謁見交渉(8)

 呼び出しは唐突だった。ラングと共にエルの部屋を訪れ、三人でガゼルの残した資料を眺めている最中に、エルの部屋に衛兵がやってきた。


 曰く、ハイネセンがお呼びであるらしい。


 呼ばれたら仕方ないとエルが立ち去ろうとする中、ハイネセンが呼び出したのはエルだけではなく、ラングもそうだったようで、二人は呼びに来た衛兵に連れられ、宰相室に向かうこととなった。


 結果、エルの部屋にはパロール一人だけが取り残された。


 エルは引き続き、ガゼルの資料を調べていて構わないと言っていたが、ラングやエルと比べて、パロールの知識は深いわけではない。ある特定の分野に関して、人並み以上の知識を持っているという具合で、あそこに残されている資料を一人で見ていても、その資料の内容を完全に把握することは難しいように思えた。そこに潜んでいるラングやエル、ガゼルの気づかなかったような事実に、自分一人で気づけるとも思えない。


 何より、何か照らし合わせる対象がいないと、この場合は自分以外の誰かがいないと、何が気づいていないことなのか分かりもしない。


 一人で資料を調べることは難しいと考え、パロールはラングやエルが戻ってくるまでに、自分一人で行えることをしておこうと考えを変えた。


 その自分一人で行えることの候補として思い浮かんだのが、資料の整理だった。資料の整理と言っても、ラングやエルと一緒にやっていた、読み進めるようなものでは当然なく、読み終わった資料を片づけようということだ。


 エルの部屋にはパロールが訪れる以前の物も含めて、既に大量の資料が放置されていた。既に読み終えた資料はエルの部屋から運ばれ、然るべきところに持っていかれることは明白だ。

 それら資料を先に運んでしまおうとパロールは考えたのだが、問題は運ぶ先がどこであるかという点だった。


 候補として、パロールが真っ先に思い浮かべたのは、テレンスの所有する書庫だ。あそこには様々な蔵書が存在し、ガゼルが研究のために集めた資料の数々も、そこに並べられるに相応しいものに思えた。


 が、問題はテレンスの書庫には、多くの蔵書があるあまり、ここにある資料は全て存在する可能性があるという点だ。

 テレンスの書庫に寄贈するにしても、ここに放置された資料は既にあると言われたら、ただ場所を圧迫するだけで喜ばれることはないだろう。


 それなら、と別の候補を考える中、パロールが思い浮かべた先に王都の図書館があった。


 ガゼルの用意した研究資料の大半は魔術に関するもので、それら専門の書類は魔術師か、魔術師を目指しているものしか興味のないものではあるが、一部はその限りではない。

 ガゼルの研究は魔術だけでなく、竜へと関心は移っていたので、それに付随する形で関連資料は多く残されていた。


 竜も絡む歴史書の類や、歴代の竜が生息していたと言われる地域の地形図、あるいは竜や魔王を元にした童話の類まで、その種類は多岐に及んでいる。


 それらは何も魔術師でなくとも、一般的に十分楽しめるものであり、図書館に置かれていたら多くの人の興味を引くだろうとパロールは思った。


 テレンスの書庫と違って、王都にある図書館は公共的な施設だ。個人書庫なら場所を圧迫すると嫌われる書物の重複も、図書館ならそこまで毛嫌いされることはないだろうとパロールは考えた。


 取り敢えず、資料として持ってこられた書物の内、魔術に関する物と、そうではない物を分けて、そうではない物に関しては一般の図書館に寄贈するために、一時的に場所を移そうかと考え、パロールはエルの部屋に置かれた書物を順番に見始めた。


 この部屋を訪れ、ラングやエルと一緒に資料を眺め始めた時点から思っていたが、ガゼルの研究はかなり深く進行していたらしく、そこにはパロールが想定している以上の魔術に関連しない書物が存在していた。


 魔術に関する書物は元からガゼルの専門だ。自主的に集めていた物もあれば、匿ってもらっていたフーが持っていた物もあるかもしれない。それらの本が多いことは分かる。


 だが、それに関連しない書物はそれまで持っていたかどうかも分からない。今回のために集めた可能性の高いものが多い。


 これらの資料が竜ではなく、魔王に関する物なら、パロールにも思い当たる節はある。パロールが予言したことで、魔王誕生が判明した際には、その運命に抗うためにガゼルも魔王の調査に協力してくれていた。


 だが、今回はその時とは違って、竜に関する資料だ。それもパロールの見たことのない物も多くあり、それらがいつの頃から集められた物なのか、パロールは不思議に思いながら資料を分けていた。


 きっと、それだけ長い間、ガゼルは密かに研究を進めていたのだろう。そこに含まれる思いをパロールは完全には汲み取れないが、パロールの感じていた僅かな怖さを、それらの資料には感じなかった。


 分け終えた資料の一部を手に取り、パロールは立ち上がる。ラングやエルのガゼルとの関係性はパロールとは比べ物にならないもののはずだ。


 その関係がただ壊れたまま、廃れたものにならないことをどこかで祈りながら、パロールは部屋を出て廊下を歩き始める。図書館に寄贈する予定の書物は魔術師棟から運び出し、持っていきやすい部屋に保管しようと考えていた。


 その途中、パロールはラングやエルと匹敵するほど、ガゼルと関係の深い人物と偶然にも対面した。


「あれ? パロール様だー」

「あれ? 運搬中だー」


 エルの部屋から書物を運ぶ途中、パロールの前で手を振るように話しかけてきたのは、ネガとポジの二人だった。その声に反応し、近くにいた一人のメイドもこちらを振り返る。


 それがベルだった。


「ああ、皆さん、こんにちは?」

「どうする? 手伝う?」

「お手伝いします?」


 ネガとポジがパロールの持つ書物を指差し、そのように聞いてくるが、パロールは笑顔でかぶりを振る。


「皆さんには皆さんの仕事があると思いますので大丈夫ですよ」


 そうパロールが答えていると、ネガとポジに絡まれていると思ったのか、ベルがこちらに近づいてきた。


「おいおい、二人共、邪魔するなよ」

「邪魔じゃない。手伝いの確認」

「邪魔じゃない。お手伝い希望」


 二人がそう言って、パロールの手にある書物を指差したことで、ベルの視線がそちらに向いた。そこでベルは何かに気づいた顔をする。


「それって……」


 ベルがパロールの近くにやってきて、パロールの手の中を覗き込む。ベルが確認している背表紙には、サラディエの文字が書かれている。


「もしかして……?」


 そう聞いてきたベルの言葉の続きは分からなかったが、パロールは概ねベルの考えていることは間違っていないだろうと思い、返答するように頷いた。


「そ、そうか……見せてもらっても……?」


 ベルの問いにパロールが頷き、その書物を渡していると、ベルの様子にネガとポジが不機嫌さを見せている。


「ベルさんの方が邪魔してる」

「ベルさんの方が邪魔邪魔だ」

「ち、違う。これはその……私にも関係する本なんだ」


 ベルが慌てた様子で説明すると、ネガとポジが不思議そうに本を覗き込み、パロールの方を見てくる。


『そうなの?』


 声を揃えて二人が聞いてくるので、パロールは笑顔で頷きを返した。


「ベルさんのために集められた書物なんですよ」


 パロールがそのように答えると、ネガとポジは驚いた顔で本を眺めて、何故かベルのことを凄そうな目で見ている。


「こういうところか……」


 その視線を気にすることなく、ベルはしばらく本を眺めてから、それをパロールに見せるように掲げてきた。


「すまないが、この本を借りてもいいか? これは読んでおきたいんだ」

「大丈夫ですよ。持ち主の方には私から説明しておきますから」


 ベルのお願いにパロールが二つ返事で承諾していると、ネガとポジが気になったのか、小首を傾げながら聞いてきた。


「パロール様の物じゃないの?」

「誰様の物なの?」


 その問いにパロールはエルの名前を口にしようとして、そうではない別の人物の顔が思い浮かぶ。


「誰よりも研究熱心だった一人の魔術師の物なんですよ」


 パロールがそう答えると、ネガとポジは感心したように声を漏らし、ベルは誰のことか分からなかったのか、不思議そうに小首を傾げていた。

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