東の使者(11)

 東の魔術師の噂を調べる手段として、どのような無理難題を言ってくるのかとベルやイリスは怯えたが、アスマの考えた手段は意外と簡単なものだった。


 確かに現実的に可能であり、現実的に一定の効果も期待できると思える手段で、ベル達は早速、その手段を試すためにパンテラを出た後、手回しを行った。


 これで後は東の魔術師の噂が引っかかる時を待つだけだ。実際に出回っているかどうかは分からないが、アスマの考えた手段を試す以上、ベル達にできることはもうない。


 王城に帰ってきたベル達が諸々の調査の一旦終了を確認し、ベル達は解散することになった。


 思わぬところで飛び込んできた東の魔術師という噂に飛びついたのはいいが、これほどまでに尻尾が掴めない存在を追いかけても意味があるのかと疑問に思う気持ちや、東の魔術師という存在を捕まえて、自分はどうなりたいのだろうかと苦悩する部分は未だ消えない。


 アスマ達と別れ、一人で自室に戻る最中、ベルはついそのことばかりを考えてしまう。

 このまま時間が経てば、噂の有無は分かることだろう。何も引っかからなければ、流石に噂が王都に存在しないと断定していいはずだ。


 それなら、この調査をこれ以上、続ける必要もなくなって、後は何も調べなくて良くなる。

 そう考え、安堵してしまう自分の気持ちに気づいて、ベルは嫌気が差す。誰のための行動だと思っていると訴えても、その気持ちは自分自身に驚くほど響かない。


 もう少しで終わる。そう考えそうになる気持ちは僅かに飲み込んで、何とか違うことを考えようとするベルが自室に戻る途中で見慣れた顔を発見した。


「ベルさん。よろしいですか?」


 そう聞いてくるシドラスの姿を見た瞬間、ベルは忘れていたことを思い出し、表情を引き攣らせた。湧いてくる感情や言葉を一旦は飲み込んで、ゆっくりと首肯することに専念する。


 シドラスの用件はベルのお願いに関することだった。シドラスと逢った際に、ベルから伝えたことだ。分かり切っていることだった。


 それでも、その時が来たと思った自分がいて、ベルは言いようのない緊張感に包まれた。未だベルは顔を背けることしかできない。それがどれだけ情けなくても、ベルの気持ちはまだ歩き出すところにいない。


 シドラスに待っているように頼んで、ベルは一度、自室に戻ってから、そこに仕舞った手帳を取り出した。オーランドの手帳で、誰にも知られないようにこっそりと取り出し、こっそりと部屋から持ち出していく。


 ベルの伝えたいことはちゃんと伝わっていたらしく、ベルがその手帳を持ち出しても、シドラスは何も驚く素振りを見せなかった。


「これをどうするのですか?」


 冷静な態度でシドラスがオーランドの手帳を手で示し、そのように聞いてくる。


「東の魔術師の噂を聞いた後、それが王都に出回っているかもしれないと同僚に聞いて、そこで王都の街に住む人の方が噂には詳しいと聞いて思ったんだ。もしかしたら、オーランドは東の魔術師を目撃しているのではないか、と」


 前回、オーランドの手帳をシドラスが読んだ時、そのような記述は含まれていなかったが、それは全てを読み上げた結果ではない。


 あの瞬間に必要と思われる情報を吸い出し、その中に含まれていなかっただけで、どこかには東の魔術師と思われる存在について書いてある可能性がここにはある。


「そう思って、この手帳を読もうとしたんだが、無理だった……」


 力なく消え入るように呟いたベルの言葉を聞いて、シドラスが僅かに眉を顰めた。不快に思ったのか、ベルの様子が思っていたよりも深刻で心配してくれたのかは分からない。


 だが、シドラスは特に何も言うことなく、ベルの手からオーランドの手帳を受け取っていた。


「それで私に確認して欲しいと?」

「すまない。頼む」


 ベルがシドラスに頭を下げると、シドラスは肺に溜まった緊張感を取り除くように、大きく息を吐いた。


「分かりました。が、前回読んだ時にある程度の記述は目を通しているので、あまり期待はしないでください。噂にあるほどの特徴的なものなら、流石に目を止めているはずですから」


 ここには何もない可能性が高い。そう言われても、ベルは手帳を触れる気にはなれず、シドラスの言葉に首肯を返すだけだった。


 どこかで納得できればいいのだが、そこまで物分かりの良い性格ではない。必要と思ったことは必要で、難しいと思ったことは難しいと決めつけてしまう。


 そこから変わらないといけないことは分かっているが、どうにもベルの心は固まっているらしい。まるで身体の時間と一緒に、心の時間も止まってしまったかのようだ。


「では、読みますね」


 シドラスがオーランドの手帳を躊躇いなく開いて、その中を順番に見始めた。


 何に対してかは分からないが、ベルの中で緊張感が膨らんで、あり得ないほどに鼓動が大きくなっていく。

 身体の内側で鳴る心臓の音と、紙の捲れる音が静けさの中に響き渡って、ベルの耳を貫くように飛んできて、ベルは思わず耳を塞ぎたくなる。


 分からない。このように思う気持ちも、このように考える頭も、ベルのものではないように勝手に動いている。


「やはり、似た記述は見当たりませんね」


 手帳の半分以上を読み進めて、キナと接触したと思われる頃を通過したのか、シドラスがそのように口にした。


「東の魔術師が王都を訪れたかどうかは断定できませんが、少なくとも、オーランドさんが見ていないことは確かでしょう」

「そう、か……」


 ベルは言いようのないゴチャゴチャとした感情に包まれ、言葉にもなり切れない息を吐き出す。


「ただオーランドさんの役目上、特徴的な見た目をした人物がいれば、何者かを探っているはずですから、仮に東の魔術師が王都を訪れていたとしても、何かが分かるほどの特徴的な見た目はないということかもしれません」

「そういえば、ガイウスの噂でも東の魔術師の見た目には触れていなかったな」


 それだけ普通の姿をしている人物となれば、探すことは困難になる。キナの時のような特別な動きをしていなければ、東の魔術師が目の前を通っていても、気づかない人ばかりかもしれない。


「これはアスマの案も空振りか……?」


 済ませてきた手回しを思い出し、ベルはそのように呟いた。何か分からない可能性の方が高まったが、今更止める手段もないので、結果が出ないとほとんど分かり切っていても、ここは様子を見るしかないだろう。


「その中でも、鉱石が語られていることを考えると、やはり、そこが一つの鍵のようですね。その鉱石の正体が分かるだけで、東の魔術師について多く見えてくるかもしれません」

「寧ろ、そっちが根幹の可能性もあるな」


 何もないことで分かった可能性をしばらく話し、ベルはシドラスに礼を告げて、手帳を受け取ろうとした。


 そこでシドラスが手帳を渡そうとした状態のまま動きを止めて、じっとベルの顔を見つめてくる。


「どうした?」

「ベルさんは本当にこのままでいいのですか?」


 あまりに唐突に投げかけられた、その質問にベルは目を丸くした。


「どういう、意味だ?」

「東の魔術師に関して調べ始める前、殿下が私に剣の稽古を頼んできました。午前の稽古はいつも行っていたことですが、殿下は少し前まで悲しみに暮れ、酷く落ち込んでいたところです。そこから、ようやく外に出るようになって、その翌日には剣の稽古をしたいと言われ、私は急ぎ過ぎていると感じました。急いでも、直らないものは直らない。寧ろ、壊れる可能性が増すだけです。私は殿下を止めることも考えました」


 シドラスの手に力が入って、ぎゅっとオーランドの手帳を強く握り締めた。


「しかし、そこで殿下は自身の気持ちをお話しくださったのです。少しでも早く回復して、ベルさんに少しでも元気な姿を見せたい、と」

「私に?」

「はい。悲しみに触れ、それ以上の悲しみと向き合ってきたベルさんの辛さを殿下は感じ取って、自分がここで立ち止まっていてはいけないと考えたようでした。少しでも前に進む姿を見せたいと、強い覚悟を持った姿を見て、私はきっと殿下なら大丈夫だと思えたのです」


 知らなかったアスマの気持ちに触れ、ベルは声を失った。開いた口からは言葉と言える言葉が出ずに、ただ呆然とシドラスを見つめていた。


「無理に押しつけるつもりはありません。ベルさんの気持ちはベルさんが決めてください。ですが、今のベルさんは一人ではないことを忘れないでください。お願いします」


 そう告げながら、シドラスが渡してきたオーランドの手帳を受け取ると、シドラスは軽く頭を下げて、その場から立ち去っていった。


 その姿を見送りながら、ベルはシドラスから聞いたアスマの気持ちのことを考える。

 自分は何を見ていたのだろう。何のために今まで生きていたのだろう。それらの疑問が頭に浮かび、ベルは手帳を強く握り締めた。


「……馬鹿らしい」


 溜め息に交じって、零れるように声が漏れた。

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