前に進む人々(2)
自分自身の実力を過信したことはない。いつも自分自身の弱さとは向き合ってきた。
それでも、王都を一時的に離れ、どこかで以前の自分よりも強くなれた気がしていた。変わったと思えていた。
しかし、それが錯覚だったと、ゲノーモス帝国の軍人との小競り合いの中で嫌というほどに教えられ、イリスは自分の弱さに改めて絶望した。
このままではいけない。アスマを守る騎士として、今以上の強さを持たないと、イリスは自分自身で自分に止めを刺したくなる。
その気持ちを少しでも解消するために、イリスは剣の稽古に没頭し、そして、少しも前に進まない自身の実力に改めて絶望した。
自分には剣の才能がないのだろうか。騎士は自身の身の丈に合っていない職業なのだろうか。今すぐに身を引いた方がアスマのためにもなるのだろうか。
イリスは一人で考え込み、剣を置くことすら考えていた。
しかし、そんな中、それまで悲しみの縁にいたアスマが立ち直り、前に進もうとし始めた。ほんの少しずつかもしれないが、それでも確実な一歩だ。
主君のその姿を前にして、イリスが諦めるわけにはいかない。そう思って、イリスは置きかけた剣を再び強く握り締めた。
自分一人で前に進めないのなら、誰かの助けを乞おう。頭を下げることに躊躇いを覚えるようなプライドは今のイリスにはない。
今のイリスは騎士として、いや、兵士としてすら、最弱だと思っているほど、自身を卑下している。
その中で、少しでも自分を引き上げてくれる存在がいるなら、その存在に全力で縋りつくだけだ。
その思いから、イリスは深々と頭を下げて、稽古をつけてくれるように頼み込んだ。
そのイリスの清々しいほどの頼み込む態度の一方で、頼み込まれた側のセリスは非常に困惑した顔をしていた。
「稽古?私にそれを頼むのか?」
セリスはイリスが自分の元をわざわざ訪ねてきた理由に疑問を覚えているようだったが、イリスの浮かべた候補の中ではセリスほどの適任者はいなかった。
「剣の腕はもちろんのことですが、セリスさんは男女の隔たりなど関係なく、誰でも相手できる身のこなしがあります。私はどれだけ剣を振るっても、体格差という大きな隔たりを埋められる気がしないんです。それを少しでも埋める手段をセリスさんから学びたいんです」
現状、女の騎士は三人しかいない。一人はイリス自身なので、イリスが剣の稽古を頼めるとしたら、候補は二人だけだ。
一人は目の前に立つセリスで、もう一人はメグエナ。このメグエナは剣の実力云々の前に、あまり頭を下げて頼みたくない性格的な癖がある。
それを考慮すれば、イリスが頼み込む相手はセリスしかいなかった。
そこまで理解してくれたのか、セリスは即座に断ることなく、少し悩むように口元に手を当てている。少なくとも、考えてはくれているようだ。
「ここに来た理由は分かった。頼む相手を私に選んだ理由も何となく察した」
「それでは……!」
セリスの返答にイリスが目を輝かせようとした瞬間、セリスがそれまで口元に当てていた手をまっすぐに伸ばしてきた。
「待て。そうではない」
「えっ……?」
「申し訳ないが、私が稽古を見ることはできない」
請け負ってもらえると思った直後の拒絶に、イリスは自身の弱さを実感した時と近しい絶望を覚えた。もう数歳若ければ、今頃、涙を流していたかもしれない。
そうならなかったのは、イリスの心がある程度の衝撃に耐えられるほど強くなったのと、もう一つ、セリスが続きの言葉を口にしたことが理由だった。
「そもそも、そのような稽古が必要なのか?」
その問いにイリスはきょとんとした。
「はい?」
「実力的に足りないと思ったことは分かった。実際に敗北したことも知った。その上で聞くが、今のお前に必要なものは剣の稽古なのか?」
「それは一体……?」
セリスの問いの意味が分からず、イリスが首を傾げていると、セリスは不意に腕を伸ばし、イリスの身体を触ってきた。
「な、何ですか!?」
「騎士に選ばれただけあって、身体はしっかりとできている。振るう剣にもイリスのスタイルがあるはずだ。それはこの身体から生まれているものだろう」
スタイルと自信を持って言えるかは分からないが、今のイリスには今のイリスなりの剣がある。それに物足りなさを覚えていると思ったが、セリスはそれも分かっているのか、イリスから手を離し、更に言葉を続けた。
「それでは足りないからと、新たな技術を学ぼうとして、それで今よりもうまく剣が振るえなくなったらどうする?この身体から、私の教える剣が振れるようになるまで、どれだけの時間がかかるか想像できるか?」
セリスの問いかけにイリスは明確に言葉を詰まらせた。そんなことはここに至るまで考えたこともなかった。
「ここから崩れて、騎士どころか剣士としても二流、三流と落ちていけば、その先に待っているものは今以上の劣等感だ。そうなる可能性があるのに、わざわざ私から教わる必要はない」
イリスのことを考えてのセリスの教えに、イリスは返す言葉がなかった。自身の思慮の浅さに自嘲する気持ちはあっても、セリスの言葉を否定する考えは一つも浮かばない。
更に気持ちが落ち込むイリスに対して、そこでセリスが救いの手を差し伸べるように、一つの提案をしてきた。
「少し考え方を変えてみるのはいいかもしれない」
「考え方……?」
「今のスタイルを活かすのに、最も良い形を探してみる方向で考えてみよう」
「活かす?具体的にどういうことですか?」
「例えば……」
そう言って、セリスがイリスの腰元に指を向けた。
「剣が一番、イリスに合っている武器なのか?」
セリスのその一言にイリスは目を丸くした。
「剣……?」
「そうだ。他の武器はどれくらい握ったことがある?」
そう聞かれ、イリスはこれまでの経験を思い返してみるが、剣以外の武器は全く握ったことがないか、僅かに振るったことがある程度の物しかない。
「他の武器を触ってみるということですか?それこそ、今の形が崩れませんかね?」
「私が一から教えるのは、最初から崩す行動だ。だが、今の自分に合う武器を探すのは、今の形に当てはめる行動だ。必要以上に縋らなければ、自分に合った物を見つけられるかもしれない」
セリスに背中を押され、イリスは改めて自身の剣に目を向けた。
「他の武器……」
それはイリスの中になかった視点が一つ生まれ、それまでよりもほんの少しだけ、イリスが前に進んだ瞬間だった。
☆ ★ ☆ ★
ライトのまっすぐとした目に見つめられ、ベルは隠し切れない動揺を表情に現わしてから、白状するように息を吐いた。確信染みた質問にベルは誤魔化す気力も湧かなかった。
「良く見ているな……」
負けを認めるように言うと、ライトはやや複雑そうな顔をして、小さくかぶりを振る。
「別にそういうわけじゃないけどね……」
そう言いながら、頭を掻く仕草は単純に照れているわけではなく、奇妙な距離を感じさせるものだ。
とはいえ、ここまでに思い悩み、隠すことすら疲れ果てたベルでも、オーランドの手帳を隠す必要があることくらいは分かっていた。
そこは話せないと念頭に置きながら、ベルはその周辺を触れるように思いを掻き集めていく。
「グインの友人のことは知っているか?」
「ああ、あの獣人の?」
「そう。その話のことを聞いて、ふと故郷のことを思い出したんだ」
ベルの口からリリパットの話が飛び出し、ライトはどこか、ばつが悪そうに顔を顰めていた。
もしかしたら、思いも寄らぬところで重たい話が飛び出したと思っているのかもしれない。
「私はいろいろ失った。だが、ここに来て、アスマと出逢って、そこで手に入った関係や立場、居場所もある。そう思った時、私は自分の身体とどう向き合うべきなのか分からなくなったんだ」
「死ねるようになりたいんじゃないの?」
「そう思っていたんだが、そうなって、もしも今の形が変わるなら、それで本当にいいのかと思い始めたんだ」
「別にベル婆が不死身じゃなくなっても、何も変わらないでしょう?」
ライトは軽くそう言ってきたが、ベルの考えは違っていた。それを示すようにかぶりを振って、口を開く。
「周りがそう思っていても、変わる可能性が高いと私は思う」
その返答とベルが小さく浮かべた笑みで、ベルの考えを読み取ったらしく、ライトはやや気まずそうに口元を押さえていた。その反応に少しだけ申し訳ない気持ちになる。
「まあ、いろいろと考えちゃうよね。可能性って大量に転がってるのに、近づいてみるまで、どれが自分と関係あるかなんて分からないしね」
ベルの考えた可能性をやんわりと否定しながら、ライトは何かを考えるように、ゆっくりと見上げていく。漂う香りはやはりイリスと同じものだ。
「でも、向かってみないと見えないものも多いから。可能性すら見えてなくて、近づいて、ようやく分かることもあるから。多分、殿下だったら、そこまで行こうって言うんじゃない?」
そう言われ、ベルはアスマの反応を想像した。確かにアスマなら、そう言うかもしれない。
「ていうか、何で殿下じゃなくて、俺に相談してるの?珍しくない?」
「あっ?あっ……」
ふとベルは我に返って、真面目な話をライトにぶつけている自分の姿が恥ずかしくなった。いくら考え込み過ぎたからとはいえ、ライトに相談は中々の悪手だ。
「本当にどうしてだ!?絶対にライトは違う!」
「いや、そこまで言い切るのは逆に傷つくんだけどね」
ベルの遠慮のない反応に苦笑しながら、ライトは疑問に思ったことを直接的にぶつけてくる。
「どうして、殿下には相談しないの?相談してたら、もう迷ってなさそうだけど?」
ライトのその指摘は確かで、もしもベルがアスマに悩みを打ち明けたら、今頃はベルの納得できる解決法に導いてくれているだろう。
だが、それを今のベルはしたくない気分だった。
何となく、とか、そういう漠然とした理由ではなく、今のアスマを見ていたら、そこに自分の悩みをぶつける気分にはどうしてもなれなかった。
「アスマには言わない。だから、ライトも言わないでくれ」
ベルがそう頼む姿を前にして、ライトは面食らった表情をする。ややぎこちなく首肯しているが、これを信じていいのかどうかは流石のベルも分からない。
それでも、今は信じる気になって、ベルは廊下を見回した。
「じゃあ、悪いが仕事中だった。仕事に戻る」
「ああ、そう?頑張って、ね?」
首を傾げながら言ってくるライトに背を向け、立ち去る直前にベルはその場に落とすように呟いた。
「ありがとう……」
その一言が僅かに届いたのか、背後でライトが勢い良く振り返ったのが、漂う匂いの強さから分かった。
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