次に進む覚悟(2)

 早朝に唯一、残された用事を済ませて、アスマとイリスは一時的な自由を手に入れた。

 次の予定は新聞記事がどれだけの成果を出したのか確認しに行くことだが、当然のように早朝から確認しに行くわけがない。記事はさっき出たばかりだ。


 そうなれば、記事を確認しに行く時間まで、何も予定がないことが決定し、アスマとイリスはメイド達の控え室を後にし、遭遇したエルと別れた後、自然と顔を見合わせていた。


「この後はどうする?いろいろと調べるつもりだったから、シドラスにもラング達にも言ってなくて、時間が完全に空いちゃった」


 手に入れた自由を持て余すように、アスマが退屈そうに口にした。


 ほんの少し前まで、アスマは望まぬ自由を与えられたばかりだ。そこから、ようやく動き出せるだけの気持ちを得たのに、そこでまたすぐに何もすることがないとなると、気持ちの置き場が分からないのだろう。


 そう思いつつ、イリスはアスマの発言で一つ、疑問に思っている部分があった。


「あれ?ラング様のところでお勉強されるのでは?」


 先程エルと遭遇した時のやり取りを思い出し、イリスはそう聞いてみるが、アスマは退屈そうに頭の後ろに手を置いたまま、じっと天井を見るばかりでイリスを見る気配がなかった。


「何しようかな……」


 どこか声音の違う声で、そのように態とらしく呟く。


 それだけ見れば、どれだけの馬鹿でも気づくというものだ。察したイリスはさっきのエルとのやり取りを改めて思い出し、思った。


(ああ、これが嘘なのか……)


 今のアスマの反応はほとんどの人が気づくほどに分かりやすく、エルの言っていた素直という感想についても、イリスは今頃、理解が追いついてくる。


 確かにアスマは素直以外の何者でもない。これまでを考えてもそうだが、それは今後も変わりそうにない。

 故に信頼できるとイリスが思っていると、アスマが話題を転換するように口を開いた。


「まだ何か調べられることってあるかな?いろいろとようやく分かって、今から俺達にできることってあるかな?」


 東の魔術師に関する噂の調査はいろいろと歩き回った結果、情報が疑わしいことや不明な部分が多いことが浮き彫りとなって、現状は停滞している。


 調べようにも手がかりとなりそうな部分の多くは調べ尽くし、今は王都に情報が転がっていないかと待っている状況だ。

 ここから、それ以外の情報が見つかる場所や手段を考えるとなると、現実的ではないように思えてくる。


「流石に私達だけで調べるのは無理なのでは?」


 ここまでに調べたこともそうだが、残された漠然とした手がかりを追うには、専門的な知識の持ち主が数え切れないほどの人数必要になってくる可能性がある。

 それを用意できるかどうかは別として、少なくとも、アスマとイリスの二人で調べることは困難だ。


「やっぱり、そうだよね」


 そうぽつりと呟いてから、アスマは不意に視線を下げて、それまでとは対照的に床を眺め始めた。その背中は軽く曲がり、まとった雰囲気は暗く見える。


「どうかしました?」


 イリスがそのように口にすると、アスマは俯いた体勢のまま、ゆっくりと唇を動かし始めた。


「もしも……もしもだよ……?あの新聞記事でも、何も話が出なかったら……これはもう……何も分からなかったってことになるのかな……?」


 新聞記事から生み出した次の可能性をアスマとイリスは待っている状態だ。そこが空振りに終わると、自然と打てる手はなくなり、アスマ達が調べる手段は完全になくなってしまう。


 その時に何も分かっていないのなら、結論は何も分からなかったということになるだろう。

 そう思ったイリスが首肯すると、アスマがその姿を見ることなく、気配か影で分かったのか、俯いたまま言葉を零した。


「そうしたら、どうしよう……?」

「どうしようとは?」


 イリスが怪訝げに眉を顰めると、アスマはその体勢のまま、ぽつりと零すように気持ちを吐露し始めた。


「せっかく、少しでも、ベルの身体を元に戻せる手段が見つかるかもしれないって思ったのに。それで何も分からなかったなんて、ベルが可哀相だよ……」


 そう呟くアスマの姿を見て、イリスは僅かに微笑む。イリスが王都を離れている間も変わっていない。アスマは常にこういう人だ。


「大丈夫ですよ。ベルさんは強い人ですから。それに分からなくても、元に戻るだけですから」

「でも、俺はちゃんと次があるなら、その次にベルを連れていきたかったんだよ」


 顔を上げたアスマが真剣にそう訴え、イリスは気持ちを受け入れるように首肯した。


「大丈夫です。これまでと違って、どこかに可能性があると分かっただけで、きっとベルさんの気持ちは救われていますよ」

「そう、かな……?」

「ええ、きっと……」


 確証はないが、確信している部分がイリスの中にはあった。


 暗闇の中に明かりの存在を知れたのだから、それだけで前に進む気力にはなる。そこにアスマもいるのなら、それは尚更のことだ。


「きっとベルさんからしたら、殿下がそうして悩んでいる方が辛いことだと思いますよ」


 ベルの気持ちを代弁するようにイリスがそう告げると、アスマは僅かに顔を上げて、ぎこちない笑みを浮かべる。


「そう、だよね……うん、悩んでも仕方ないね。あの記事で何か分かることを祈ろう」


 そう告げるアスマの表情をじっと見つめて、イリスはやはり素直な人だと改めて実感した。



   ☆   ★   ☆   ★



 仕事を開始してしばらく、ベルは覚悟を決めたように大きく息を吸い込み、近くにいたキャロルを見やった。


「なあ、キャロル。一つ頼みたいことがあるんだ」

「私に?何?」


 不思議そうに首を傾げるキャロルを前にして、ベルは飲み込んだ緊張が上ってきそうになるのを止めながら、ここで踏み出さないといけないとお願いを口にした。


「後で少し、仕事を変わって欲しいんだ。大事な用があって、そっちに行きたい」

「いいけど、大事な用って?」


 キャロルは何気なくそう聞いてきたが、ベルはその言葉に唇を固く閉ざし、小さく頷いた。その様子から察してくれたらしく、キャロルは納得したように頷きながら、「オッケー」と口にしている。


「分かった。何か知らないけど、頑張ってね」

「ああ、すまない」


 ベルがキャロルに謝罪しながら頭を下げる中、その様子を少し離れた位置から目にしたのか、ネガとポジが揃って近づいてくる。


「どうしたの?お叱り?」

「どうしたの?お怒り?」


 二人がベルとキャロルの周囲を回るように移動し、何があったのかと二人に言葉と視線で問い詰めてくる。


「別に怒ってるわけじゃないし、叱ってるわけでもないよ。第一、私がベルさんに叱るとかないでしょう?あんたらじゃないし」

「ええ?何で、こっちに?」

「ええ?何で、そっちは?」


 二人が揃って違う方向に首を傾げる姿を見て、キャロルが苛立ちを表情に見せながら、無視するようにそっぽを向いた。


 そのいつもと変わらない様子を前にして、ベルは定めた覚悟を確認するように、ふと思ったことを三人に言っていた。


「なあ、この先、もしも、私に変化があったら、三人はその時もいつものように接してくれるか?」


 その問いに三人の不思議そうな視線がベルに向いて、ベルは自分が口にしたことをゆっくりと実感する。


 何を恥ずかしいことを言っていると思っても、既に出した言葉は取り消せない。言ってしまったことは仕方ないと返答を待っていると、キャロルが疑問に思った部分を聞いてくる。


「変化って?例えば?」

「それは……大きくなるとか?」

「ベルさんって小人だよね?大きくなるの?」

「いや、何かの薬の副作用で十メートルくらいになるかもしれない」

「夢見過ぎじゃない?」


 キャロルからの冷たい言葉がベルの胸に刺さり、ベルは今の言葉こそ取り消したい気持ちに襲われる。


「もっと現実的にイメージしやすい奴でお願い」

「じゃあ……言葉が喋れなくなるとか、目が見えなくなるとか、歩けなくなるとか、皆のことを忘れてしまうとか、そういう場合、どうだ?」


 ベルが挙げたいくつかの例を聞いて、三人は確認するように呟きながら、顔を見合わせる。


「喋れなくなる……」

「目が見えなくなる……」

「歩けなくなる……」

「私達のことを忘れる……?」


 キャロルが最後の一つを呟いた直後、三人の顔が一斉にベルを向いて、驚きに満ち満ちた目を向けてきた。


「何!?どうしたの!?脳の病気!?」

「忘れるの!?」

「覚えてないの!?」


 慌てたように聞いてくる三人を前にして、ベルは困惑し切った顔を向ける。


「いや、全然そういうことはなく、ただの例え話だった。流石に忘れるようなことが起きるなら、こういう場で言わない」

「あ、ああ、そうだよね……」


 ベルの否定に三人がほっとしたように顔を見合わせる様子を見て、ベルの胸の中はじんわりと温かくなる。それだけで十分な回答を得られたようだ。


「ありがとう」


 ベルがそう口にすると、三人の困惑した目がベルに向けられる。


「え?私達、まだ答えてないけど?」

「いや、大丈夫。十分、伝わった」


 ベルの中で定めた覚悟を僅かに揺らしていた何かがゆっくりと消えていた。

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