次に進む覚悟(1)
王城の前には一頭の馬が用意され、ガイウスはその馬に自身の荷物を預けていた。
「あまり歓迎できなくて申し訳ない」
そのガイウスの作業を隣で見ながら、セリスがそのように口にする。
ガイウスはその言葉に手を止めて、小さくかぶりを振ってから、セリスとその隣に立つシドラスを順番に見つめてきた。
「急な来訪でしたが、まさか、ここまで自由にさせていただけるとは思っていませんでした」
「虚繭については引き続き、こちらでも調べておきます。何か分かれば、すぐに文を送りますので」
シドラスがそう伝えると、ガイウスは礼を言いながら、頭を下げてきた。
結局、ガイウスがこの国で求めた情報は見つからなかった。場合によっては存在しないと言えるのかもしれない。
だが、存在しないと断定することは難しい。どこかにあるかもしれないという可能性が転がっている以上、ガイウスは探し続けるつもりだろう。
それがハムレットのためになるのなら尚更だ。
その気持ちは同じく王子に仕える身として、シドラスにも良く分かった。
「貴国の今後のご活躍に期待しています」
馬に跨るガイウスにセリスがそのように告げると、ガイウスは僅かに戸惑いながら苦笑を返してくる。
「この国のようになれるかは分かりませんが、私も精一杯尽力するつもりです」
貴族の国と呼ばれるほどに、貴族が体制に組み込まれた国で、その根本を覆すのは並大抵のことではない。
ソフィアがどれだけ努力をしても、セリスがどれだけ期待をしても、二人の命が尽きる前にウルカヌス王国が変わるとは約束できない。
その厳しさをセリスも分かっているが、分かっているからこそ、投げかけた言葉だった。
「頑張ってください」
そう告げると今度はガイウスにも伝わったのか、表情から苦々しい部分を消し、決意に満ち満ちた微笑みを浮かべている。
「それではここで私は宰相閣下に例の件のご一考をお願いします、とお伝えください。それから、アスマ殿下にも……と思いましたが、それは昨日の挨拶で十分かもしれません」
そう言ってから、ガイウスは何かを確認するように一度、王城に目を向けた。
「アスマ殿下は今日も変わらないご様子ですか?」
その問いに今度はシドラスがさっきのガイウスのような笑みを浮かべる。
「ええ、残念なことに」
その返答にガイウスは純粋な笑みを浮かべ返していた。
☆ ★ ☆ ★
ベルがネガやポジ達、他のメイドと控え室で合流し、いつものように仕事を始めようとしていた。掃除道具を手に取って、順番に控え室から出ようとした瞬間、その前に立ち塞がるように誰かが滑り込んでくる。
そうかと思えば、それはアスマだった。
「ベル!いいところにいた!ちょっと中に入って!」
そう言いながら、控え室から出ようとしたベルを押し込み、アスマは部屋の中にいた他のメイドにも声をかけ始める。
「ちょっと!これ手伝って!」
そう告げたアスマが振り返ると、後ろについていたイリスが手に持っていた何かを控え室一杯に広げ始めた。
見れば、それは新聞のようだった。
それだけでベルはアスマが何をしようと思って、この部屋を訪れたのか理解した。
「ああ、そうか。もう載ったのか」
昨日のことだ。東の魔術師の噂が存在するかどうか調べるために、アスマは一つの手段を提示した。
それが以前、アーサーが自身と同じく、異世界から来た人間を探すために行った新聞に記事を出すというものだ。
同じ手段で東の魔術師について情報を求めれば、類似の噂が入ってくるかもしれない。その思いから、アスマはアーサーの元を訪ねて、新聞社に手回ししてもらったのだ。
その記事が翌朝の新聞に既に載っているらしい。
だが、どこに載るのかは聞いていなかったらしく、アスマはベル達に探すのを手伝って欲しいと頼んできていた。
「面白そう!」
「すぐ探そう!」
絶対に乗るだろうと思っていたネガとポジが即座に立候補し、イリスから新聞を受け取って記事を探し始める。
「それって、ベルさんが聞いてきた噂?」
「ああ、そうだ。その噂について聞く記事が載っているらしい」
「ふーん、そうなんだ」
ベルの話を聞いたキャロルが興味なさげに呟きながらも、イリスから新聞記事を二枚受け取り、その内の一枚をスージーに渡していた。
「はい。手分けした方が早いからね」
「そうですね。探しましょう」
スージーは即座にやる気を出して、キャロルから受け取った記事を見つめ始め、控え室では件の記事の捜索大会が開始される。
全員が無言で新聞を見つめ続けて、ふとした瞬間にキャロルが声を上げた。
「あっ、これじゃない?」
その一言に全員の視線が集まって、ベル達は押し寄せるようにキャロルの周囲に集まった。全員が少しの隙間に頭を押し込むように新聞を覗き込んで、キャロルの示す記事を読んでいく。
それは確かに東の魔術師の噂と類似の噂を探す記事だった。
「おおう、これだ!ありがとう!」
アスマがキャロルの手を取って礼を言い出し、流石のキャロルも戸惑っていた。王子にここまで直接的に礼を言われ、戸惑わないメイドの方が少ないだろう。
「無事に見つかって良かったよ」
そうアスマが広げた新聞を仕舞いながら呟いた直後、控え室の入口で騒動を静めるように手を叩く音が響いた。
見れば、そこにはメイド長のルミナが立っていた。
「はい、殿下。これは何の騒ぎですか?」
「ああー、いや、ごめんね。もう済んだから、帰るね」
まとめた新聞を持って、そそくさと立ち去るアスマとイリスを見ながら、ルミナは特に何かを言うこともなく溜め息をついている。
何となく、何かをしていることは察しているようだが、見逃してくれているようだ。ルミナは単に厳しいだけの人ではない。それくらいはメイド全員が知っている。
メイド達の控え室で頼みたかったことを終え、アスマとイリスが立ち去った直後、ベルは思い出したようにその二人を追いかけるように控え室を飛び出した。
「アスマ」
呼び止めるようにベルが声をかけると、アスマとイリスが振り返って、こちらを見てくる。
「……今日の用事はどうなってるんだ?……これから、どうするんだ?」
ベルが少し迷いながら、そう聞くと、アスマはイリスと顔を見合わせて、考え込むように上を見ながら、ぽつぽつと呟いた。
「決まっていることは夕方頃に新聞記事の成果を確かめに行くくらいかな。後はまだ未定だよ」
「そ、うか……分かった。じゃあな」
それだけを聞いて、再び控え室に戻っていくベルをアスマとイリスは不思議そうに見つめていた。その視線にベルは気づくが、今は立ち止まることも振り返ることもできず、逃げるように控え室に入った。
☆ ★ ☆ ★
ベルの不思議な質問に戸惑い、アスマとイリスは不思議そうな顔を見合わせていた。何だったのかと思うが、思ったところで答えは分からない。
「今日は不思議なベルだね」
ぽつりとアスマがそう呟いた直後、首肯したイリスの視線が廊下の先でピタリと止まり、ベルからの質問を受けた時以上に不思議そうな顔をした。
というよりも、怪訝げに睨みつけているように見えた。
「どうしたの?」
「殿下、変な人がいます」
イリスがまっすぐに指を向け、その指の先を追うようにアスマが振り返ると、そこには目元をマスクで隠したエルの姿があった。
「エル?何してるの?」
自分のあげたお土産だが、まさか王城の廊下で使うとは思わず、アスマがそう聞いた瞬間、エルが立ち止まって朗らかに挨拶をしてくる。
「やあ、これは殿下にイリスちゃん。御機嫌よう」
「どうしたの?頭打った?」
「まさか、御冗談を。寧ろ、冴え渡り過ぎて怖いくらいだよ」
冗談でも言ったようにエルが笑い出し、アスマとイリスは引いた顔をエルに向けた。明らかにどこかがおかしくなっているが、どこがおかしいのかと聞かれたら、いつものエルと同じようにも見える不思議な状態だ。
そう思っていたら、エルが秘密を見せるように目元のマスクに手で触れた。
「いや、実はね。ちょっとした魔術が完成して、今は絶賛試している最中なんだよ。良ければ、殿下も付き合ってくれるかい?」
「魔術?痛いやつ?」
「そんなものに殿下を付き合わせるわけがない。ちょっと簡単な質問に答えてくれるだけでいいよ。ただし」
ふとエルがアスマの前で指を一本、立てた。
「どれか一つの質問にだけ嘘を答えて欲しいんだ」
「嘘を?」
「そう。後は全部、本当のことでいいから」
頼んでくるエルにそれくらいでいいならと思い、アスマは首肯した。それを見たエルが満足げに手を伸ばし、マスクで目元を覆っていく。
「じゃあ、質問するよ。名前は?」
「アスマ」
「年齢は?」
「十七歳」
「好きな食べ物は?」
「何でも」
「嫌いな人は?」
「いない」
「今日はこの後、何をしたい?」
「ラングとパロールのところで魔術の勉強」
「将来はどうなりたい?」
「国王になるアスラを助けられるくらいの人になりたい」
そこまで質問と返答が続いて、エルはしばらく黙ってから、口元に小さな笑みを浮かべた。
「殿下はとても素直だね。ちょっと素直過ぎて心配になるところもあるけど、基本的にはとてもいいところだと思うよ。俺はそういうところが好きだし」
「え?何か分からないけど、ありがとう?」
首を傾げるアスマの前でエルは目隠しを取って、満足そうに頭を下げた。
「お陰で参考になったよ。ありがとう、殿下」
「え?どれが嘘とか言わないでいいの?」
「ああ、大丈夫大丈夫。凄く分かりやすかったから」
そう笑うエルの様子にアスマとイリスは不思議そうに見合う。
「分かりやすかった?」
「すみません。分かりませんでした」
不思議そうに首を傾げる二人の様子を見ながら、エルは目隠しをポケットに仕舞い込み、ぽつりと呟いた。
「二人にこれはいらないかもね」
その言葉の意味もアスマとイリスには良く分からなかった。
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