東の使者(10)
鉱石の実体と共に、宙に浮かび上がった東の魔術師の存在を固定するために、ベル達はパンテラを訪れていた。日常から少し欠けたままのパンテラは今日も変わらずに、いつもの様子を保っている。
「いらっしゃいませ」
元気な声を響かせながら、入口を確認したベネオラがベル達を目にして微笑んだ。
「アスマ君達だ。いらっしゃい」
改めて、そのように挨拶する声に釣られ、カウンターの向こうに立つグインと、カウンター席に座るキナの視線がベル達に向いた。
いつもと違って、今日はパンテラに一定の用事がある。その用事の相手であるキナがいることを確認し、ベルは密かに安堵する。
パンテラに通う身として、パンテラを訪れた段階で無駄足ではないのだが、目的のことを考えると必要以上の移動を強いられずに済んだと思わざるを得ない。
「今日はどうする?」
ベネオラに注文を聞かれ、ベル達三人は当たり障りのない、いつものオーダーを頼んでから、テーブル席の一つに腰を下ろした。
目的のパンテラに到着し、店内には目的となるキナもいた。後はキナから話を聞くだけだと思い、早速、本題に移ろうかと考えるベルの前で、アスマがぽつりと呟いた。
「せっかくなら、ガイウスにも紹介したかったね」
そう呟く視線は店内に向けられ、アスマの残念そうな眼差しにベルは少し戸惑ってから、小さく首肯する。
確かにウルカヌス王国で様々なものを見てきたが、エアリエル王国のものを見せる機会は当然のことだがなかった。
アスマも気に入って通う、このパンテラを紹介できる機会などそうそうなく、その機会が近かったからには残念に思うことも当然のように思えた。
その会話が耳に届いたのか、グインに注文を伝えていたベネオラが不思議そうな顔でこちらを見てきた。
「ガイウス?どちら様?」
ベネオラの問いにベルとイリスが強張って、一瞬、どのように説明しようかと頭を悩ませる。ウルカヌス王国との接触が大々的にどれくらい知られても問題なく、アスマの行動がどれくらい伝わってもいいのか、ベルやイリスでは判断し切れない。
そう思っていたら、アスマがベネオラの問いに笑みを返しながら、口を開いた。
「ガイウスはこの前から来てるウルカヌス王国の騎士だよ」
「ちょっ……!?殿……!?」
焦ったイリスが思わず手を伸ばし、アスマの言動を制しようとした目の前で、アスマの発言を聞いたグイン達三人が揃って首を傾げていた。
「ウルカヌス王国の騎士?」
不思議そうに呟かれた言葉を聞いて、アスマが更に首肯し、言葉を続けてしまう。
「ウルカヌス王国に行った時にお世話になったんだよ。今回、この国に来てるから、せっかくだったら紹介したかったなって」
そう言い切ったアスマの言葉を聞いて、ベルとイリスが苦々しい顔をする中、グイン達三人は三者三様の反応を見せていた。
ベネオラはアスマの話を不思議に思いながらも、不思議に思うこと以上の考えは湧いてこなかったらしく、不思議そうに首を傾げており、キナは異国の話と聞きつけて、キラキラと好奇心に満ち満ちた目をしていた。
唯一、ベルとイリスに寄り添う表情をしていたのがグインだ。これは明らかに聞いてはならない話を聞いてしまったと察したのか、僅かに眉を顰めてから、何もなかったように手元のカップを拭き始めている。
「あれ?お土産を渡す時に言わなかったっけ?」
「ああ、あれはそうだったんだね」
ベネオラがようやく合点がいったと言わんばかりに納得する隣で、グインは大丈夫かと疑問に思う目をベルとイリスに向けていた。
その目を感じ取ったベルがイリスの代わりに返答することを決めて、ゆっくりとかぶりを振る。
当然のことだが、大丈夫ではない。
その様子をようやく察したのか、グインの視線に気づいたアスマがベルやイリスを見やって、二人の反応から、あっと何かに気づいた反応を見せた。
「もしかして、言ったらダメだった?」
「ダメか、ダメじゃないかで言ったら、全然ダメですね」
「お前の口に鍵をかけた方がいい気がしてきた」
ベルとイリスが項垂れる姿を見て、ようやく自身の失敗を実感したのか、アスマは笑みに苦々しさを混ぜて、誤魔化すように頭を掻いていた。
「いや、ごめんね。何か、グインには話してもいい気がして……」
そこまで言い訳を口にしてから、不意に止まったかと思えば、アスマが再び何かを思い出したように「あっ」と声を漏らす。
「そうだ。ベル。グインには話そうと思ってたんだよ」
「はあ?」
そう言われ、怪訝げに眉を顰めたベルの前で、唐突にアスマが犬の鳴き真似をし始めた。それが何かと一瞬考え、ベルは帰ってきてからの騒動で忘れかけていた大事な伝言を思い出す。
「そうだ。ちゃんと伝えないと」
ベルが力強く頷きながら、アスマにそう言うと、アスマはグインの方を振り返って、ベルも思い出した伝言のことを口にした。
「実は俺達、ウルカヌス王国でグインへの伝言を預かってるんだよ」
「伝言?」
怪訝げに眉を顰めるグインにアスマは首肯を返し、預かった伝言を口にする。
「経理のミドリは元気にやってる、だって」
「経理の……ミドリ……?」
そう口にしてから、グインの中に何かが広がるように、表情が一気に明るくなった。
「ああ、そうか……あいつか……殿下達はあいつと逢ったんですか?」
「うん」
「ウルカヌス王国で財務大臣をしていた」
「財務大臣!?」
あまりの衝撃だったのか、グインは大声を上げて驚いてから、小さく納得したように何度も頷き始める。
「いや、そうか……それくらいの実力はあったか……いや、良かった。元気にしているなら、本当に……」
そう噛み締めるように呟くグインの頭の中で、何を考えているのかはベルにも分かった。共に亜人であるから、こういう場で考えることは何となく想像がつく。
良いことと悪いことが両方あることを知っていて、その両方が頭を過ってしまうのは仕方のないことだ。
それでも、全てが全て悪い方に傾いていくわけでもなく、良い方向に向かっていると信じられることもあるはずで、それを証明するようにグインの表情は僅かに明るく、微笑むような着地をしていた。
「ありがとうございます。わざわざ、それを伝えてくださって」
「いやいや、これくらいは何てことないよ。ていうか、俺達は伝えに来たんじゃなくて、聞きに来たんだった」
畏まったグインの様子から思考が一旦落ちついて、忘れかけていたことをようやく思い出したかのようにアスマがそう口にした。
「聞きに来る?」
不思議そうに首を傾げるグインの前で、ベル達の視線が一斉にキナを向いた。キラキラとした好奇心を目に詰め込んでいたキナも、流石にその反応には驚いたのか、一瞬、大きく目を見開いている。
「実はキナちゃんに目が見えるようになった時のことを聞きたいんだよ」
「目が見えるようになった時のこと?」
「そう。その時に逢った人のことを改めて聞きたいんだ」
ベル達が真剣な表情でそう伝えると、キナは少し戸惑いながら、その時のことを思い返すように視線を上げていく。
「いいけど、ほとんどは見えてないから、ちゃんと伝えられるか分からないよ?」
「うん、それで大丈夫」
アスマが力強く頷くと、キナは自身の目が見えるようになるまでの経緯を説明し始めた。竜王祭の際に観光客の一人と仲良くなったこと、その観光客が何かをした後から、光が見えるようになったことを伝え、キナの話は終わりを迎える。
その内容は以前、聞いた時とほとんど変わらないもので、再度聞いてみても、やはり、東の魔術師の噂と似ているという印象が強かった。
「目が見えるようになった後は、その人のことを見たか?」
「少しだけね」
「何か石みたいなものは持ってなかったか?」
「石?」
「石のように見える何かでもいい」
ベルの質問を聞いたキナが再び思い出すように視線を上げていた。
「石みたいなものは……なかったと思うけど?旅の途中みたいで荷物は多かったし、アクセサリーも身につけてたから、その辺は分からないかも」
「そうか……」
特定できる情報はなし。東の魔術師と同一の存在とは言えないながらも、話が似ていることは確かなように思えた。
エアリエル王国を訪れ、王都にやってきた可能性は無きにしも非ずだが、そこに存在する問題もやはり残ったままだ。
「一度、噂の有無を確認してみるのも手かもしれないな」
ベルが残された手段を思い浮かべ、そのように呟くと、アスマが「それなら」と待っていたかのように声を出した。
「一ついい方法を思いついたから、ちょっと試してみる?」
どこか自信ありげにそう告げるアスマの姿に、ベルとイリスは揃って首を傾げながら、大丈夫かと不安な気持ちを少し懐いてしまっていた。
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