東の使者(3)

 治らないと言われていた病すら完治させる東の魔術師。ガイウスの持ち込んだ噂の真偽を調べるために、アスマ達は早速、翌日から行動を開始した。


 まずは東の魔術師の正体よりも先に、東の魔術師の噂で語られていることが実際に可能であるかどうかを詳細に調べる必要があった。


 噂の魔術は現実的に考えて存在し得るものなのか。噂の中で語られる鉱石のような存在が実際にあるのかどうか。そういう点を調べるのに、この魔術大国、エアリエル王国の王城は相応しいと言えた。


 何せ、ここには魔術師の中でも最高峰と言える国家魔術師が何人も暮らしている。その人達が何も知らなければ、それは即ち、東の魔術師の噂がガセである可能性が高い。

 もしくは東の魔術師が国家魔術師すら知らない極致の存在である可能性が浮上し、真偽が更に高まる可能性もある。


 どちらにしても、国家魔術師に聞くことが東の魔術師調査の第一歩として相応しい。


 そのように判断し、アスマはイリスを引き連れ、魔術師棟を訪問した。そこには何人もの国家魔術師が暮らしているが、その中でも、こういう時に質問しやすい相手として、アスマが最初に思い浮かべる人物は決まっている。


 アスマがその人物の部屋の前を訪問し、扉を数度ノックすると、すぐに部屋の中から声が返ってきて、ゆっくりと扉が開かれた。


 そこにはパロールが立っていた。


「あれ?殿下?どうされたのですか?」


 驚いたパロールの声を聞き、部屋の奥からラングが歩いてくる。


「殿下?このように早い時間から魔術学の勉強ですか?」


 昨日のことを思い返し、ラングはアスマが遅れを取り返すように、急いで部屋に来たと思ったのかもしれない。

 戸惑いの中に心配を混ぜつつ、どのように言い聞かせるか考え込んでいる様子だったが、アスマの隣に立つイリスを発見し、やや表情が変化した。


「今日はそうじゃなくてね」


 そこでアスマが事情を説明するためにかぶりを振った。


「ちょっと二人に聞きたいことがあるんだよ。入ってもいい?」


 アスマが部屋の中に指を向けると、ラングとパロールは少し困惑したような顔をしてから首肯する。


 アスマとイリスが部屋の中に立ち入って、そこに置かれた椅子に腰かけると、早速、アスマは本題を切り出すことにした。


「実は昨日、ガイウスが来てね」

「ガイウス?」


 不思議そうに首を傾げるラングを見て、イリスがフォローするようにガイウスの説明を簡潔にする。


「ウルカヌス王国の騎士です」


 そう言われ、ラングは納得したように頷き、視線をアスマに戻した。


「そのガイウスがウルカヌス王国の噂話を持ってきてくれて、それが東の魔術師の噂なんだけどね」


 そこから、アスマが東の魔術師の噂の内容を簡単に話し、問題となる質問を口にした。


「それで、そういう魔術は本当にあるのかと思って」

「治らないと言われた病を治すほどの魔術ですか?」


 アスマの問いにラングとパロールは揃って困惑した表情をしていた。答えるまでもなく、その表情が答えを表している。


 二人はそういう魔術を聞いたことがないらしい。


「簡単な傷を治すもの。簡単な風邪を治すもの。治療や治癒に使える魔術は知っている限り、そこが限度のはずです。それ以上のものはどこの国でも聞いたことがありません」

「新しい魔術の可能性は?」

「そもそも、人体に影響を与える医療系の魔術は必要な魔力に対して、効果が低いと言われていて、あまり研究自体がされてないものなのです。ですので、そこまでの魔術が完成したら、一際話題になっているはずです」


 それでも尚、二人は聞いたことがないと言うのなら、少なくとも、一般的には全く知られていない魔術ということになる。


 それなら、と考え、アスマはもう一つ、気になっている方を聞いてみることにする。


「見たことのない鉱石を持っていたって言われてるんだけど、それが関わっている可能性はないの?」

「見たことのない鉱石がどのようなものか分かりませんが、魔術に影響を与える石自体はあります。魔力の効果を上げる石なども存在自体はしています。ですが、今言ったように医療系の魔術は元が元なので、効果を上げたところで、治らない病を治すほどの効果は発揮しないと思われます」


 ラングとパロールの知っている限り、魔術の存在もそれを作り出すかもしれない鉱石の存在もあり得ない。そういう結論に達してしまい、アスマは表情を曇らせた。

 その様子を見ていたイリスが空気を変えるように質問する。


「それらのことをもう少し詳細に調べてみたら、何か分かったりはしませんか?何か見落としがある可能性はありませんか?」


 イリスに聞かれ、ラングとパロールは少し考えている様子だった。


 いくら国家魔術師とはいえ、そこが自身の専門でなければ、確実に知っているとは言えないだろう。

 そう思ってくれたのか、ラングは首肯し、アスマとイリスに一つの提案をしてきた。


「それは確かなので、他国の魔術情報も合わせて、一度、一から調べてみる方が良いかもしれません。私達の知らない知識がそこにある可能性は十分にあります」


 ラングの言葉を聞いたアスマの表情が僅かに回復し、イリスは安堵する。


「それって、どうやって調べればいいの?」

「おすすめはテレンスの書庫ですね」


 ラングの提案を聞いたアスマがテレンスの顔を思い浮かべ、納得したように首肯する。


「分かった。行ってみるよ、ありがとう」


 アスマは即座に礼を言うと、イリスと共にラングの部屋を颯爽と後にした。


 次の目的地はテレンスの書庫。そこで何かが分かることを期待し、アスマの足取りは軽やかに跳ねた。



   ☆   ★   ☆   ★



 東の魔術師。ガイウスから聞いた話自体は気になるものだったが、残念なことにベルにはメイドとしての職務があった。


 気になることを追いかけるばかりではいられない。そう思いつつも、ベルの頭は東の魔術師について、たった今、調べているはずのアスマが何かを見つけているだろうかと考えてしまう。


「ベルさん、心ここにあらずだね」

「心どこにあるんだろうね」


 ネガとポジがじっとベルの顔を見つめて、不思議そうに呟いた言葉が不意にベルの耳に届いた。

 しまったと思い、ベルは慌てて背筋を伸ばしながら、仕事に集中しようとする。


「ベルさん?どうしたの?」


 そこでキャロルが心配した様子で聞いてきた。


 きっと最近のベルは酷く皆を不安にさせる振る舞いをしていることだろう。自覚はあるのだが、それを治そうと思っても、今のベルの心ではうまく治らない。


「何でも……」


 何でもないと心配させないように答えようかと思ったが、その途中、ふとベルは昨日の会話の一つを思い出した。


 東の魔術師の話はキナに関する話と酷似している部分がある。


 もしも、キナが接触した人物が噂の東の魔術師であるなら、東の魔術師はエアリエル王国を訪れたということだ。


 その場合、ウルカヌス王国で流れる東の魔術師の噂と同じものが、エアリエル王国内でも流れている可能性がある。


 残念なことにベルは世間に疎く、そういう噂を全く聞いたことがないが、他のメイドなら、どこかで一端だけでも聞いているかもしれない。

 特にここにいるネガとポジやスージーは噂が好きな印象だ。そういう噂があれば、絶対に覚えていることだろう。


 そう思ったベルが一度、質問を投げかけてみることにした。


「なあ、東の魔術師の噂を聞いたことがあるか?」


 ベルの問いに、その場にいたベル以外の四人のメイドは一斉に首を傾げた。


「何それ?」


 キャロルの怪訝な一言を聞いて、ベルはガイウスから聞いた東の魔術師の説明を始めた。一通りの説明を終え、同様の噂を聞いたことがないか、再度、四人に聞いてみる。


「いや、ちょっと聞いたことがないかな……?」

「初耳」

「初聞き」

「私もちょっと……」


 しかし、残念なことに四人の反応はあまり芳しくなかった。少しでも聞いた覚えがあったら、内容は覚えていなくても、引っかかる反応を見せるはずだから、本当に全く聞いたことがないのだろう。

 四人の反応を見て、そう落胆するベルにキャロルが言ってくる。


「王都で広がる噂なら、私達よりも王都に住んでる人の方が詳しいかもね。ベネオラちゃんとか」

「そうか。そっちで聞いてみる方がいいか。すまない、仕事中に」


 ベルが謝りながら頭を下げると、四人は問題ないと笑顔で言ってから、仕事に戻っていく。


 その様子を見送ってから、自身も仕事に戻ろうとしたベルがさっきのキャロルの言葉を思い出し、ふと手を止めてしまった。


 王都に住む人の方が詳しい。その言葉が引っ張ってきたパンテラでの光景がベルに一つの可能性を考えさせる。


 そういえば、オーランドの手帳に東の魔術師らしき記述はあっただろうか。


 それを確認するためには、ベルは再びあの手帳と向き合わなければならない。それが今のベルにとってどれだけ大きなことか、自身の内側で渦巻き始めた感情を察知して、ベルは深く息を吐いた。

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