『サラディエ』

謁見交渉(1)

 不死身の身体となってしまった体内から、原因となる竜の血を完全に消し去るためには、同等の力が必要だ、とガゼルは言った。その力の代表例として、ガゼルは魔王の存在を示し、アスマの血液を利用すれば、ベルことベルフィーユの身体が元に戻る、かもしれないと可能性を提示してきた。


 当然、ベルの全身を巡る血液を置き換えるためには、同等量の血液が必要だ。人間の身体でしかないアスマの血を利用すれば、当然のようにアスマは失血死する。


 ベルは自分のためにアスマが犠牲になることなど選ぶはずもなく、その手段を否定し、元の身体に戻るための手段を他に探し出すことに決めた。


 とはいえ、前例のない状況に情報が湧き出してくることもなく、最終手段だけが唯一の手段として残されている中、そこに新たな可能性が提示されることになった。


 それは奇しくも、魔王の血液を使うことを提案したガゼルが導き出した可能性で、それは前回のものとは違って、まだベルも受け入れられる希望のあるものだった。


 曰く、体内に流れる竜の血と同等の力を利用するなら、候補の一つに魔王が挙げられるが、そこにはもう一つ候補が存在する。


 ベルの体内を流れる血と同等のもの。即ち、竜そのものだ。


 竜の血を利用することでベルの身体が元に戻るのか、それとも、別種の手段があるのかは分からないが、竜の血の起こしたことなら、竜本人が解決法を知っているかもしれない。


 ベルは元に戻る可能性を探すため、竜と逢いたいと希望を出し、シドラスはそれを一連の報告としてブラゴに提出した。


 その報告がブラゴからハイネセンに渡り、シドラスはまとめられた報告の詳細を聞きたいと、ブラゴと共にハイネセンに呼び出されることになったのだが、ハイネセンはシドラスの報告に酷く頭を抱えている様子だった。


「まず、ベルさんの身体が元に戻る可能性が竜にあるとガゼルが言ったんだな?」


 ハイネセンの確認にシドラスが首肯すると、ハイネセンはやや険しい表情を見せる。


「根拠は?」

「あくまで可能性という話なので、確実性に頼らないのであれば、十分にあり得る話ではないかということだそうです。これについては、その話を聞いたエル様からもお墨付きを得ています」


 現代最高の魔術師と名高く、ガゼルの弟子でもある、エルことエルシャダイが認めたとなれば、その根拠はシドラスが多く語るまでもない。


 そもそも、ハイネセンはその部分について、多く疑問を懐いていたわけではないのか、表情を一つも変えないまま、エルの名前を出したら、あっさりと質問を引いてみせた。


「そうか。それなら、その部分についてはいいとしよう。それで竜と接触する場合に何が必要かは分かっているのか?」

「はい、もちろん。ベルさんも、現代の竜が住まうサラディエの位置についてはご存知です」


 現代の竜、アクシスが根城にしているサラディエという名の森林地帯は、エアリエル王国から見て東南東、ウルカヌス王国の領土を越えた先に存在している。


 つまり、竜と対面するためには、ウルカヌス王国に侵入し、サラディエに向かう必要がある。


「ウルカヌス王国とは同盟を結んだ関係上、外交的接触自体はこれまでよりも容易になっている。が、その用件が竜と接触したいという話であれば、その限りではないはずだ」


 エアリエル王国にはアスマという魔王が存在している。その上、竜と接触したいと言い出せば、エアリエル王国が何を考えているのかと、流石の同盟国でも疑いを持つはずだ。少なくとも、外部から見る分にはそう思う。ハイネセンもそう考えるだろう。


 だが、その部分について、シドラスは問題ないと言い切れるだけの根拠があった。


「その辺りの問題でしたら、ウルカヌス王国での一件の際、ソフィア王女殿下がこちらの事情をご承知くださっています。竜との接触を求める際に、理由を説明すれば納得いただけるでしょう」


 次期女王であるはずのソフィアが事情を説明すれば、相手が国王であろうと納得はしてくれるはずだ。エアリエル王国が欲に溺れ、怪しい動きを見せ始めたと誤解することはないだろう。


 とはいえ、それはあくまでウルカヌス王国に限った話であり、他の国については話が変わってくる。


「ゲノーモス帝国との一件がある。ウルカヌス王国が問題ないとしても、大々的には行動できない。それ相応の理由が必要となる」


 一定の納得は見せているハイネセンの指摘は全うなものだった。他の国を刺激し、意図せぬ国際問題に発展した際には、エアリエル王国だけでなく、同盟関係にあるウルカヌス王国にも迷惑をかけることになる。

 あくまで表の目的があり、その裏で竜と接触する密やかな行動が必要だろうと、シドラスは理解していた。


「でしたら、例の一件はどうでしょうか?」


 そこでブラゴがハイネセンに提案した。冷たい声が宰相室に響き、シドラスとハイネセンの視線が自然とブラゴに集まる。


「例の一件?」

「ウルカヌス王国から要請のあった魔術交流に関する一件です。こちらの魔術知識を得たいということでしたので、国家魔術師を派遣することも検討しておりました」

「ああ、それか……」


 表向きには国家魔術師の派遣と称し、そこにベルを同行させ、竜との対面を行わせる。そこでベルの身体が元に戻るかどうかは分からないが、浮上した可能性の精査くらいはできるはずだ。


「確かに、それを理由にすれば、他国の目は誤魔化せるか……残りの問題は竜との接触が現実的に可能であるかどうかなどだが、その辺りについてはウルカヌス王国側に聞いてみて判断する方がいいか。こちらよりも向こうの方が流石に知っているだろう」


 あまり逢うことはなくても、隣人であるなら、その人となりは知ろうとするものだ。それが自身から見て、危険であるかもしれない人なら尚更のこと。対面する機会を生むべきかどうかの判断も、一定の基準を持っていることだろう。


 そこを聞く必要があるかと、ハイネセンはテーブルの上の紙を手元に引き寄せ、素早く何かを書き始めた。ウルカヌス王国に送る手紙を書きながら、こちら側の提示する条件も、隣のメモに記しているらしい。


「取り敢えず、簡単にまとめて、向こうの反応を待ってみよう。一応は動いてみるが、確実に約束を取りつけられるわけではないと伝えておいてくれ。無用に落胆させたくはない」


 ハイネセンの気遣いに頷いていると、不意にハイネセンのペンが止まり、シドラスの顔を見上げてきた。


「……と、その前に一つ。殿下の説得も同時に頼んだぞ」

「殿下の説得、ですか?」

「ああ。どれだけウルカヌス王国が寛大で、竜との接触を許してくれたとしても、流石に魔王であるアスマ殿下を同行させる許可までは出さないだろう。魔王と竜の接触は何が起きるか分からない。殿下誕生時のような事態になれば、また別の形で国際問題になりかねない」


 アスマの性格を考えれば、十中八九、ベルと一緒に行くと言い出すだろう。そのアスマを説得しなければいけないことを考えたら、シドラスの身体は途端に重くなってくる。


「確かにアスマ殿下の同行は危険も孕んでいますが、殿下が同行することで竜の口が開くという可能性もあります」

「竜の力に対する抑止力か? それが竜の口を開かせると?」


 ハイネセンの話を聞いていたブラゴがそのように言い出し、ハイネセンは考え込み始めた。


「確かに、それも事態としてはあり得るのか……ただ殿下は流石にリスクが大きい。国際問題に加え、殿下が亡くなられたとなれば、この国は一瞬で傾きかねない。もしも、それを考慮するとしたら、他の候補が必要だな。エル……はあの体質的に無理か……」


 ハイネセンの持ったペンがテーブルの上で踊る。ハイネセンの思考の様子を示すように、くるくると回っている。


「元より、誰を派遣するのかも決めないと話はまとまらない。ここは一度、有識者に判断を仰ぐ必要があるか」


 そう呟いたハイネセンの手が動き出し、ペンが紙の上を滑らかに移動すると、そこにはラングとエルシャダイの名前が記されていた。

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