたが、その目に驚きが宿ったかのように、ガゼルは大きく目を見開いている。


「それがどれだけ彼女を傷つける選択だったと思う……!? これだけは彼女が許しても、私は許せない……!?」


 ラングの静かながらも激しい怒りを身に受け、ラングは大きく見開いた目を閉じ、ゆっくりと息を吐き出していた。


「俺の研究は失敗に終わった。竜の血が生み出した結果を目の当たりにし、それを少しでも解決しようと思ったが、短時間で見つけられる答えなど、大したものではない。俺は裁かれる覚悟を決めて、全てを託そうと思った」

「そのために唯一、見出だした手段を伝えた、と?」


 ラングの問いにガゼルは頷く。


「だが、その時の殿下の反応は俺の想定したものと大きく違っていた。彼女に俺が与えてしまった運命を正面から受け止め、それを背負おうとしていた」

「殿下は、まっすぐな御方だからな」

「そう、だな……その姿を目にして、俺はお前に言われたように、自分が逃げていた事実を認めたんだ。それではいけないと思いながらも、今更、自分の気持ちを置き換えることはできない。だから、少しでも罪を償えるように……」

「また逃げる道を選んだ……」


 ラングがガゼルの言葉の続きを想像し、それを追いかけるように口にすると、ガゼルは肯定するように押し黙った。その姿を前にして、ラングの中に膨らんでいた怒りは消え、ゆっくりと哀れみの気持ちが湧いてくる。


「やはり、君は馬鹿だ」


 改めて告げても、何度告げても、気持ちの全てが伝わらないくらいに、ラングはガゼルが馬鹿だと思った。


「馬鹿な俺には何もできなかった。もっとお前達を頼るべきだった」

「……そうだな。頼るべきではあった。が、何もできなかったわけではないよ」


 ラングはそう告げて、この部屋を訪れる前に聞いた話を思い返す。


「君が暇を持て余して、思わず口に出さないことを祈りながら伝えるが、宰相閣下は竜との対面を求めて、ウルカヌス王国と交渉されるようだ」

「それは、本当か……?」


 ラングの口から出た話が信じられなかったのだろう。ガゼルはその前に見せた時よりも大きく目を見開いて、ラングの顔をじっと見てきた。


「ああ、本当だ」

「ウルカヌス王国と……? い、いや、無理だ。ウルカヌス王国が認めるはずがないだろう……?」

「確かに少し前までなら、そうだったかもしれない。だが、今は違う。そういう状況を作ったのだよ、殿下が」

「殿下……? アスマ殿下か……?」


 ガゼルの問いにラングが首肯すると、ガゼルはしばらく呆然としていた。何も言葉が出ないようで、口をぽかんと開けてから、小さな笑みを浮かべている。


「あの方は凄いな……俺の想像など容易く超えていく……」

「ああ、そうだな」

「もしかしたら、俺が立ち向かい、愚かにも失敗に終わった問題でも、あの方なら答えを導き出してくださるかもしれないな……」


 国家魔術師でも辿りつけなかった場所を想像し、そこにアスマなら到達できるかもしれない。ガゼルの口にした可能性にラングも期待するように、ゆっくりと頷いた。

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