師匠と弟子(2)

 オーランドの手帳の中にあったガゼルらしき人物が目撃された場所を目にし、ライトが思い出した記憶を頼りに、ベル達は王都の街中を急いで走っていた。


 目的地は以前、ライトがエルの案内で行ったことがあるという一軒の魔術道具屋だ。どうやら、エルの通っている店のようなのだが、その店の店主はエルと一緒にガゼルの元で育った弟子であるらしい。


 その情報を聞けば、ベルとアスマでも存在する可能性やエルの向かった先に見当がつくというものだ。

 ガゼルの潜伏先はその魔術道具屋である可能性が高く、それに何らかの理由で気づいたエルはその場所に向かったと思われた。


「思えば、ヒントはあったんだよ。前に行った時、人を雇ったみたいな話をしてたんだ」

「その人がガゼルだったのか?」

「そうかもしれない。俺は何も気づかなかったけど、エル様は現代最高の魔術師と呼ばれるくらいの人だから、その時に見た魔術道具から、実はガゼル様がそこに隠れていることを気づいていたのかもしれない」

「そういうこともあるのか?」

「十分にあると思うよ。俺だって、剣の様子で誰が握っていた剣なのか、大雑把にだけど分かるくらいだから。国家魔術師ほどの専門家なら、そこから何を読み取っても不思議じゃないと思う」


 そうして疑念が存在したことを確認するためにエルは王城を飛び出した。

 それくらいの感覚ならいいのだが、相手はガゼルだ。ベルに行ったことを考えれば、そこにエルがどれだけの嫌悪感を懐いているのか、正確に想像できないほどだ。


「悪いことになってないといいが……」


 そう呟いたベルの隣で、アスマがどこか考え込んだ様子で呟いた。


「多分、なってないんじゃないかな……?」

「え?急にどうした?」

「いや、エルがガゼルに逢いに行ったって聞いて、俺も最初は凄く焦ったんだけど、身体を動かしながら冷静に考えてみたら、普段のエルっぽくないんだよ」

「ん?どういう意味だ?」


 アスマが何を言いたいのか分からず、ベルだけでなく、ライトも不思議そうに首を傾げている。


「仮にエルがガゼルを恨んでいて、もう許さないってなっていたとして、普段のエルなら、絶対にガゼルに罰を与える方法を考えると思うんだ。自分で向かうよりも皆に伝えて、皆で向かった方がガゼルも逃げられないと思うし、エルならそうしそうなんだよ」

「まあ、確かに。一人で向かっても、エルの弱点ははっきりとしているからな。何かをできるとは考えづらいな」

「でしょ?エルって血を見たら倒れちゃうから、普段から人を頼るところがあるし、自分だけで行動することって、ほとんどないと思うんだよ。それなのに、今回は一人で向かったのが少し気になって」


 エルが他人を攻撃できるのかという根本的な疑問は一度放置し、仮に攻撃手段を持っているとしても、ガゼルはエルを無力化する手段を知っている。

 何なら、エルがガゼルを攻撃したことで無力化される危険性がある以上、エルはガゼルを下手に攻撃できない状態にある。


 確かに冷静に考えてみたら、エルがガゼルに何かをする可能性はかなり低い。


「捕まえる……としたら、一人で行く必要はないか。他人の手を煩わせたくないと考えた、という可能性もあるにはあるが……」

「エル様がそういうことを考えるタイプには思えないね。捕まえると決めた以上、確実に捕まえるために何人かの騎士は引き連れていきそう」


 ライトの考えにベルは賛同するように首肯する。

 一度取り逃がしてしまったからこそ、確実な手段を取りたいと考えるのがエルだ。無謀にも一人で立ち向かうとはなかなかに考えづらい。


「それなら、ガゼルのところにいないのか?」

「もしくは一人で行かないといけないと思ったとか」

「一人で行かないといけない?それはどうして?」


 アスマの思いつきの言葉にベルが聞き返すと、アスマは大きく首を傾げたまま、「分からない」と口にした。


「俺の頭じゃ分からないよ!」

「まあ、正直なところ、こういう問題は当人にしか分からない気持ちがあるからな」


 自分達がエルの気持ちを想像しても、エルの過去を全て見てきたわけではないから、具体的に掴めるはずもない。

 それはベルの過去がそうであるように、アスマの過去がそうであるように、ライトの過去がそうであるように、誰しもに当てはまることだ。


「あっ、あそこだ」


 ライトが前方に見えた建物を指差し、そう声に出した。


 見れば、確かに目的地である魔術道具屋に到着したらしい。それは掲げられた看板を見るだけでベルにも分かることだった。


「店の名前だったのか……」

「俺も前来た時に同じことを思ったよ」


 ここにガゼルがいるかもしれない。店の前に到着したことで、不意にその実感が湧き、ベルの中に緊張感が募る中、ライトが代表して扉を開けようとして、その直前で停止する。


「あっ、そうだ。先に言っておくけど、牛蛙の鳴き声がしても驚かないでね」

「ちょっと待て。どういうことだ?」

「この店のドアベルが牛蛙の鳴き声なんだよ」

「いや、センス」


 ベルが思わず呟いた言葉にライトは少し目を見開いてから笑い、店の扉に手をかけた。


「じゃあ、開けるよ」


 そう言ったライトがゆっくりと扉を開くと、確かに牛蛙の低い声が響き渡っている。


 これは知らないと驚いていただろうと思いながら、ベルが店内に足を踏み入れようとした直前、店内に立つ人影に気づいて、ベル達の動きは止まった。

 一瞬、空気が凍ったように静かな時間が流れ、全員が全員の顔を理解するようにその場で視線を交わらせる。


 そこにはベル達の探していたエルの姿があって、その前には予想していた通り、ガゼルが立っていた。



   ☆   ★   ☆   ★



 開かれた扉の向こうにアスマやベルの姿を発見し、一瞬、エルは驚いた。想定よりも早いと思ったが、扉を開いたのがライトであることに気づいて、即座にエルは納得した。


 アスマとベルの話を聞いてしまった後、エルはライトとすれ違ったが、その時にいつもの対応をできた記憶がない。その違和感から察知され、ガゼルを目撃したという場所から、この魔術道具屋を思い出したと考えれば、その速度にも納得がいった。


 飄々としたところはあるが、ライトも騎士の一人だ。それくらいのことはできて当然だろう。アスマやベルが解答を持っているのだから、割り出せないと困るとも言える。


「エル!?」


 アスマがエルの名前を呼び、店内に踏み込もうとしたが、その姿を目にしたエルは即座に手を伸ばし、大きな声を上げた。


「殿下、ストップ!」

「えっ!?何!?」


 急なエルの声に驚くアスマやベルを前にし、エルは店内を手で示す。


「ここは魔術道具屋だよ。殿下ほどの魔力があったら、置かれた魔術道具がいかに誤作動を起こすか分かったものじゃない。殿下はそこまで。店の中には入らない方がいい」


 エルの警告を聞き入れてくれるようで、店内に足を踏み入れかけていたアスマは寸前で足を止め、大人しく店の前に立っていた。


 ついでにベルとライトも何らかの理由で止めようかとエルは思ったが、ベルの方はエルが考えるまでもなく、両足が動かない様子だった。

 エルの背後にいるガゼルをじっと見つめて、動揺したように目を動かしている姿はいろいろな感情に襲われ、気持ちの整理がついていないことを物語っている。


 今のベルに身体を動かす余裕はない。その二人をライトが放置し、店内に入ってくるとも思えないので、三人はそこで止まるだろう。

 そう思い、エルはガゼルの方を向いた。


 その背中にアスマの声が届いた。


「ねえ、エル。エルは何をしに、ここに来たの?」

「どうしたの、殿下?急に何の質問?」

「ガゼルに何かをしに来たわけじゃないよね?エルがそういうことを考えるとは思えないし、何か大事な用事があったんじゃないかと思って」


 そう聞いてくるアスマにエルは苦笑を返し、困ったように頭を掻く。


「申し訳ないけど、殿下。俺は殿下が思っているほどに完成された人間じゃないんだよ。人間としても、魔術師としても、俺はまだまだ未完成なんだ」


 そう言いながら、エルはアスマからガゼルに目を移した。アスマ達が来る前に本当は済ませようと思っていたが、もう到着してしまったのなら仕方がない。

 アスマがいる以上、即座に行動に移らなければならないと考え、エルは手を伸ばした。


「だから、俺はちゃんと未熟な自分に決着をつける必要があるんだよ」

「エル……?何を……?」


 そう呟いたアスマの声を聞きながら、エルは伸ばした手の先にを作り上げた。重ねられた術式を目にし、全員がきっと同じことを思い出したに違いない。


 を思い出し、次に起こることを悟ったに違いない。


「あんた!?何してんだい!?」


 フーの叫び声が耳に届く。


「殿下!ベル婆!危ない!」


 ライトが必死に動く音が聞こえてくる。


「ライト、待って!エルが……!?」


 この状況でもエルを心配するアスマの声が耳に届く。


 それらの声や物音を耳にしながら、エルは予定になかったアスマ達に向かって、一言だけ口にした。


「ごめんね」


 次の瞬間、エルの手の先から眩い光が放たれ、辺り一面が真っ白に染まっていった。

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