謁見交渉(2)

 笠に被った埃を払い、エルはランプに火を点した。カーテンで仕切られた部屋の中をランプの明かりが照らし、部屋中に積まれた書物の影をカーテンに伸ばしていく。書物の半分には埃が被っていたが、それらはランプの笠と違って払うことなく、エルは埃の被っていない書物に指を向ける。


「そっちにあるのが、お願いしたい資料」


 エルがそう告げると、入口近くで立ちつくし、エルの言葉を待っていたラングとパロールが揃って、そこに積まれた書物に目を向けた。古今東西、あらゆる書物がそこには積まれているが、どれも全く無関係のものが無造作に並べられているわけではなく、一貫して一つのテーマがあることは十分に見て取れた。


「ここに積まれている分はまだ目を通していないのですか?」

「そう。流石に量が多くて、向こうだけでは見られないと思ったから、こっちに運んできたんだよ。それでも、半分もないくらいには減らしたんだよ」


 エルが説明を続けながら、部屋の中に置かれた椅子を運び、書物の近くに並べ始めた。小さなテーブルをその隣につけて、二人を椅子の方に招いている。


「流石に俺の目だけだと限界があるし、全部に対して知識があるわけじゃないから、何か気づくことがあっても見逃している可能性があるかもしれない。だから、二人にも協力して欲しいんだよ」


 エルの説明に頷きながら、ラングとパロールはエルの用意した椅子に着席する。目の前に置かれた書物の一冊を手に取ってから、それらの文書の隣に置かれた、幾束にも分かれた文書の塊にも手を伸ばす。時に精細に、時に乱雑に、中には殴り書きのようにも書かれた文字を見ながら、ラングとパロールは順番に手に取った書物を読み進めていく。


 そこに書かれた内容と、手元の文書に記された言葉を見比べ、ラングは心の底から感心したように声を漏らす。


「ガゼルはここまでのことを調べていたのか……」


 ベルが王都を訪れ、アスマと接触したことをきっかけに起こった出来事から、ガゼルは王城を離れ、密かにフーの営む魔術道具屋に隠れ住んでいた。


 その間、ガゼルは生活費として、フーの店で売る魔術を作りながら、ひたすらにベルの身体を元に戻す研究を進めていたらしい。ガゼルが使用していた部屋にエルは入り込み、そこに置かれた書物やまとめられた文書を見ながら、その研究の内容を読み取ろうとしていた。


 が、流石にそれらの量が多く、一人では見切れないとなったエルが、ラングとパロールに助けを求めた結果、今の状況に至っている。


 全体の半分以下とエルは言っていたが、そこには十分、研究結果を一つの論文としてまとめられそうなほどの文書がまとめられており、そこに至っても見つけられない答えを求めて、ガゼルがどれだけ足掻いていたか、痛いほどに伝わってきた。


 その様子を感じ取り、ラングはもしかしたらエルも同じように思ったのかもしれないと想像する。ガゼルの気持ちが理解できてしまい、心が耐えられなくなったから、その負担を少しでも和らいでくれる相手を求めた。そう考えると、その相手として自分達を頼ってくれたことは素直に嬉しいことだ、とラングは思う。


 エルにとってガゼルは家族だ。ガゼルが何をしていたとしても、何を隠していたとしても、そこにエルがどう思ったとしても、きっと根本的なその部分に変わりはない。その家族の残したものを惜しみなく見せてくれるとしたら、それはそれに近しい感覚を覚えてくれているからに違いない。少なくとも、ラングはそうだ。


「やっぱり、竜に関する知識はこれだけ集めても、知っているものを大きく超えないね」

「殿下を見ていたら忘れそうになりますけど、本来、竜や魔王は人と離れた生活をしているって聞きますからね」

「いくら変わり者で、人間の子供を育てていると言っても、情報は外に出さないか。もしくは誰も持ち出そうとしていないのかもしれないけど、どっちにしても、有益な情報はなさそうだね」


 エルが手に持っていた書物を脇に置いて、新たな書物に手を伸ばす。背表紙に見える情報から読み取るに、過去の竜に関する記録のようだ。


「これだけ記録を探しても、過去に例のないくらいの異常事態。今のベル婆はそんな感じだよね」

「竜の血という物自体が珍しいですからね。それを人に使用した例どころか、動物に使用された例すら残っていないと思いますよ」

「けど、師匠みたいに倫理観のぶっ壊れた魔術師なら、手に入れた時に実験しそうだけどな」

「そういう記録はあっても、こういう公式に出版されている本には載らないんじゃないですか?」

「ああ、それもそうか。情報が流れていたとしても裏側か」


 エルとパロールの会話を耳にしながら、書物に目を通していたラングが少し気にかかっていたことを言い出そうかと、迷いながら口を開く。


「エル殿はガゼルと逢ったのですよね?」

「ん? うん、もちろん。俺も師匠を捕まえる場にいたからね」

「エル殿はガゼルを許さないと思っていました」

「許してないよ。俺も、多分、ベル婆も、誰一人として許してないよ。きっと永遠に。それは師匠も分かっていることだと思うよ。それでも、少しでも償おうとする姿勢を見せてくれたから、俺もベル婆も少しだけ見逃すことにしたんだよ。執行猶予、みたいな?」


 エルの声には感情が乗っていた。恐らく、今も忘れられない失望の色だ。その瞬間のことは手に取ろうと思えば、すぐに取り出せるくらい近くに、今も置いているのだろう。それでも、エルが向き合うと決めたのは、ガゼルの贖罪故か、ベルの容赦故か、今のラングには判断がつかなかった。


 その理由は明白だ。そう思っていたら、思い出したようにエルが告げる。


「そういえば、ラングさんはまだ師匠と逢っていないの?」


 その問いかけにラングは口籠った。隣でパロールが心配した目を向けてくる。意味もなく、逃げ込むように手元の書物に目を落とす。ドラゴンが身を隠せるほどの高木が立ち並ぶと、サラディエの環境に言及した書物だ。


「逢っても大丈夫でしょうか……?」

「大丈夫? 何に対する心配?」

「ガゼルの行いについて、私はどう思ったらいいのか、自分自身で分かっていないのです。その状態で逢っても、正しい対応ができるのか、私には分からなくて」

「何それ。ラングさん、面白い理由で悩んでいるね」


 エルが手に持っていた書物を閉じて、自身の脇に置く。ラングからしたら真剣な悩みだったのだが、エルは口元に笑みを浮かべ、興味に満ちた目でラングをじっと見つめてきた。


「おかしいと思いますか?」

「うん。だって、師匠とラングさんは友達なんだよね? なら、深く考えるまでもなく、その時に思った感情が相手に対する正直な対応になるんじゃない? そこに正解も不正解もないと思うけど? ねっ?」


 エルがパロールに話を振り、パロールは少し迷った様子ながらも、エルの言葉に首肯していた。


「逢いたい気持ちがあるなら逢うべきだと思うし、俺的にはラングさんは師匠と逢って話をして欲しいと思うよ。それもできれば、すぐに。感情って生ものだから、時期を逃がしたら、本当に必要だった会話とか、なくなっちゃうと思うんだよね。だから、俺は迷わずに逢えばいいのにって言うよ」


 エルが視線をラングからパロールに移し、パロールは少し戸惑いながらも、ラングの方を真剣な目で見てきた。


「私も同じ気持ちです。ガゼルさんと逢って話したい気持ちがあるなら、ちゃんと話すべきだと思います」


 二人の真正面からの言葉を受けて、ラングは迷いながらも顔を上げ、ゆっくりと気持ちの一部を言葉に変える。


「そう、だね……逢ってみようかな……うん……」

「それがいいよ」

「そうしましょう」


 迷っていた気持ちの一部が薄れ、晴れやかな気分すら生まれてきたことにラングは少し驚きながら、それを作り上げてくれた二人に目を向け、小さく笑みを浮かべる。


「しかし、まさか、まだまだ若い二人に諭されるとは思いませんでしたよ」


 笑い交じりにそう告げると、エルとパロールはきょとんとしてから、揃って困ったように笑い出していた。


「まあ、若いかどうかは何とも言えないけど、何年生きても人は簡単なことで悩むっていうことを最近、嫌というほどに知っているからね」

「それは実体験で?」

「それもあるけど、それ以上のサンプルが一人いるからね」


 それは誰なのかと聞こうとして、口を開きかけたラングだったが、その前に一人の顔を思い出し、エルが誰のことを言っているのか理解した。納得したように首肯しながら、ラングは「確かに」と口にする。


 この時、パロールを含めた三人の頭の中には、既に八十年以上も生きている一人の小人の姿が浮かんでいた。

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