次に進む覚悟(3)
記事の成果を確認する時まで、目的が何も定まっていないとなると、目的地のようなものも何も決まらない。目的地が決まらないのに、ぶらぶらと王都の街中を歩き回る立場でもない。
そうなれば、自然とアスマの居場所は王城に固定され、王城を歩き回るのであれば、イリスの護衛は重要ではなくなる。
もちろん、王城だから安全という話ではないが、イリスの最近の出来事を考えたら、ずっとアスマに付きっきりなのもどうなのかとアスマ自身で考えるところがあった。
それが仕事であることは分かるが、王都に帰ってきたと思ったら、大きな事件に巻き込まれ、その中で動けなくなる事態も味わって、そこから回復したと思ったら、アスマの護衛だ。
その流れを思い浮かべたら、何でもない日くらいは自由にさせたい。それも気の滅入っていたアスマと違って、今のアスマなら心配になるほどに考える必要もないだろう。
それらの考えがアスマの頭の中に積み重なって、アスマは質問を投げかけた。
「イリスは何かしたいこととかないの?」
「え?私ですか?」
「俺とか関係なく、何かあるなら、してきてもいいよ。俺は今日、王城から出ないと思うから、ずっと付きっ切りじゃなくても大丈夫だよ」
「そうは言われましても……」
アスマを心配に思う気持ちが強いのか、急にしたいことを聞かれても、したいことが思いつかないのか、アスマに言うことを躊躇っているのか、イリスは深く考え込み、うんうんと唸り始めた。
「何もないなら、無理に出さなくても大丈夫だよ?」
イリスのあまりの悩み方に不安を懐いたアスマが心配そうに告げると、イリスはゆっくりと迷ったように顔を上げてから、アスマの顔を見てきた。
「実は一つだけ気になる場所がありまして。もしも殿下がよろしいのであれば、そこに行ってもいいでしょうか?」
「ああ、うん。大丈夫だよ」
「申し訳ありませんが、殿下は立ち入れない場所だと思いますんで、一人で行くことになるんですけど、本当に大丈夫ですか?」
イリスが再度、不安そうに確認してくるので、アスマは首肯する。
イリスの自由行動にまでアスマが干渉するつもりはない。
「殿下がそう仰られるなら、お言葉に甘えさせていただきます」
イリスはアスマに礼を告げると、早速、イリスが行きたいと思っていたらしい場所に向かって歩き出していた。
その背中を見送ってから、アスマは一人になったことを実感し、大きく背伸びをする。
いつもなら、ここでアスマは喜び疲れ、遊ぶことも忘れて寝る羽目になるかもしれない。
だが、今のアスマにはこの一人の時間を楽しめるだけの気持ちの余裕がなかった。ゆっくりと背伸びをしたことで移動した空気を吐き出すように、アスマは深い溜め息をつく。
アスマの心には未だ消えない不安があった。東の魔術師の噂について、打ってある手が結果を出さなければ、次にどのような手段で調べられるだろうか。
その考えから生まれるどうしようもない不安は、どうしようもないから消えていない。誰に何を言われても、どれだけ自分を騙そうとしても、不安は確かに存在している。
本当は今も何かをするべきではないのか。手段の一つも思い浮かばないが、調べる手段くらいは見つけるべきではないのか。
そうしないとアスマはいつまでも前に進めないのではないのか。そういう行き過ぎた不安が行き過ぎていると分かっていても湧いてくる。
「俺は……何をしよう……?」
自分自身に問いかけるように呟いて、アスマが廊下の真ん中で頭を悩ませかけた。
そこで不意にアスマを呼ぶ声が聞こえた。
「殿下」
その声に反応し、アスマが振り向いた先で、特徴的な車輪の回る音が聞こえてくる。
「殿下。ご無沙汰しております」
そう告げ、僅かに頭を下げていると分かる動きを見せる姿を目にし、アスマは自然とその目を大きく見開いた。
「マゼラン!?」
車輪のついた椅子に座り、その後ろからヴィンセントに押してもらっているマゼランが優しく微笑んだ。
☆ ★ ☆ ★
大事な用事がある。それだけを告げて、仕事をキャロル達に預け、ベルは一人で王城の中を歩き出した。必要なものを自室に取りに戻ってから、早速、ベルは王城の中にいるはずのアスマを探し始める。
アスマの行き先を聞いていない。予定は未定ということらしい。
だが、そういう時のアスマは大概、王城の中にいる。予定もないのに、わざわざ王城の外に出ないというよりも、王城の外に出たくない時の方が多いように見える。
王城の外にも魅力はたくさんあるかもしれないが、アスマは王城の中にいる人達の生活も含めて、大きな魅力に感じているはずだ。
誰かといることが好きでも、誰もいない場所に好んで長くいることはない。
特に今のアスマは絶対にそうだ。
その確信から、ベルは王城の中を歩き回って、アスマの姿を探すことにした。どこかは分からないながらも、どこかにいることは確実だと思っているのだから、それ以外を探す必要はない。
況してや王都の街中を走り回るなど、アスマを探す上での行動として、愚の骨頂と言えるだろう。
ベルは通り過ぎる知り合いに声をかけ、アスマの気持ちを聞きながら、アスマの居場所を特定しようと考え、自室から持ち出した物を抱えたまま、廊下を歩き出した。
まずは誰に逢うだろうか、とベルが思いながら、早速、アスマに遭遇したら面白いと考えていると、前方から歩いてくる人影を発見する。
誰だと思いながら目を凝らせば、それはシドラスのように見えた。
シドラスなら、ちょうど良い。アスマの居場所を知っているかもしれない人物として、かなり確率の高い人物と出逢えた。
そう考えながら、ベルが声をかけようとした直前、歩いてきたシドラスの視線がベルに移動し、そこで何かに驚くように目を見開いた。
「ベ、ベルさん……?」
「シドラス。ちょうどいいところであった」
ベルは早速、アスマの居場所を聞き出そうとするが、シドラスの視線はベルの顔に向いていなかった。
それよりも下、ベルの腕の中に目は向けられ、ベルの視線も自然と下がってしまう。
「それ……どうしたんですか……?」
不意にシドラスがベルの腕の中に指を向けた。それを見たベルが納得したように、抱えていた物を持ち上げて、シドラスの前に掲げる。
「ああ、これか」
そうして見せた物はオーランドの遺した手帳だった。
「手帳を持ち歩くなんて、どうしたんですか?」
「実は私、決めたんだ」
驚きに満ち満ちたシドラスの質問に、ベルは手帳を大事そうに抱えながら、自身の決意を言葉にしていく。
「アスマにこの手帳のことを話そうと思う」
その発言にシドラスの表情は驚きに包まれ、唖然としていた。
「き、急に……どうされたのですか……?」
「お前が話してくれたアスマの話があっただろう?それを聞いて思ったんだ。私もアスマの気持ちに応える必要があるんじゃないかって。ここで立ち止まっていてはいけないのではないのかって」
ベルの覚悟の定まった言葉を聞いて、シドラスが戸惑いの目を向けてくる。
「それで話すことに?」
「ああ、私も前に進む意思をアスマに見せたいと思う」
そう告げるベルの姿が映ったシドラスの瞳には、動揺が原因の僅かな揺れが見え隠れしていた。
「別にお前が悩む必要はない。これは私の決断だ。きっかけはお前のしてくれた話かもしれないが、私はいつか下さなければならないと思っていた決断をただ下しただけだ」
寧ろ、シドラスの話が歩き出すきっかけとなった。そのことの方が大きいとベルが告げると、シドラスは迷いを瞳に見せながらも、納得したように頷いてくれた。
「そうですね。ベルさんの決断を自分の手柄のように考えるのは卑怯ですね。頑張ってください」
シドラスの応援の言葉にベルは首肯してから、ずっとシドラスに言おうとしていた言葉をようやく口にする。
「それでアスマは見なかったか?」
その問いにきょとんとしてから、シドラスは笑みを浮かべ、小さくかぶりを振った。
「そうか。見てないか」
「ええ、残念ながら。でも、ベルさんなら大丈夫ですよ。すぐに見つかります」
シドラスの根拠のない励ましを聞いて、ベルは否定するようにかぶりを振ることも、疑いの目を向けることもなく、受け入れるように頷いていた。
何となく、シドラスの言ったことは根拠がなくても、間違いではない気がしていた。
「じゃあな。頑張ってくる」
改めてそう宣言し、ベルはシドラスと別れて歩き出す。その背中をさっきのシドラスの言葉が押してくれているような気がした。
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