東の使者(2)
ベルが過ごす部屋に一人の来訪者があった。普段なら絶対に人が訪ねてこない夜間のことだ。何かあったのかと不穏な空気すら漂う中で、ベルが来訪者の正体を窺うと、それはイリスだった。
「ベルさん、よろしいですか?」
「どうした?こんな時間にトイレに一人で行けないのか?」
「私のことを子供だと思ってますか?」
声を荒げることもなく、静かに怒りを見せるイリスに苦笑を浮かべ、ベルは余計なことを言ってしまったと謝りながら話を促す。
「ガイウスというウルカヌス王国から来た騎士のことを知っていますか?」
「あ、ああ、ガイウスなら、アスマと一緒に逢ったな」
一瞬、ベルはガイウスのことを他人行儀に説明するイリスに違和感を覚えたが、それもそのはずだ。イリスはウルカヌス王国に行っていないのでガイウスと逢っていない。何があったのか聞いていたとしても、どういう人物なのか測りかねているところがあるだろう。
「その方がベルさんに話があるそうで」
「私に?」
そう言ってから、ベルはアスマと共にガイウスと逢った時のことを思い出した。
内容までは時間がなく聞けなかったが、何かの情報があるらしい。それを伝えるために、わざわざガイウスが派遣されたと聞いた。
この時間になって、その話をするということは、一刻も早く話しておきたいことなのか、もしくはガイウスの時間が潰れて、昼間は話せないかのどちらかだと思い、ベルは首肯した。
部屋を出たベルはイリスの案内で夜の王城内を歩き、メイドの宿泊棟から少し離れた場所にある談話室に移動する。
そこでは既にガイウスと、呼び出されたらしいアスマとシドラスが待っていた。
「夜分遅くにすみません」
ガイウスが到着したベルに頭を下げてくるが、そこまで気を遣う仲でも立場でもない。ベルが問題ないと伝え、三人が座るテーブルに近づくと、そこには一枚の地図が広げられていた。
見るにベルの知らない地名が多く、大きく書かれた文字を読むに、ウルカヌス王国の地図らしい。
「では、ベルさんもお越しくださったことですし、早速、王女殿下からお預かりした情報をお伝えします」
ウルカヌス王国の王女からの情報と聞き、イリスが分かりやすく驚いた顔をした。ガイウスとの関係がそうであるように、ソフィアとの距離感もイリスは知らない。
「事の発端は皆さんが帰国された後、王女殿下が少しでも皆さんのお役に立ちたいとお考えになって、ウルカヌス王国内の魔術に関する情報を集めることにしたのです」
「役に立ちたい?それで魔術?どういうこと?」
不思議そうに首を傾げるアスマの隣で、ガイウスが視線をベルに向けた。それだけでソフィアの考えは手に取るように分かる。
「私の身体のことか?」
「はい。その解決のために少しでも何か情報がないかと、ウルカヌス王国内の情報を集め出したのです。貴国では手に入らない情報がもしかしたら、見つかるかもしれないと考えてのことです」
確かにエアリエル王国とウルカヌス王国は同じ技術を用いていても、全く違った発展をしているところがある。
その中でも、特に魔術技術はエアリエル王国の方が発展し、ウルカヌス王国にはない多くの技術を有しているが、それが魔術の全てではないだろう。
何かエアリエル王国の魔術師にも知らない情報がウルカヌス王国という地だからこそ存在する可能性も十分に考えられ、ソフィアもその可能性を調べてみることに決めたようだ。
「それで何か見つかったの?」
そう質問するアスマの前で、ガイウスがテーブルの上の地図に視線を落とし、その一角に指を向けた。
そこはウルカヌス王国の南部に位置する地図の中でも小さな村だ。
「重要な情報と言えるかは怪しいところですが、一つ気になる噂がこの村で流布されていることが分かりました」
「噂?」
眉を顰めながら呟くベルを見て、ガイウスが確かに首肯する。
「はい。東の魔術師に関する噂です」
そして、ガイウスが強く言った言葉は聞いたことのない単語で、ベル達は自然と顔を見合わせていた。誰か知っているのか確認するように見合ったことで、誰も知らないことを確認し、ベル達はガイウスに視線を戻す。
「東の魔術師って何?」
アスマが代表して、そのように質問した。
まさか、知っていることが前提なのかと一瞬思ったが、そういうことでもないらしく、ガイウスはアスマの質問に不思議がることも、残念そうにすることもなく、再び地図に目を落としている。
「この村には完治しない肺の病に侵された若者が一人いました。まだ十代は前半の少年です」
唐突に始まったガイウスの語りにベル達は少し面食らうが、この状況で不必要な会話をするとは思えない。
何か理由があるのだろうと思い、ベル達は押し黙って話の行く末を見守る。
「そこに一人の旅人が訪ねてきました。その人物はその病の少年を訪ねると、見たことのない鉱石を取り出し、少年に一つの魔術を使いました」
そこでガイウスが顔を上げて、ベル達の顔をじっと見てくる。視線は真剣なもので、フィクションを語っているようには見えない。
「すると、その少年はまるで最初から病になど罹っていなかったかのように元気になりました。治らないと言われていた病気が治ったのです……というものが噂の内容です。この人物は村の東から訪れ、西に旅立ったそうで、そこから東の魔術師と呼ばれているそうです」
「魔術とは医療用の魔術ということでしょうか?それで病が治るのですか?」
シドラスはガイウスの話に純粋な疑問を懐いたらしく、そのように訊ねるが、ガイウスはかぶりを振った。
「いえ、あくまで医療用の魔術は医学の補助程度の効果しないそうで、薬もなしに病気が治ることはないそうです。風邪程度なら分かりませんが、少なくとも、医者が見放した病気を治すほどの力はないと」
「そうなると、気になるのは見たことのない鉱石だよね?」
アスマの問いかけにベルも首肯する。今の話の中で、明らかにその部分だけが異質だった。魔術に関する知識のないベルから言わせれば、魔術師と鉱石が関係しているとは思えない。
それでも、そこが残っているのは、そこに何か秘密があるからではないかと思ったが、その秘密は考えても分かるものではない。
「一応、我が国の方でも調べたのですが、そのような効果を発揮する鉱石は手に入る情報の中にはなく、もしかしたら、貴国の技術であれば何か分かるかもしれないと思い、この情報を持ち込んだ次第です。もしかしたら、何の役にも立たないかもしれませんが、少しでも可能性があるならと思いまして」
「いや、ありがとう」
素直に礼を言うベルの隣で、不意にイリスが不思議そうな顔でガイウスを見た。
「あの……皆さんはこの方への信頼が厚いようで、特に疑問に思っていないようなのですが、そもそも、噂が本物である可能性は高いのですか?ただの子供が流した噂の可能性は?」
イリスは当然、そこを最初に疑うべきではないかと言いたそうに聞いていたが、その部分に関しては話を聞いている段階で、一つの確信があった。
そもそも、ガイウスを寄越したくらいなのだから、ソフィアの方で何も調べていないとは考えづらい。
「それは多分、件の少年が実在するのですよね?」
「えっ?」
シドラスがそう聞くと、驚くイリスに申し訳なさそうにしながら、ガイウスが首肯した。
治らないと思われていた病が治った。その部分が話の中に含まれている時点で、その部分は現実のものとして存在するのだろうと思った。
そこにつけられた話が尾ひれの可能性はあるが、全く何もないところに尾ひれがつくとも思えない。
あり得ないことが実現したところに、あり得なさそうな話がついたのなら、その話はあり得るものかもしれないと考えても問題ないと、少なくとも、ベル達は痛いほどに知っている。
そのことに気づいたらしく、イリスはやや顔を赤らめて、ベル達に手を向けてきた。話を進めるように言っているらしい。
「取り敢えず、エル達に話を聞いてみた方がいいよね?その鉱石について」
アスマの問いにベルは首肯する。あれこれと調べるよりも、この王城に住まう国家魔術師に聞いて回った方が魔術の情報としては早いだろう。
もしも、そこで何も分からなければ、この国でその魔術師に関する情報は手に入らないと言っても過言ではない。それほどの面々が揃っている。
どこかで時間を作って、聞くことにしようとベルが思っていると、ガイウスの話を聞いてから、少し考え込む様子を見せていたシドラスが口を開いた。
「一つよろしいですか?」
そう言いながら、シドラスの視線がベルとアスマに向けられ、二人は揃って、不思議そうに首を傾げる。
「どうかした?」
「いえ、今の話ですが、少し似てませんか?」
「似てる?」
「はい。パンテラに出入りしているキナさんの話に」
シドラスの指摘を受けて、ベルとアスマはキナから聞いた目の話を思い出した。
キナは生まれつき目が見えなかったそうだが、ある日、一人の旅人と話していたら、その時から唐突に目が見えるようになったらしい。
その時に何かされたそうだが、何をされたかは分からないと言っていて、とても怪しい話だとベルは呆れながら思った。
「確かに言われてみればそうだね」
「ちょっと待て。東の魔術師は西に向かったと言っていたよな?もしかして、この国に来たのか?」
そして、そこでキナと出逢って、病気の少年と同じようにキナの目を治した。
そう考えれば、話の類似性にも納得がいく。
「なら、キナちゃんにも話を聞いてみよう。何か分かるかもしれない」
アスマの提案にベルは首肯し、ガイウスの持ち込んだ噂に対しての行動が確定した。
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