東の使者(6)
ガゼルの部屋の捜索を一通り終えても、アスマ達の求める情報は見つからなかった。部屋の中を全て見回す時間と根性があったわけではないので、見逃している可能性は否定できないが、それでも、三人で探して、少しの情報も見つからないのは、相当なことと言えるだろう。
本格的に現実的な話ではないのかもしれない、とすら考えてしまいそうな結果が重なって、イリスとアスマはガゼルの部屋を出た扉の前で固まった。ちょうど逢った時のエルのような状態だ。
「じゃあ、殿下。俺は自分の部屋に戻るよ」
「あっ、そうなの?」
「ちょっと思いついたことがあるんだ。頑張ってね」
「うん、ありがとね」
自室に帰っていくエルを見送り、イリスとアスマは二人となってから、途方に暮れ始めた。テレンスに頼んだことはまだ分かっていないが、それ以外の手がかりは悉く空回り、何も見つかる気配がない。
東の魔術師。それに関する噂は全て嘘だ。どこかの誰かが作り上げた作り話でしかない。そう結論を出した方がいいように思えるくらいに、荒唐無稽な話を拾ったのかもしれない。
イリスはガイウスの持ち込んだ噂が所詮は噂だと考え始めていたが、アスマの思考は違ったようだった。
イリスの隣でイリスと同じように考えていると思っていたアスマが、ふとぽつりと零すように呟く。
「後は誰が詳しそうかな?」
「え?まだ探しますか?」
国家魔術師からの実質的なお墨付きを得た状態だ。テレンスに頼んだことの結果は分かっていないが、それを待たずとも、ガイウスの持ち込んだ噂は噂だと断定し、捜索を諦めるところかとイリスは思い込んでいた。
しかし、アスマは違った。東の魔術師の存在はあくまで可能性としてあり得ると信じ、未だ情報を知る可能性のある人物を探すつもりのようだった。
素直とも、愚直とも表現できるアスマの反応にイリスは驚きながらも、それを悪いこととは思わなかった。簡単に諦めるのではなく、納得するまで調べてみる。その先に出た結論なら、どちらに転んでも、納得できるだろう。
それを疑いなくできる点はアスマの間違いなく良いところである。人を信じるところ、信じようと強く決めるところもそうだ。
その部分が強く出た結果が今の行動なら、イリスとしてはどこまでも付き合うつもりしかない。
「魔術以外の候補も調べてみるべきかな?」
ふと何かを思いついたのか、アスマがそのように質問してきた時だった。
イリスが返答を用意するよりも早く、廊下の途中で立ち尽くす二人に声をかけてくる人物がいた。
「殿下」
その声に反応し、振り向いた先には、こちらに向かってくるシドラスとガイウスの姿があった。
「あれ?シドラス?それにガイウスも。どうしたの?」
二人が揃って王城内を歩いているとは思ってもみなかったイリスやアスマからすれば、その光景は率直に驚きに包まれていた。
「実は少し調べたいことがありまして」
そのように切り出し、ガイウスの始めた説明はガイウスの仕えるウルカヌス王国の王子、ハムレットに関するものだった。
虚繭という体質から身体が弱く、魔力を持つ他の人との接触が限られるハムレットに、何とか人との交流の機会を増やせないかと、その体質を改善する方法を探して、聞き回っていたらしい。
しかし、虚繭は珍しく、魔王のように詳しく調べられていないこともあって、有益な情報は得られなかったそうだが、身体に関することなら、医療用の魔術から何かしらアプローチできないかとアドバイスを受け、イリスとアスマが辿ってきた道をなぞるように、ここまで来たらしい。
二人もテレンスに片づけついでの調査を依頼し、次はどうしようかと廊下を歩いていたところで、イリス達と遭遇したそうだ。
「それで殿下は何かお分かりに?」
シドラスの問いにアスマはかぶりを振る。
「やっぱり、医療に使われる魔術って、応急処置とか、そのくらいが限界で、病気を治すとかできなさそうってことしか分からなかったよ」
「鉱石については?」
「それについても同じだった。魔力を高める鉱石とかはあるらしいけど、元が元だから難しいって」
一を二倍三倍としたところで、二や三に変わるだけで、百や千が必要となることには到底及ばない。
「やはり、可能性は可能性だけで現実のものになるには難しいのでしょうか……」
さっきイリスがそう思ったように、ガイウスが現実の厳しさに直面し、やや暗い表情をしていた。それほどまでに仕える主人のことを考えているのだろう。
その気持ちはアスマに仕えるイリスにも分かるところがあった。
「まだ全部を調べたわけじゃないから、最後まで調べてみないと分からないよ」
アスマがガイウスを励まし、ガイウスがその言葉に立ち上がろうとしているが、その隣でシドラスは考え込んでいる。
「ですが、これ以上はどうしますか?テレンス様にお任せした結果を待つにしても、他は何を調べますか?」
「キナちゃんに聞き込みには行かないんですか?」
「それはベルと合流してから行きたいかな。ベルも聞きたいだろうし」
「なら、他には国家魔術師の皆さんを順番に当たるのも何ですしね……」
やろうと思えばできることだが、気難しい者も多い国家魔術師の時間を順番に取るなど、あまり好ましい行為ではない。相手に与える印象も、こちらが受ける感情も、あまり良いとは言えないものになって、終わる可能性だってある。
それを実行するかどうかと考えていたら、アスマが一人だけ声色高く言った。
「あのさ、それで一つ思いついたんだけど、鍛冶職人って鉱石に詳しいかな?」
「鍛冶職人ですか?まあ、それなりには詳しいと思いますが?」
「確か、サリーちゃんの旦那さんって鍛冶職人だったよね?前に別居してるって話してた」
「えーと……それを当たってみるんですか?」
別居という単語から、あまり良好な関係を想像できなかったイリスは正直、あまり乗り気にはなれなかった。
しかし、アスマはそのイリスの気持ちに気づかないのか、平然と首肯し、シドラスに目を向けている。
「どうかな?」
「鉱石の流通に関しては魔術師より詳しい可能性が十分にありますし、当たってみる価値はあるかもしれませんね」
「だよね!じゃあ、サリーちゃんのところに行こう!」
アスマが高らかに宣言し、四人の次の行き先が決定してしまう。その明るい声とは裏腹に、イリスは何か修羅場に巻き込まれないかと、戦々恐々としていた。
☆ ★ ☆ ★
仕事と仕事の隙間に生まれた休憩時間の内に、ベルは一度、自室に戻っていた。普段は飲み物でも飲みながら、朗らかに談笑している時間だが、今は少し気になることがあって、それを確認しようと思った次第だ。
自室に戻ったベルは入念に隠していた袋を取り出し、その中に手を入れた。変わりなくあることを確認してから、中身をゆっくりと抜き出す。
それはオーランドの手帳だ。
東の魔術師に関しての話を聞いた時、ベル達はキナが接触した人物が東の魔術師である可能性を考えた。もしも、その可能性が的中していたら、東の魔術師はエアリエル王国、更に言えばこの王都を訪れたことになる。
それなら、王都の中に潜伏し、情報を集めていたオーランドが東の魔術師と思しき人物を目撃しているかもしれない。
それが手帳に書いてあるかどうか確認しようと思い、ベルは自室に戻ってきたのだが、目的の手帳を取り出してしばらく、ベルは手帳と向き合ったまま固まっていた。
この中にはガゼルの目撃情報が書かれていた。ガゼルが王都にいるという可能性の高さを提示したものだ。
この王城を飛び出し、この手帳を頼りに王都を歩けば、ベルはガゼルを発見できるかもしれない。
そうしたら、ベルは何をするのだろうか。自分自身でも答えの分からない問いを考えながら、ベルは手帳を眺める。
開いて読み込んで、その記述を見つけた時に、ベルはどのように思えばいいのだろう。どのように向き合えばいいのだろう。
ガゼルを探し出すべきなのか、ベルは自分自身の気持ちも含めて、未だ何も定まっていない。
そのように考えてから、ベルは力強くかぶりを振る。それらは今、関係のないことだ。
今は東の魔術師の情報を探すことに専念するべきで、ガゼルのことを考える時間ではない。そう思いながら、手帳に手を伸ばそうとし、ベルの動きは途中で止まった。
震える指先が、震える視線が、ベルの動揺を強く表現するようで、ベルはオーランドの手帳を開くことなく、既に悟ってしまった。
気持ちの定まらない今の自分では、この手帳を読むことも敵わない。
「ダメだ……」
力なく零れるように呟いて、ベルはがっくりと項垂れる。自分自身の気持ちの弱さが何とも情けない。
そもそも、自分は東の魔術師を見つけ出し、何をしたいのだろうかと不意にベルは考える。
それも元の身体に戻るための行動の一つかもしれないと思ったら、ベルは東の魔術師を探すべきなのかすら、分からなくなってきた。
自分はどうしたいのだろうか。自分はどうするべきなのだろうか。
答えの見つからない問いを考えながら、ベルは袋に手帳を戻していく。それを再び入念に仕舞いながら、ベルはふとアスマの顔を思い出す。
アスマなら、こういう時に何を言ってくれるだろうか。そう考え、そう考えた自分自身のあまりの弱さにベルは落胆し、自嘲するように小さく笑みを浮かべた。
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