師匠と弟子(3)

 眩い光が辺り一帯に広がって、アスマ達はその中に飲み込まれた。魔力で動く魔術道具が並ぶ店内でのことだ。魔術を放ったのがエルということもあって、何が起きても不思議ではないと誰しもがイメージしていた。


 しかし、実際は何もなかった。光に包まれ、思わず目を瞑ったアスマが恐る恐る目を開けても、自身を庇うように倒れ込むライトやベルの姿を見つけるだけで、壊れた店の姿はどこにもない。


 それどころか、ほんの少し前までと変わらない店の姿がそこにはあって、その中ではエルが最後に見た時のまま、手を伸ばした姿で立っていた。


「あ……れ……?」


 きょとんとした様子のベルやライトも身を起こし、何も起きていないことを確認してから、全員の視線が魔術道具屋に向いた。

 その中にいるエルを問い詰めるように視線が飛んで、エルがこちらをくるりと見る。その表情はどこか申し訳なさそうに微笑んでいるものだ。


「殿下達、ごめんね。こんな風に巻き込む形になっちゃって」

「いや、巻き込むって、何か起きた?」

「何も起きてないよ。だって、今のはただだからね」


 一式魔術の中にある発光する魔術に別の術式を重ね合わせ、光の強さを更に増した魔術だというエルからの説明に、誰よりもライトが納得した顔をしていた。


 ただ光っただけなら、確かに周囲に何かが起きることはないのかもしれないが、今は状況が異なっている。エルの立っている場所はどのようなものでも魔術厳禁の場所だったはずだ。


「魔術道具は?魔力に反応するって!」


 アスマがそう言いながら店内を覗き込もうとしても、今度はエルが忠告することはなく、ただ微笑んでいるだけだった。


「この店に入ってから、少し時間があったから、先に仕込んでおいたんだよ、を」

「術式?」

「殿下達はって知ってる?」


 防魔布。魔力を通さない特殊な布で、それを使用した服を着用することで、周囲に与える魔力の影響を軽減したり、反対に周囲から受ける魔力の影響を軽減したりできるものだ。


 ウルカヌス王国では虚繭であるハムレットに逢うために、その服の着用が義務づけられていたから、アスマやベルも存在は知っていた。


「それと同じようなことで、魔力を通さないように術式を仕込んでおいたんだよ、店の中に。まあ、実際は防魔布と違って、魔力を防いでいるわけじゃなくて、魔力を優先的に吸収して、他に影響が出ないようにしているんだけどね」


 現状を説明するエルの言葉はアスマにも理解のできるものだった。何が起きたのかという部分も、何故起きなかったのかという部分も、一通りは納得できた。


 しかし、何故、エルがその行動を取ったのかという疑問は一通りの説明が終わっても、アスマの中に疑問として残っていた。


 説明が終わっても不思議そうな顔をするアスマの姿に、エルもそのことは察したのだろう。ここからが本題であると言わんばかりに指を立て、エルは声色を変えた。


「さて、それで俺がどうして、それだけ回りくどい仕込みをしてまで、今みたいなことをしたのかと言うと」


 エルの視線がアスマから店内に戻って、店の奥へと目を向ける。その動きに釣られるように、アスマ達の視線も必然的に店の奥に移動する。


「やっぱり、言葉よりも行動の方が素直だと俺は思うんだよ」


 そう言いながら、エルが指差した場所にはガゼルが立っていた。


 身体を反転し、何かを庇うような体勢で立ったガゼルの下では、何かが僅かに動いて、ガゼルを押し返すように力を加えている。

 良く見るまでもなく、それがであることはアスマ達の位置からも見て取れた。


「やっぱり、フーを庇ったね。口では何を言っていても、結局、あんたはどうしようもなく、変わらない師匠のままだ」


 呆れたようにそう告げながら、エルは一度、ベルの方に目を向けた。その視線に気づいたベルがやや強張った表情のまま、小さく頷いている。


「あんたの気持ちは今、俺の作った魔術なんかなくても、誰にでも分かるくらいに明白になった。もう嘘をつく必要も、意味もない。その状態のあんたに改めて聞くよ」


 エルが真剣な目でまっすぐにガゼルを見つめ、真剣な声でガゼルに問いかける。


「どうして、ベル婆の前から逃げたの?どうして、俺の前から逃げたの?」


 エルの質問を耳にして、ガゼルはゆっくりと息を吐き出しながら、フーから離れていた。その表情はどこか重々しく、視線は俯くように下を向いている。


「国家魔術師になるため。そう理由をつけて、俺は過去にいろいろなことをやってきた。実験、と表現することも憚れることだ。その一つが竜の血を用いたものだった」


 ガゼルの独白が始まったことで、アスマの隣にいるベルが息を呑む音が聞こえた。


「それら行いを若い頃は何も思っていなかったが、ある時を境に、少しずつ後悔するようになっていた。過去の罪を顧みて、眠れなくなるほどに思い悩む時もあった。悩んだところで、償う方法のないことだとは分かっていた。だからこそ、俺は苦しみ続け、それを受け入れるしかないと思っていた」


 ガゼルの言葉にベルは何を思ったのか、力強く拳を握り締めていることが見ているだけで分かった。力の入った腕がプルプルと震え、ベルは一切動かすことなく、ガゼルをまっすぐに見つめている。


「そんな中、過去に残した罪の一つが目の前に現れた。俺はそれがついに下された罰だと思った」

「だから、逃げた?」


 ガゼルを責め立てるような声色でエルがそう聞くと、ガゼルは小さくかぶりを振った。


「いや、向き合おうと思った。そのために何をすればいいかと考え、一つだけ俺がやらなければいけないことを思いついた。何をしても許されないことくらいは分かっていたが、それでも、これだけはやっておかなければ、死ぬことすら後悔すると思った」

「それは一体?」


 エルが問いかけると、ガゼルはまっすぐにベルを見つめて、真剣な口調で告げた。


「人体に影響を与える竜の血をの確立だ」


 ガゼルが姿を消してまでやろうとしたこと、やっていたことを聞き、アスマもベルもエルも驚きを隠せなかった。


「俺の犯した過ちだ。せめて、始末をつけるとしたら、俺の手でなければならないと思った。そのために少しでも時間が欲しかった」


 そう言いながら、ゆっくりと上げられたガゼルの目は、アスマの知っているガゼルの目よりも明らかに弱々しく、どこか震えているように見えた。


「だが、結果は出なかった。手段を確立するどころか、その種すら見つからないまま、タイムリミットを迎えてしまった。情けない。本当に情けない」


 ガゼルが僅かに歩み出し、アスマ達のいる場所から全身が見える位置に移動してから、その場に崩れるように座り込んで、額を床に押しつけた。


「本当に申し訳なかった……!謝って済むことではないとは分かっている……!だが、俺には謝る以外のことが何一つできなかった……!」


 ガゼルが額を地につけながら口にした謝罪の言葉を耳にし、ベルは何かを堰き止めるように唇を噛み締めていた。ともすれば、血が出そうなほどに噛み締めてから、ベルは逃げるように後ろを向く。


「一つ聞いてもいいか?」

「何なりと」

「お前の気持ちはどうして変わった?何があって、後悔するようになったんだ?」


 ベルの問いを受けて、ガゼルはゆっくりと顔を上げた。少し戸惑ったような表情を見せてから、エルとフーを僅かに見やって、ガゼルは零すように呟く。


「子供を育てることになった。魔術師としての弟子であり、本当の子供のようでもある二人の子供だ。将来の希望に満ちた子供と過ごす中で、俺はようやく自分がその希望を潰してきたことも、その希望と向き合う資格がないことにも気づいた。後悔はその時から続いている」


 人の道理から外れたガゼルを引き戻し、自身の罪と向き合う時間を作ったのは他でもない、エルとフーの二人だった。


 その事実にエルは目を丸くし、どこか子供のような顔でガゼルを見ていた。その表情は涙こそ流していないが、今にも泣きそうになっているようにも見える。


「ここから俺は何でも罰を受けるつもりだ。もう逃げることはない。貴女の望む形で好きなようにしてくれて構わない」


 ガゼルがベルの背中にそう声をかけた。その言葉を聞いたベルが僅かに拳を握り締めてから、必死に平静さを保つような声で、質問を口にする。


「エル。お前はどうする?」

「え?俺?」


 エルはまさか自分に聞かれると思っていなかったのだろう。怪訝な顔で自分の顔を指差してから、一度、床に座り込むガゼルを見下ろし、再びベルに目を向ける。


「俺は……何てことはない。家族なら良くある隠しごとの話さ。受け入れるか、受け入れられないかの違いはあっても、そこに罰を下す権利はない。それがあるのは、当事者であるベル婆だけだよ」

「そうか……」


 エルがベルにそう告げると、ベルは納得したように小さく声を漏らした。


「なら、後は衛兵に突き出して終わりだな。私は元の身体に戻るために、この王都に来たんだ。復讐のためでも、罰を下すためでもない。そんなことに意味はない」


 ベルの答えを耳にして、ガゼルはどこか安堵したようにも、残念に思っているようにも見える表情で、僅かに微笑んでいた。


 きっと本気で殺されてもいいと思っていたのだろうが、生き延びたことに喜ぶ気持ちもあるのだろう。それが自分のための気持ちではないことも、アスマには想像できる。


「じゃあ、王城に報告しようか。ライトくん、よろしくね」


 エルから話を振られ、ライトが面倒そうな顔で自分かと呟く中、ふとガゼルが何かを思い出したように声を出した。


「そうだ。最後に一つ」


 そう言いながら、ガゼルの視線はベルに向けられる。


「竜の血に対抗できる存在として、俺は魔王の名前を挙げたが、ことを思い出した」


 その言葉にベルが振り返って、店内のガゼルに目を向ける。アスマも自然とガゼルの次の言葉を待つように、ガゼルを見ている。

 その二つの視線に晒されながら、ガゼルがその名前を口にした。


「それがだ」

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