謁見交渉(7)

 竜と対面したいというベルの希望から進められたウルカヌス王国との交渉も、ようやくハイネセンが書類をまとめる段階に入っていた。こちらの提示する条件を親書の形にまとめ、向こうに送ってから、詳細を擦り合わせていくことになるだろう。


 とはいえ、ここからも問題は多く、ハイネセンの気持ちは休まらない。向こうからの反応次第では、こちらの提案を変える必要があることはもちろんのこと、その前段階の時点で決まらないこともまだ多かった。


 ラングとエルを呼び寄せたことで、一定の方向性は決まったのだが、残った問題は人員の確保だった。


 ウルカヌス王国との交渉を考えれば、送り込む人材はそれ相応の人物でなければならない。が、それ相応の人物であればあるほどに、王国内での仕事が忙しいことも事実だ。


 交渉を進めることを優先的に考え、そちらに人員を回す、という手段が気軽にできたらいいのだが、人によってはそれを取った時点で、この国自体が回らなくなるかもしれない。そこまでは行かなくても、それなりの業務を抱えた人物が抜ければ、細部に支障が出始めることは当然のことだ。


 況してや、それがベルのプライベートなお願いを含んだところから始まったと知れたら、様々な問題が付随される。ベルの立場が悪くなる程度ならいいが、当のベル本人も気にしそうな点は頂けない。

 そこにアスマも絡んでくるかもしれないと思ったら、ハイネセンの頭痛の種は、この段階に至ってもなくなりそうになかった。


 ある程度、こちらに回せる人物となれば、それなりに候補はある。件のアスマの周囲の騎士なら、時間は作りやすい方だ。ベルが行くことも考えると、女性が付き添った方がいいということもあるので、イリスは確定的だろうかとハイネセンは考える。


 ただ派遣される国家魔術師と、それに同行するベルの二名を護衛すると考えたら、騎士は一人ではいけない。特に竜との接触がどのような形になるか分からない以上、二手に分けられるくらいには人がいなければいけない。


 最低でも二人、欲を言えば、もう少し欲しいと思うところだが、竜との接触という重大事項も抱える以上、騎士以外から割くことはできない。騎士に限定したら、そう簡単に割ける人材がいない。ハイネセンの悩みはどつぼに入り始めている。


 王城内の状況から国家間の問題に至るまで、この国に関わるあらゆることを把握しているハイネセンではあるが、王城に所属する騎士の細かな仕事までは管理していない。人一人の仕事量には限界がある以上、流石にそこまでの処理はできない。


 騎士の仕事をまとめ上げているのは、騎士団長を務めているブラゴのはずだ。騎士を回すとしたら、当然のようにブラゴの確認は必要となるだろう。


 そのブラゴからも意見を求めようかと考え、ハイネセンはペンを止める。元からハイネセンの中でまとまれば、ブラゴに騎士の確認をしてもらうつもりではあった。


 その前の決める段階から関わらせようかと考え、ハイネセンが呼ぶかどうかを悩み始めた時になって、そのハイネセンの苦慮する様を眺めていたかのように、部屋の扉がノックされる。


 聞けば、それはハイネセンが考えていたばかりのブラゴだった。


「失礼します」

「どうしたんだ?」


 ハイネセンはブラゴが訪ねてきたという事実よりも、このタイミングでブラゴが顔を出したという部分に驚きを浮かべ、大きく見開いた目でブラゴを見つめる。


「秋に行われる魔竜祭に向けて、王国内に持ち込まれる物資の数が変化してきました。それに伴って、王都内の警備状況も変更する時期かと思いまして、その案を持ってきました」


 例年のことながら、祭りの時期には王都内の様子も大きく変化する。それは竜王祭よりも魔竜祭の時の方が激しく、それに伴って魔竜祭では事前に配置を変更することが多かった。

 とはいえ、まだ魔竜祭には少し時間がある。この時期に用意してきたのかとハイネセンは率直に驚いた。


「もう動いているのか?」

「竜王祭の時はイレギュラーが発生し、自警団の手を借りることになりましたから、話を進めるなら既に動くべきだと判断しまして」


 ブラゴの決断にハイネセンは納得し、何度か頷きを見せた。竜王祭のような事態にはならないと願いたいところだが、同様の事態になっても対応できるように動きを変えることは重要だ。


 況してや、魔竜祭は例年の様子から、竜王祭以上に熱狂的な人物が集まる傾向にあると分かっている。それらの人々を考えたら、動き出すタイミングはどれだけ早くても問題ないように思えた。


「ん? 魔竜祭?」


 ふとハイネセンの頭に過る言葉があったが、それらをハイネセンは拾おうとしなかった。そうではないと思うことにして、右から左に受け流し、不思議そうに自身を見るブラゴを見上げる。


「どうかされましたか?」

「い、いや、何でもないんだ」


 そう言いながら、ハイネセンはブラゴの持ち込んだ書類に目を通す。細かな警備スケジュールを目にし、ハイネセンは特に問題点がないことを確認する。


 が、書類の不備以外の部分に問題を感じ、ハイネセンはブラゴに書類についての結論を言うことなく、顔を上げて手元の紙を出した。


「実は、ちょうどお前を呼ぼうと思っていたんだ」

「何かありましたか?」


 ブラゴがハイネセンの差し出した紙に目を落とし、そこに書かれた情報を順番に読み進めている。視線が紙の上を滑るように移動し、どこを読んでいるのかハイネセンにも分かったが、ブラゴはどこまで進めても顔色一つ変えなかった。


「名前が書かれていないことを見るに、誰を派遣するのか、今もお考え中ということでしょうか?」

「ああ、一応は一人、イリスを送ることが決まっている」


 それはもうハイネセンが目の前の書類をまとめようと始めた段階で決まっていたことだった。ラングとエルを呼び、ウルカヌス王国との交渉内容が決まった段階で、イリスの派遣は固定されていた。


「問題は他に誰を送るのかという点だ。外交内容まで加味すると、騎士であることが条件となるのだが、現在の状況から誰を送ればいいのか判断し切れないでいる」


 ハイネセンの悩みを聞き、ブラゴは渡された紙を見つめたまま、少し考え込んでいる様子だった。ブラゴがここまで考えるなら、やはり、誰かをすぐに送り込むことは難しいかとハイネセンが考えていると、ブラゴの口がゆっくりと開く。


「恐らく、宰相閣下もお気づきだと思われますが、魔竜祭の開催が近くなってきたということは、あの二人のどちらかは手が空くはずです」


 ブラゴがそう言い出したことを聞いて、ハイネセンはさっき過った言葉を再び思い出した。ハイネセンが手に取らずに受け流した言葉だが、ブラゴはそこにしか活路を見出だせなかったらしい。

 つまり、騎士はそれほどまでに忙しいということだ。


「一応、聞いておきたいのだが、それは二択として成立しているか?」


 二人と口にしたからには、その二人のどちらかを選べる状態であって欲しいと思うところだが、ハイネセンの頭を過った言葉が一人の名前だったように、ブラゴの中でも選ぶとしたら、片方しかないと確定的に思っていたようだ。


「やはり、護衛の仕事も考えると、選べるのは一人だけかと」


 二人の内、一人しか選べないという意味ではなく、二人いるが片方を選ぶしか選択肢がないという意味合いで、ブラゴがそのように口にし、ハイネセンは静かに溜め息をつく。


「やはり、そうか……」

「他は……現時点では何とも。必要とあれば、仕事の調整は致しますが、こちらから推薦できる状況ではありません」

「いや、そうだろうとは思っていた。ただ少し悩みたかっただけだ」


 他に選択肢があるなら、そちらを選びたいという気持ちは今も残っているが、その気持ちには別れを告げて、ハイネセンはブラゴから再び受け取った書類に、の名前を書いた。


「ところで一つ気になっているのですが」

「どうかしたか?」

「派遣される国家魔術師の方のお名前が見られないのですが、誰に頼まれる予定なのですか?」

「ああ、それか」


 そう言いながら、ハイネセンは書類の一部に書かれた、エルの提案から送り込まれることが決定した物を指差す。


「これを送ることが決まったから、これに相応しい人物として国家魔術師は決定した。イリスも同様の理由だ」

「と、言うことは?」

に頼む予定だ」


 ハイネセンはそう答えてから、まだ記入していなかったパロールの名前を書類に書いた。

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