もう一つの可能性

 ライトから知らせを受けた衛兵が到着しても、ガゼルは大人しいままだった。それまでの言葉が嘘ではないことを証明するように、何の抵抗もなくガゼルは衛兵に連れられていく。


 その姿を見送ってから、王城に戻るアスマ達を見送り、エルはまだ少し魔術道具屋の中にいた。

 残されたのはエルと、この店の店主であるフーの二名だ。


「いつから気づいていたんだい?」


 フーの問いかけにエルはゆっくりと思い返すように俯いて、僅かにかぶりを振る。


「もう覚えてないよ」

「気づいていたけど、黙っていたんだね?」

「それはお互い様だろう?」


 エルのどこか責めるような声を聞いて、フーは小さく息を吐いてから、カウンターの向こうに置かれた椅子に腰を下ろしていた。


「あの人を見つけたのは偶然だったのさ。本当は多分、ここではないどこかに身を隠して、研究を進めるつもりだったんだと思う。ただ何となく、外を覗いてみたら、たまたまそこに立っているタイミングで、逃げられないと悟ったように店に入ってきたよ」


 逃げる途中にフーの様子だけを見に来ようとした。少し前までの自分なら、絶対に信じない話でも、ガゼルの本心を覗き見てしまった今なら理解できる。

 きっとガゼルは一人で全てを背負うつもりだったのだろう。


「そこで様子のおかしさに気づいて、全てを問い質した。迷いながらも、全部を話してくれたよ。それで、その最後の研究に協力しようと思った」

「それで匿ったんだ」

「結果的にそういうことになるね。ただ突き出すまで猶予を作っただけのつもりだったが、猶予にしては長くなったからね」


 自嘲気味に笑うフーの声を聞きながら、エルは聞くかどうか悩んでいた質問を頭の中に思い浮かべ、口から飛び出るかどうかを試すように口の中で遊ばせた。

 どこかの弾みで飛び出せば、そのまま聞いてしまえばいいが、そうでないのなら、このまま質問を飲み込んでしまおう。


 そう思っていたら、それが飛び出す前にフーが口にした。


「お前を巻き込まないように決めたのは私だよ」

「えっ?」

「国家魔術師としての立場があるだろう?どう思って、どちらに動くとしても、お前の迷惑になる。だから、黙っておこうと決めたんだ。それが悩ませたみたいだけどね」


 フーの申し訳なさそうな告白に、エルは言おうと思っていた言葉を飲み込み、次の言葉を口にしようとしたが、うまく言葉が作れなかった。

 本当は言いたいことが山ほどあったはずだが、どれも今となってはうまく形になってくれない。


「師匠を匿ったことで、フーも罰を受けるかもしれない。この店もついに潰れてしまうかもね」


 辛うじて、口に出せた言葉を残念そうに言ってみると、フーはゆっくりと店内を見回してから、納得したように頷いた。


「まあ、そうだろうね。でも、いいさ。一番、守りたかったものは守れたんだ。店はそれを守るためのものであって、守りたいもの自体ではない。だから、なくなったなら、また作り直せばいい。それだけさ」


 意外にもあっけらかんと告げるフーの言葉を聞いて、エルは小さく微笑みを浮かべる。


 怒りとは違って、不安の類がもやもやとした煙のように、エルの心の周りにまとわりついていたが、その煙がフーの言葉を聞く度に、少しずつ振り払われている気分になる。

 ゆっくりと煙の向こうに見えた清々しい気持ちをエルは思い出し、その気持ちに縋るようにフーを見やった。


「俺さ。フーが一緒で良かったよ」


 湧いてきた気持ちを素直に伝えると、フーは僅かに赤面し、エルの言葉を振り払うように片手を振った。


「何だい!照れ臭いよ!」

「ハハッ。素直だね」


 フーの正直な言葉を聞きながら、エルは吹き出すように笑いを漏らし、さっきまで店の中にあったもう一人の姿を思い出す。

 形は少し歪になってしまったが、大切なものは手元に残った。その事実を確認するように、エルはゆっくりと目を瞑って、消せない光景を指でなぞった。



   ☆   ★   ☆   ★



 ベル達が王城に戻る頃には、既にガゼルの一件が噂以上の広まりを見せているようだった。帰還するベル達を待つように、城門付近にはシドラスとイリスがいて、アスマの姿を発見すると、即座に近づいてきた。


 衛兵を呼んだ時点で、ライトはそちらと合流し、ガゼルを連行する方に協力していた。ベルとアスマは二人で行動することになって、二人だけで王城に戻ってきたのだが、そのことを怒られないかと心配するベル達に反して、シドラスとイリスは怒るよりも心配の方が勝っているようだった。


「殿下!?ベルさん!?大丈夫でしたか!?」


 シドラスが即座にそう声をかけてきたことに驚きながら、ベルとアスマは揃って首肯する。


「ああ、見ての通り、特に何もなく」

「無事に円満に解決したよ」

「そのようですね……」


 既に聞いていた話にベル達の様子が加わって、シドラスの中で真偽不明の話が真実に変わったのだろう。それはイリスも同じだったようで、二人は揃って安堵の溜め息をついていた。


「それで、帰ってきた直後で申し訳ないんだが、一つ話したいことがあるんだ。いいか?」


 二人が安堵したのを確認したのも束の間、ベルは持ち込んだ情報を整理するために、シドラスとイリスにそのように確認を取っていた。ベルが聞きながら王城の中を指差すと、言いたいことが分かったらしく、シドラスとイリスは軽く首肯する。


「では一度、移動しますか」

「なら、俺の部屋に行こう。それが一番だよ」


 このアスマの提案を聞くことにして、ベル達は城門付近から一度、アスマの部屋に移動することにした。


 四人以外には人のいないアスマの部屋に到着してから、ベルはガゼルとの対面で、ガゼルから得た最後の情報を思い出す。


「現代の竜について情報が欲しい」


 ベルがそう切り出すと、シドラスとイリスは分かりやすく驚きを表情に示していた。どの部分に驚きを覚えているのか分からないが、もしかしたら、ベルが竜の情報を求めているところに驚いているのかもしれない。


「ウルカヌス王国で少し聞いたことは覚えているんだが、もう少し詳細な情報が欲しいんだ」

「突然ですが、それはどうして?」

「ガゼルが唯一、残された可能性として教えてくれたんだ。もしかしたら、現代の竜なら、この身体を流れる竜の血に対抗できるかもしれないって」


 具体的にどういう手段を用いるかはガゼルも言っていなかった。それは恐らく、言わなかったのではなく、言えなかったのだろう。


 本当の意味で、そこには可能性しかない。実際に可能かどうかも分からない。

 それでも、可能性のない場所で藻掻くより、先に進めることは間違いないだろう。


 それなら、ベルはそこに向かうしかない。そう考えるベルの前で、シドラスは考えるような素振りを見せた。


「残念ですが、現代の竜について私が知っていることは以前、セリスさんも交えた会話にあったものが全てです。それ以上の詳しい情報は分かりません」

「ということは、ウルカヌス王国の中に竜のいる地があるということと、後は変わり者であることくらいか、分かっているのは」

「そうなりますね。やはり、変わり者の竜でも、人との接触は少ないようなので。ただサラディエにいることは間違いないはずなので、もしも接触を図るなら、ウルカヌス王国の協力を仰ぐことは先決でしょう」

「そこは……一介のメイドには厳しいハードルだな」


 困ったように頭を掻くベルに反して、シドラスやイリスはベルが冗談を言っているような視線を向けていた。その視線にベルが不思議そうにしていると、隣でアスマが平然と口にする。


「ソフィアに頼めばいいんじゃない?ベルの頼みなら聞いてくれるでしょう?」

「いや、何で、そうなるんだ?お前の頼みなら未だしも、私の頼みは聞かんだろう?」


 ベルとアスマの主張は食い違い、お互いにお互いの意見を不思議そうな顔で聞く様子に、イリスは何とか笑いを堪えているようだった。

 ベルとしては何がおかしいのか分からないが、二人の様子は滑稽に映るらしい。それだけは分かった。


「手段は別として、サラディエについて現状から調べられることは調べてもいいかもしれませんね。大規模な森林地帯とは聞いていますが、どのような場所なのか、ウルカヌス王国に入ってから、どれくらいの距離があるのか……」


 そう言いながら、シドラスはふと何かに気づいた顔をした。

 その表情にどうしたのかと思っていたら、シドラスはベル達に断りを入れてから、慌てて部屋を飛び出していく。


 それからしばらく待っていると、シドラスは一枚の大きな紙をアスマの部屋に持ち込み、ベル達の前に広げた。


 それはウルカヌス王国の地図だった。


「地図を広げて、どうしたんだ?」

「東の魔術師の噂があった場所を覚えていますか?この村です」


 そう言いながら、シドラスは地図の一点に指を置く。


「ここから、ずっと東に行くと……」


 ゆっくりと地図の上をなぞるように指を動かしてから、行きついた場所に書かれた文字を強調するように、シドラスは指を止める。


「この場所があります」


 そう告げた場所に書かれた文字は、、と読めた。


「え?これって、まさか……」

「もしかしたら、東の魔術師はかもしれません」

「本当に……?」


 ガゼルの持ち込んだ可能性から繋がった新たな可能性に、ベル達は唖然としたまま、覆しようのない事実の描かれた地図をじっと見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る