傷の残った日常(5)

 アーサーとの思わぬ遭遇を経験した後、アスマとイリスは王城を飛び出し、王都の街に繰り出した理由となる建物の前に到着していた。ここが当初からのアスマの目的地である。


「正面から言っても大丈夫ですかね?」


 様々なことを考え、やや不安を吐露するイリスに対して、アスマは考える素振りもなく、無責任に大丈夫と答えるだけだった。いつものアスマの調子に苦笑が漏れる一方で、いつものアスマの調子が戻ってきたことにイリスは嬉しさを感じる。


 大丈夫と宣言したアスマと共に、イリスは目的だった建物に正面から立ち向かい、無謀と思われた交渉の結果、本当に大丈夫と言った通りの展開がそこで繰り広げられることになった。


 あれよあれよという間に、イリスとアスマは目的の建物の中に案内され、気づいた時には目的となる人物と対面していた。

 アスマを前にしたその人がやや驚いたような顔をしてから、二人を快く出迎えてくれる。


「ようこそ、お越しくださいました、殿下。突然のご来訪に驚きましたが、どうなされたのですか?」


 アスマの前で軽く頭を下げながら、イリスを出迎えた屋敷の主人である、ギルバートがそう口にした。


「ギルバートに逢いたくて。後、タリアちゃんにも」


 そう言いながら、アスマがギルバートの後ろを覗き込むと、そこには執事服を身にまとった女性が一人立っている。ギルバートの従者のタリアだ。


 タリアはアスマに不意に見つめられ、やや戸惑ったように視線を泳がせてから、小さな声で「光栄です」と口にしていた。


 その様子を見たイリスの頭の中で、王城で聞いた噂話が再生される。

 確か、タリアは――と思い出し、イリスはタリアの様子を観察するように、じっと見つめていた。


「えっとね。実は俺、ウルカヌス王国に行ってたんだけどね」

「はい。伺っておりますよ」

「そこでいろいろとお土産を買ってきて、皆に配ってるんだ。ギルバートとタリアちゃんにも渡そうと思って、それで来たの。あまり時間は取らないから安心して」


 フットワークの軽さやフレンドリーさから忘れそうになるが、アスマはこの国の王子という立場におられる方だ。

 その人物が自分の元をわざわざ訪ねて、更にはプレゼントがあると言ってきたら、困惑するのも仕方ないだろう。


 ギルバートとタリアは目に見えて、わたわたと慌て始めていた。


「そんな!?殿下がわざわざ!?」

「ああ、気にしないでよ。皆の顔も見れるし、一石二鳥だから」


 どのように対応すればいいのかと迷っている様子の二人に対して、アスマは軽く微笑みながら、イリスの持つ袋に手を突っ込んでいる。


 その中をわさわさとしばらく漁って、ようやく手を抜き出したかと思えば、そこには一本のペンが握られていた。


「はい。これがギルバートのプレゼント」


 そう言いながら、渡したペンをギルバートは大仰に両手で受け取って、じっくりと細かく観察するように見つめ始めた。


「とても細かい彫刻が入っていますね……」

「凄く綺麗だよね。それなのに、持ちやすいように指のラインに合わせた部分もあって、実用的でもあるんだよ。ギルバートは書き仕事が多いって言ってたから、そういうのがいいと思って」


 ギルバートは感動で表情を緩ませながら、深々とアスマに頭を下げていた。


「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」


 その反応に照れ臭そうに笑ってから、アスマは再び袋の中に手を突っ込んでいく。


「次はタリアちゃんのプレゼントなんだけど、実は凄く迷ってね。タリアちゃんに何をあげたらいいのか、いまいち思いつかなくて」


 そう言いながら苦笑するアスマを目にし、イリスは自身がいない間に起きたという出来事を思い返していた。


 そこでタリアはこの世界ではない別の世界からやってきて、アスマの命を狙っていたということが分かっている。

 この世界ではない別の世界がどのような世界であるのか分からない以上、何を渡したら喜んでくれるのか見当もつかなかったのだろう。


 しかし、とイリスが考える前で、アスマが袋からようやく手を取り出した。


「それで結局、その場にいたソフィアのアドバイスもあって、これにしたんだ」


 そう言いながら、アスマが取り出した物は虎のぬいぐるみだった。


(ぬいぐるみはいいとして、何で虎……?)


 何とも言えないアスマのチョイスにイリスは戸惑うが、渡されたタリアの反応は違っていた。


 目を大きく見開いて、やや震える手を伸ばし、アスマの持つぬいぐるみを大事そうに両手で受け取っている。


「あの……ありがとうございます……!」


 そして、深々と頭を下げると、絶対に離さないと宣言するかのように、タリアはぬいぐるみを強く、ぎゅっと抱き締めていた。その時の表情を見ていたら、誰でも察しそうなものだが、イリス以外の二人は気づいた様子がない。


「時間を取っちゃって、ごめんね。忙しかったでしょう?」


 アスマにそう言われ、ギルバートは一瞬、誤魔化そうと思ったのか、かぶりを振りかける動きを見せたが、すぐに動きは止まり、静かに首肯していた。


「正直なところ、想像以上に忙しくなってしまっています。帝国との騒動で捕まえた違法な武器商人の処遇もそうですが、流通する武器の管理の方にも影響が出てしまって、何も起こらないように押さえ込むので精一杯です」


 そう苦笑するギルバートを見て、アスマは訪ねたことを申し訳なく思っているのか、やや曇った表情をしていた。それを察したのか、最初からそう言うつもりだったのか、ギルバートは即座に言葉を続ける。


「息も詰まりそうでしたが、殿下がこうしてお越しくださったことで、少しだけ気が楽になりました。本当にありがとうございます」


 突如、そのようにお礼の言葉を口にされ、落胆しかけていたアスマは慌てふためいていた。さっきのアスマとギルバートの関係がそのまま真逆になったようだ。


「そんな俺が勝手に来たことだし」


 そう答え、ギルバートの振る舞いに戸惑った様子を見せるアスマの隣で、イリスがこっそりとタリアに近づき、今も大事そうにぬいぐるみを抱えたタリアに声をかける。


「あの……よろしいですか……?」

「はい?どうされましたか?」

「その……殿下のどこをお好きに……?」


 その質問を聞いたタリアの顔がゆっくりと赤くなった。ともすれば湯気が出そうなほどの顔の熱さが見た目から伝わってくる。


「な、何をお、仰っているのですか……!?な、何か勘違いをさ、されているようですよ……!?」


 震える唇でタリアは必死に否定しているが、その振る舞いこそが既に返答となっていた。


「そうですか。勘違いですか。すみません」


 そのように笑顔で言いながら、イリスはアスマにも春が来たことを確信する。


 アスマのためにも、ここは何かしらがうまく行くように、イリスはタリアの応援をすることに決めたのだった。



   ☆   ★   ☆   ★



 帝国との一件との事後処理に関する書類と、シドラスが作り上げた報告書の一部を持って、ブラゴが宰相室を訪れた時、ハイネセンは気難しい顔をしている最中だった。


「ああ、報告書か。そこに置いといてくれ」


 そう告げながら、ハイネセンはテーブルの端を手で示し、ブラゴは言われるまま、その場所に持ってきた紙束を置いた。その隣にはそれと同等か、それ以上の紙束が積まれている。


 ブラゴに一定の仕事があるということは、その上に立つハイネセンにはもっと多くの仕事が届いていることだ。それを如実に表す光景がテーブルの上には広がっていた。


「では、失礼します」


 書類を渡し終えたブラゴが頭を下げ、宰相室から立ち去ろうとした時のことだった。その動きを制するように、ハイネセンが声をかけてきた。


「ああ、ちょっと待ってくれ。アスマ殿下のご様子はどうだ?」


 不意な質問に流石のブラゴも驚きながら振り返り、「ご様子ですか?」と聞いたばかりのことを繰り返す。


「まだ塞ぎ込まれているのか?」

「先ほど、同じ質問をシドラスにしましたが、シドラス曰く、大丈夫とのことです」


 ブラゴがそう答えると、ハイネセンは僅かに視線を落とし、安堵したように深く息を吐く。


「そうか。それは良かった」

「アスマ殿下が塞ぎ込まれたままだと、王城内の活気にも影響が出ますからね」

「確かに、それもそうだが……」


 ブラゴの冗談めいた一言に笑みを浮かべてから、ハイネセンは考え込むような表情で、手元の書類の一枚を見ていた。


「これを」


 そう言って、差し出されたその書類をブラゴは受け取り、目を落とす。


 それは書状のようだ。


「特使?ウルカヌス王国から?」

「ああ、ゲノーモス帝国の一件を聞きつけたらしい。同盟締結の手続きもあるので、一度、特使を送りたいと。今は事態も事態だし、帝国との一件は解決したから、少し遅らせてくれないかとお願いしたのだが、既に行き違いになっていた。もう特使は出発したそうだ」

「なるほど。それで殿下のご様子を」


 同盟国とはいえ、アスマの様子が他国に知られ、どのような影響が出るのか、ハイネセンは完璧に想像し切れない。少しでも不安の種は消しておきたいと思ったようだ。


「この特使とはどのような人物が送られてくるのですか?」

「詳細は知らない。ただ騎士であることは内容から分かった。場合によっては任せるかもしれない」


 ハイネセンからの視線を受けて、ブラゴは首肯する。相手が誰であるのか分からないが、誰であったとしてもブラゴなら問題ないというハイネセンの判断だ。引き受ける以外に選択肢はない。


「まあ、流石にあれ以上に頭が痛くなることは起きないだろう」


 ゲノーモス帝国との一件を思い返し、ハイネセンが溜め息を吐くように言った言葉を聞き、ブラゴも同意するように頷いた。

 あれに匹敵する問題は、少なくとも、近くにはもうない。ブラゴとハイネセンはそう思っていた。

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